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2006年04月21日
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カテゴリ:外国語・語学
 
ひさしぶりに語学ネタを・・・。
 
今までここにときどき日本語とフランス語の表現の細かさの違いについて書いてきましたが、それはすべてフランス語のほうが細かい言い分けをする場合でした。
今回はその逆です。
 
「私はテレビを見る」という文(意味)に対して、「私はテレビを見ている」というのをどう言えばいいか、考えてみます。
英語では「現在進行形」という形があって、「‘be’+動詞の現在分詞」がそれであるのは有名ですね。
 
フランス語にも、当然、英語の「be」に相当する「etre」という動詞があるし、動詞の「現在分詞」の形もあります。
フランス語の場合、動詞の現在分詞は、基本的(・・・ごく大雑把)には「活用語尾を取って‘-ant’をつけたもの」になります。
従って、「見る」の場合は、不定形「regarder」から「-er」を取って「-ant」をつければいいので、「regardant」となるわけです。
 
それを英語の現在進行形のような文の組み立て方をして、
 
・Je suis regardant la television.

というかというと、‘絶対に’言わないのです。(「suis(←‘etre’)」は英語の「am(←‘be’)」、「la」は「定冠詞」です。)
 
では、どう言えばいい(どう言う)かと言うと、
 
・Je regarde la television.

です。これは言うまでもなく、単に「私はテレビを見る」という、いわゆる普通の現在形です。
 
つまり、フランス語は、「今、~ている」という‘専用’の表現(文型)がないのです。
(英語の「I watch television.」と「I am watching television.」の区別がありません。)
だから、「雨が降る」と「雨が降っている」の言い分けもしません(できません)。
 
これを知ると、「フランス語はなんと不便な、いい加減な言語だろう・・・」と思ったりもします。
でも、フランス人はそれでまったく困っているわけではありません。
現に、今までいくつか書いてきたフランス語での‘細かい’言い分けは日本語では一切しないのに、日本人はそれで困ることはありません。
それどころか、おそらく誰かに「こんな違いがある」と言われないと、違いがあることにさえ気が付いていないと思います。
 
でも、ちょっとフランス語を知っている人なら、「どうしても言い分けたいのなら、できるでしょう?」と言うでしょう。
つまり、「etre en train de」という表現が「~ている」という意味を表すので、
 
・Je suis en train de regarder la television.

と言えば、「私はテレビを見ている」という意味になるはずだと考えるわけです。
確かに、それはそれで正しいのですが、
 
・I am watching television.
・Je suis en train de regarder la television.

は、「意味」のほか「用法」までがまったく同じだとは言えません。
日本語で考えると、フランス語の文のほうは「私はテレビを見ているところだ」とほぼ同じと考えられます。
 
一般に、母国語の細かい言い分けの違いは、ネイティブ・スピーカーには説明できないばかりか、認識さえされていないのが普通です。
「私はテレビを見ている」と「私はテレビを見ているところだ」の違いは何か?と聞かれて、普通の日本人は即座には答えられないのではないでしょうか。
 
単に「~ている」というのは、とにかく「動作が進行中である」ことを単に事実として述べているだけで、言外にそれ以上の含みはありません。
一方、「~ているところだ」は、まず事実としてその動作が進行中であることのほかに、言外に何か含みがある場合に使われます。
 
例えば、家族の誰かに何か用事を頼まれたときに、いつも楽しみにしている番組を見ていて、「その番組を見終わったあとなら用事を引き受けてもいいけれども、今は嫌だ」というときに、「今、テレビを見ているから、あとでやるよ」と言うこともできるし、「今、テレビを見ているところだから」とだけ言えば、それを聞いたほうは「今はやりたくないんだな」ということがわかります。
 
フランス語の場合も同様で、英語の「‘be’+現在分詞」のつもりでいつもいつも「etre en train de」を使うと、不自然だし、「この人はほかに何が言いたいのだろうか?」と思われかねません。
 
つまり、英語の「‘be’+現在分詞」や日本語の「~ている」は単に文法的な形であるのに対し、フランス語の「etre en train de」は単なる‘表現’というのか‘熟語’であるということです。
従って、やはりフランス語には、「~ている」を表す文法的な形はないと考えるべきです。
 
例えば、英語の「I watch」に対して「I am watching」という言い方があり、さらに「I watched」に対して「I was watching」、「I will watch」に対して「I will be watching」という言い方ができます。
つまり、それぞれの左側が単純な「時制」を表しているのに過ぎないのに対して、それぞれ右側はその時制で「~ている」という動作の進行を表していることになります。

さらに、「I watched」「I have watched」を比べてみると、「I watched」は単に過去の事実を述べているのに過ぎませんが、「I have watched」は、まず「見た」という事実を表し、言外に「その結果、今、・・・」ということを含んでいます。
例えば、「その番組は見たけど、内容は忘れてしまった」場合は「I watched」ですが、「その番組は見たことがあるから、内容はわかっている」場合は「I have watched」になります。
 
この点においては、フランス語は区別がありません。
どちらも「avoir+過去分詞」という「複合過去形」で表します。
 
こう考えてくると、こういったことを文法的にいちばん細かく表現する言語は英語だと言えそうです。
 
英語では、このほかに、「I have watched」に対して「I had watched」と「I will have watched」という形もあります。
 
「I watch」(現在)を基準として、「I am watching」(現在進行)、「I have watched」(現在完了)は、「現在」で共通していて、これらの区別を「アスペクト(相)」、また一方で「I watch」(現在)を基準として、「I watched」(過去)、「I will watch」(未来)の区別を「時制(テンス)」と言っています。
つまり、3つの時制に対してそれぞれ3つのアスペクトがあることになり、最大で「9つ」の動詞の文法的な形があることになります。
 
これらのうち、フランス語は「進行」のアスペクトがなく、日本語は「未来」のテンスと、考え方によっては「完了」のアスペクトもありません。
つまり、最大で9つの形のうち、英語は9つ全部あり、フランス語は6つ(・・・諸説あります)、日本語は厳密に考えるとわずか4つしかないことになります。 
  





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最終更新日  2006年04月22日 00時31分51秒
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