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カテゴリ:つぶやき、人間関係
ふと思った。
50年前の私にとって、現在ははるか未来の世界であった。 かつての私は、どんな未来を思い描いていたのか。 少なくても、「おばあちゃん」になった自分のことは想像もしていなかったはずだ。 子どもの私が未来の世界を想像する手掛かりは、 あの当時は何と言っても「鉄腕アトム」の世界だろう。 それよりもう少し前は、ヴェルヌの「海底二万里」とか「月世界旅行」など、 未来冒険小説などの世界かな。(何となく読んだ記憶がある) 科学が進歩して、夢のような世界が現実化することを空想していたのかもしれない。 少し大人になって、40数年前くらいの私は、 未来なんてまったく見えなかったような気がする。 自分がこんな年まで生きているなんて、考えることも恐ろしかった。 それでも生きなきゃならないんだなと思う私に、 明るい未来は見えてはいなかった。 しかし子どもを産んでからは、せめてこの子たちが大人になった時代に、 日本が戦争に巻き込まれるようなことがないようにと願っていた。 自分の未来なんて、その前にはどうでもよかったような気がする。 40歳になろうとするころ、このままうかうか生き延びていいもんだかと不安だった。 挫折ばっかり繰り返して、何一つ自分に誇れるものがないように感じることも多かった。 子ども達も成長し、自分の中に何とも言えない飢餓感がふくらんでいた。 いくつかのことが契機となって、生まれて初めて「学びたい」という思いが募り、 慶應大学の通信課程に入学した。 その後七年間は、初めて味わう「学ぶ喜び」と、やはり初めて味わう「学ぶ苦労」を体験した。 計画の十年より三年短く卒業した時は、 「私だってやればできるじゃない」という、これまた初めての自己肯定感を味わった。 そんな経験から、本当の自己肯定感は、 自分がやりたいと心から思ったことが達成できた時に、やっと得られるものだと思っている。 人によって違うとは思うけれど、少なくても私はそうである。 いくら他人にほめられたとしても、それが私自身が望んでいることとずれていたら、 心から自分を認めることができないのだ。 ちょっと本題からずれてきたが、その時点で私は 自分の未来を見据えることができたように思う。 具体的には、「よき先輩としての老人になること」だ。 自分のことを、良くも悪くも納得できた時に、 今まで自分がどれほど多くの人に助けられながら生きてこれたかを、 心から感謝できるようになった気がする。 それまでは、「仕方ないから生きて行こう」だったから、 感謝の念も形ばかりで本音ではなかったかもしれない。 「子どもを産んでしまったから、育てなくてはならない」と思っていた間は、 「生まれてくれてありがとう」なんて、本音では思ってはいなかった。 でも今は、本当に私の子どもになってくれてありがたいと思う。 どれだけ彼らに私は助けられてきたのかを、今更に思うことが多々ある。 子どもが成長したらその時は…なんて思いが時々脳裏をよぎった夫にも、 「こんな私とよく付き合ってくれたな」と感謝する。 (しかし、現実生活は昔とあまり変わらないけど…。 これからの私の未来は、「本格的老人生活」をいかに生きるかだ。 そして、その環境となる社会は、 幼い頃「鉄腕アトム」でイメージした世界とはどう違うのだろう。 鉄腕アトムはロボットでありながら「人間の心」を持っていたが、 今の私達の社会での人間は、 ひょっとすると「ロボット化した心」(と言ったらアトムに失礼か)になってしまい、 何かの指示通りにしかできなかったり、数値化したものだけを信じたり、 コントロールされていることをよしとしたりしてはいないか。 アトムの十万馬力は原子力だった。 原子力発電政策を推進してきた人たちは、私と同じく鉄腕アトム世代。 夢のエネルギー幻想は、鉄腕アトムとは無関係かな? 私達の子孫の生きる未来は、はたしてどのような世界なのか。 とりあえず私は、「次の瞬間」という未来を着実に暮らしたいと思う。 さて、夏に開催される行事のために、市役所と教育委員会に行ってこよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月07日 14時22分20秒
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