川崎の、13歳・遼太君殺害事件で、犯人とみられる少年や、
その家族、仲間たちの写真がネット中に広まっていることが問題だ
・・と指摘されています。
まあ確かに、まずいだろうことはよく分かるけれど、
これだけ残虐な事件を起こした、その当人がどんなヤツか、
どういう家族で、どんな家庭環境で育ったか・・
というのは、万民の大きな関心であるから、
このネット社会の今、抑えようがないのだろうとも思う。
この「なんでも曝されてしまう」という問題もさることながら、
私が気になるのは、Facebookや、Twitter内のやりとりの「言葉足らず」の点。
私はやっていないので分からないけれど、Lineも、きっとそうなんだろう。
簡単にやりとりができる分、人は、熟考もせずに文章を公にしてしまう。
Facebookでの議論なんかみても、双方、言葉がかみ合わないまま、
果てしなく、分かりあいから遠い方へ向かっているような場面が多いし。
Facebookのツールなんかも、あまりにいいかげんで、
例えば「風邪で熱があって苦しい」と打ったコメントに、
「いいね」がたくさん集まったりしている。
「父の葬式に出てきました」にも「いいね」が集まっていましたよ。
「いいね」をクリックする人は、「頑張れ」とか「大変だったね」
の意味合いで、クリックしているのだろうけれど、
傍から見たら、とても変でしょ。
その変なやりとりが、フツーに展開している世界。
政治家がTwitterで失敗するのも、熟考して発信していないからですよ。
「なんとなく、人々の共感を得たい」
「なんとなく、かっこいいことを言ってみたい」という
なんとも、浅い気分で、事態をろくに調べもせず発信するから
そういうことになるわけですね。
便利なツールが、人々を「よく考えないまま発信」する習慣に誘導している。
他方、世の中、熟考した意見を発表する場がなくなっているんですね。
時間をかけてじっくり考えた論文は、大抵、
「それじゃあ、売れません」と出版してもらえない。
反面、人気評論家の本は、実にいい加減な内容のまま、
出版されている・・。
自分の本が売れないから、僻んでいる・・と取られても
しかたないけれど、大量に本を出している先生方の本読んで、
あるいは、ベストセラー買って、感動したことなんて、あります
大抵の場合、内容スカスカの寄せ集め文章ですよ。
私は、どれだけ、あほらしくなって、途中で捨てたことか。
本が売れなくなっているのは、
「売れるから」だけでスカスカ本を、
出版かいが出し続けているからですよ。
世の中、上滑りの議論と意見ばかりが横行するように
なっているのじゃないですかね。
テレビのワイドショーのコメンテイターのコメントだって、
思いつきの、ひどいものばかりじゃないですか。
初めて報道にアンカー制度を導入した時、
キャスターと言われる立場の人は、
その責任の重さに、胃が痛くなったのじゃないかと想像しますけれど、
今じゃあ、「面白ければいい」「番組の主旨にあっていればいい」の、
実に安易なコメントが、まかり通っている。
便利になって・・人は熟考を忘れて行く。
そんな危惧を覚えているんですけれどね、最近。