阿弖流為の首塚、樟葉宮跡などへ
今日は、高大の校外学習活動の日で、古代科5班は、枚方の史跡見学に行った。行ったのは、片埜神社、アテルイの首塚、樟葉宮跡、樟葉台場址、橋本遊郭址など。淀屋橋を9時30分に出る京阪特急に乗り、枚方市駅で各停に乗換、牧野には10時に着いた。ここでは、交野郡一之宮である片埜神社とその近くにある阿弖流為、母礼の首塚を見た。写真は、南の鳥居と南門、拝殿、本殿、東門。写真は、片埜神社の北側の公園にある阿弖流為、母礼の首塚。楠と桜の老木の根元に祭られていて、左側には別に立派な碑が建てられている。2つの史跡を見た後、牧野駅に引き返し、11時10分の電車に乗り、樟葉まで行き、ここで昼食を取った。ゆっくりと食事をし、12時44分のバスに乗り、長沢というところで降りた。少し歩き、交野天神社の境内に入り参道を進むと、交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)があり、樟葉宮跡への案内板があり、鬱蒼とした森の中を進むと石段の上に宮跡の石碑と貴船神社があった。樟葉宮は、第26代継体天皇が4年あまり都をおいたところ。西暦507年~511年の間である。写真は、鳥居、交野天神社本殿、樟葉宮跡碑、貴船神社。継体天皇の宮跡を見終わったのは13時50分、一応予定の見学は終わったのだが、ここで意見が分かれ、1.もう十分に見たのだから、バスで駅に引き返し駅前に喫茶店に行く。2.せっかくここまで来たのだから、付近の史跡(樟葉台場址など)などを見に行く。結局、1が6人、2が4人となり、私は2に同行した。30分ほど歩くと淀川が見えるところに出、台場跡の標示版が目に着いた。樟葉台場とは、幕末に淀川を通行する異国船を打ち払うための砲台である。川に砲台場が作られたのは珍しく国の史跡に指定されている。長く放置されていたのを近年、枚方市が整備して公園にしたものだ。 台場は、京街道の途中に作り、尊王攘夷派が京に侵入するのを防ぐ目的もあったようだ。戊辰戦争では、幕府軍がここに陣を張ったが、対岸の津藩(藤堂家)の裏切りにあい砲弾を浴びせられたため、大坂城に撤退した。台場跡を見て、橋本駅には14時50分に着いたが、せっかくここまで来たのだから、有名な橋本遊郭の跡も見ておこうと、駅の北側を歩いた。駅に近くの川沿いに20軒ほどの建物があり、人が住んでなくてさびれたところ、人が住んで手入れもしているところなどいろいろだったが、欄間や格子窓など当時を忍ばせる装飾のある家をたくさん見るkとができた。