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舞鶴市長が土俵上で倒れたことで、土俵上は女人禁制という相撲界の慣習が 再び、世間の注目を集めています。 宝塚の中川女性市長は、好機とばかりに土俵上で挨拶することを求め、 でもやっぱり却下され、結局、土俵脇の特設コーナーで挨拶することになって、 「私は女性市長ですけど人間です。当たり前のことです」 「実は男性の市長さんはこの土俵の上に立ってご挨拶をされます。 私は急遽作っていただいたこの台」 「女性であるという理由で、この宝塚市の市長でありながら、 土俵の上で挨拶ができない…これは悔しいです、辛いです」 ・・と皮肉を込めてか、嫌味たらたらでか、挨拶されたそうです。 それほど辛いことかいな・とも思うし、このタイミングでのこういうパフォーマンスって、 なんかあざといなぁ・・と私なんぞは、引っかかるわけですが、 「時代は変わったのだし、女性を土俵にあげない伝統を再考すべき」 という意見が、テレビでは随分と出ています。 まあ、大概のコメンテイターの皆々様は、そう言うでしょうね。 人さまにはどうでもいいことですが、 私は、人生通し、女性差別に対して物申して来た女です。 世の中はずっと男社会で、女は随分と軽く扱われてきましたからね。 ただ、そういう私でも、今回の件は、単純に、 「伝統だろうが時代が変わったのだから、女性も土俵に立てばいい、 何の問題もないだろう」という意見には、どうも、賛同できずにいます。 あ、騒動のきっかけとなった、人が倒れて女性が救命に上がった・・ というケースは別ですよ。それは当然で、文句をいう方がおかしい。 でも、中川・宝塚市長が、ご希望に沿い、世論とマスコミの強い後押しで、 得意そうに土俵の上で挨拶をする姿は、あんまり見たくないかな・・と思うわけです。 いろんな人が指摘しているように、古来の伝統ではないのかもしれない。 ただ、相撲界の方々が神聖な伝統としてとらえて守ってきたものを、 外野がヤイノヤイノと潰していくって、どうなんだろ これで女性が不利益を被るわけではないわけだし。 女性ながら知事や市長や総理になった人が、ムッと不愉快になるくらいのことですし。 私も、土俵上って、神聖なもののような気がしています。 場所のスタート時には神主さんにお祓いしてもらい、 何かあるたび塩で清める、というのも、 興行の成功や怪我や事故がないことへの祈りだからではないか。 座布団を足で踏まない、とか、神社やお寺の前では手を合わせるとか、 正月の門松は清めてから捨てるとか、理屈を言えば、そんなことくだらない、 で済ませてしまえることなんでしょうが、漠然とした神への敬い、畏れというものは、 大事にした方がいいのではないですかね。 この件、あちこちのワイドショーで取り上げてコメンテイターが議論していますが、 女性が揃って「女人禁制止めちまえ」派であるのに対し、 元力士とか、相撲界関係者程「いえ、やっぱりそこは違います、土俵に 女性が上がるのは反対です」と頑なな感じが、今回、ちょっと特殊です。 ほら、大抵の場合、コメントを述べる人って、 視聴者と制作サイドに媚びて、この件なら「時代に沿った対応」とか言いそうなのに、 かなり意外というか、そこだけは譲らなかった。 つまり、巌とした目に見えぬものへの「畏れ」があるんですよ。きっと。 そういうことは、外部の人間には分からないもので、 だからこそ、尊重してあげたい・・ところがある。 それでも、女性差別だ、と腹立つ方々がいるのなら、いっそのこと、 「土俵は相撲関係者だけが上がっていいもの」として、要人の挨拶も 表彰も、土俵脇か、別の舞台でやることにしてはどうか その方が、土俵をより神聖なものとして扱えるし、 将来、女性総理が出現しても、なんの問題も起こらなくなるし・・。 いい考えだと思うんですけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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