3599753 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

きょういく ユースフル! ~ 僕は触媒になりたい ~

きょういく ユースフル! ~ 僕は触媒になりたい ~

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2023年03月22日
XML
世の中には素晴らしい「学校の先生」方がたくさんおられます。
学校の先生ではなくても、「学校の先生」のように、人を導き、勇気づけ、元気づけ、ともに歩もうとされる方々が、たくさんいらっしゃいます。

今日は、「15人の教師」を紹介された本の中から、「こんな先生の、こんな姿が、いいよね」という話をしようと思います。

一瞬で子どもの心をつかむ15人の教師![中野敏治]
『一瞬で子どもの心をつかむ15人の教師!』
(中野敏治、ごま書房新社、2019、税別1400円)

この本の中で紹介されている先生方はどなたも素晴らしい方で、独自のユニークな実践、おもしろい取組をたくさんされている方々です。
世の中にひろく知られている方も、比較的そうではない方もいらっしゃいます。
「こんな先生が世の中にはいるんだ!」と、目を開かされる思いで読みました。

その中でも今回は、木下晴弘先生のことを紹介されているところをひとつ、引用します。


・(略)「イラン・イラク戦争」の出来事を話されました。
 でも、木下先生の話はその戦争の説明ではないのです。
 その時代に生きていた「人」の物語なのです。

(p82より)


著者が木下晴弘先生の講演会に行かれたときの話です。

​​​「説明ではない。物語だ」​​
というところが、とても象徴的で、普遍的なところだと感じたので、今回特に取り上げさせてもらいます。

授業によしあしがあるとすれば、それはいったいどこで判断するか?
僕は、「教師の一方的な説明になっていないか」ということを、かなり重視しています。

今回引用された箇所は講演会の話題なので、基本的には演題の演者が一方的に話す場面が想定されます。
それであっても、それは説明ではない、と言われています。
これは、非常に大切なことです。

もしも一方的に書かれた物や話されたことが、一方的ではなく双方向的なものになりうるならば、それは、そこに物語があり、世界があり、演者はそれを提供するに過ぎず、聴衆はその世界・そのもの物語の中で自由に感じたり考えたりできるということだ、と思っています。

学校の授業も同じです。
講演会と違って子どもたちと「先生」がフラットな場で対話しやすい学校の授業ならば、むしろさらにそれは実現しやすいと思います。

​​​「説明ではなく、物語になっているかどうか」

僕は、自分が話をする際、このことをしっかり気に留めておきたいと思いました。

明日は勤務校の卒業式です。
6年生の先生方は、子どもたちに、きっとこの1年間にあった「物語」を語られると思います。

「物語」を、だいじにしよう。ぽっ


P.S. 木下晴弘先生の本です。(ほかにも多数)
   ↓

『ココロでわかれば、人は”本気”で走り出す! 人を教え伸ばす力は「感動」にあった』
(木下晴弘)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年03月22日 20時12分23秒
コメント(0) | コメントを書く
[話し合い・話す・聞く] カテゴリの最新記事


PR

プロフィール

にかとま

にかとま

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

サイド自由欄

カレンダー

バックナンバー

2024年05月

お気に入りブログ

かに型駅弁 2024.04… New! 森3087さん

コメント新着


© Rakuten Group, Inc.