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テーマ:いじめ(337)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
久しぶりに、古山明男氏のブログを読んでみた。
とても納得する内容だったので、ここにご紹介する。 管理社会といじめ 大津市のいじめ自殺事件が大きく報道されています。 新聞やネット上に、被害者に呼びかける声、加害者に呼びかける声、自分の体験を赤裸々に語る声、それぞれ真摯なものがたくさんあります。でも私には、いじめは、個人の性格や心の問題だけではないと思えます。 ここでは、違う視点からいじめについて思うことを書きます。 いじめは、管理社会で多発します。 管理社会というのは、人を見ていなくて、成果だけ見ている社会です。 管理社会は、多くのことにやり方と手順が決まっています。やり方と手順を守らない人間がいたら、お互いにジロリと睨み合う社会です。 管理社会では、すべてのことに「それはこういうことだ」という答えが用意されています。誰もが、それに沿ってものを言っています、それに合わせていないと孤立します。 管理社会では、だれもがなかなか認められません。満足した人間が働かなくなることを怖れているのです。いつも目標を持ち、達成に向かって努力することが推奨されます。でも、認められるのは、達成された瞬間だけです。どの人も「自分が認められている」という実感を持っていません。 管理社会というのは、どの人も、認められるためにあがかなければならない社会です。うぬぼれ屋や、利己主義者が増えます。他人をバカにすることで自尊心を保つ人が多くなります。多くの人が、自分は欠点や問題の多い人間だと思っています。そして、他の人の欠点や問題がたまらないものに感じられます。 管理社会では、誰もが仮面をつけて生きています。自分で感じたことは心の片隅においやって、しなければならないことをし、言わなければならないことします。誰もが、空虚でやるせないものを持っていて、なにかで紛らして生きています。 管理社会では、仲間と同調しないと生きて行けません。仲間による承認以外に基準はないのです。 いじめは中学で多発します。中学が典型的な管理社会です。 成績、行動、すべて目に見える成果があるかどうかで測っているのです。校舎、教室は標語だらけ、 「中学生らしく」と要求される、服装、態度、言動。 つまらない授業。私語と居眠りだらけ。 頭ごなしの教師たち。 うまくいかないほどに、教師たちは、目標と態度を管理しようとするのです。 それでも、多くの中学生はけっこう明るく生きています。比較の対象がないから、それを当たり前として生きているのです。 友人とのバカさわぎや、ふざけあいが、最高の息抜き。 でも、しわ寄せが集中的に現れるところがあります。 日頃がみじめだと、誰かをからかったり、困らせたりするのは、楽しいことです。 「あいつはたまらない」という奴に、制裁を加える場合もあります。 誰かを自分の言うなりにする喜び。 先生たちは、生徒たちをなんとか「~ねばならない」の世界に引き戻そうとします。でも、教師たちも管理社会に生きているのです。教師同士もいじめがあるし、「あいつよりマシだ」とか「あいつさえいなければ」とか内心でため息をついています。 管理社会というのは、誰もが自分の心を生きることができなくなってしまった社会です。 何か違う、と誰もが思うけれど、誰も変えようがない。ただ、それが当たり前だから、そこで生きている。 いじめを根本的になくしたいなら、管理社会を見直さないといけません。 貧乏なために盗みの絶えない国があったとします。犯罪者の取り締りは必要だし、盗みに対する備えも必要です。でも、国全体を豊かにすることを考えなかったら、いつまでたっても盗みはなくなりません。それと同じです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年08月02日 10時48分52秒
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