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 alpen@ Re:JAZZベーシスト 伝法諭 さんのこと(07/29) オフィスDENの電話番号を見つけることが出…
2006/10/06
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カテゴリ:BATON & OPINION
題名、欲張りましたが全部を今日書けるとは思いません。
なら、なぜそんなタイトルにしたかというと、最近思うところの全部が繋がっていて、自分の中には「ブレ」がないと、再確認した嬉しさの表明ですね(笑)

まず、ニュースとしては数日遅れを取っていますが、ポリネシア政府が日本人作家Sを告訴することに閣議決定したということで。
例の、日経新聞エッセイで作家Sが明らかにした、

「私は自分の飼い猫が産んだ子猫を崖に投げ捨てています」

という行為に対して、
仏領ポリネシア政府は動物愛護法における虐待行為に当たると判断したということですね。

詳細は、今ならまだ読めるニュースのURLをここに置きます。


この件、最初に知った時から、そのおぞましい傲慢な考え方と言い分に、同じ土俵で論ずることさえ拒絶したかった私は、他の方のところへ2~3のコメントを入れただけでしたが、上記ニュースを受けて、また、ポリネシア政府の公式発言としての

「その虐待行為をタヒチにおいては極めて自然なことであるかのように書いて自分の論理を正当化しようとするのは、作家を受け入れていた地元民に対する侮辱である」

という言葉を知り、さらには、私の理解不足かもしれない意見として、Sの行いを幾分か擁護するかのような発言を見聞きし、やっぱりちょっと書いておこうと思いました。

擁護論の中の代表は、

1.生と死を正面から捉えて、人の業から目を背けない作家Sにある種の崇高さを感じる

であり、これは彼女の作品のファンとして、テーマにも合致しているとの捉え方でしょう、多分。
また、

2.避妊や去勢も所詮は人間の都合・傲慢だろう

3.他の場面での動物の犠牲-実験動物や食肉-に無関心な動物愛護家こそ欺瞞

などの意見もあるようです。

面白い意見としては

4.法違反は自明の理なので告訴は当然。だがそれを倫理面から論ずるのは違う

というのもありました。

今回の作家Sの行為と結び付ける限り、私はこれらの意見のどれにも強く嫌悪を感じているのですが、ひとつひとつを論じるには長くなりすぎするので避けます。

ただ、1.に関しては、もともと私が好きではない作風なので、「個の経験や感じ方を人類全体の業にすり替えて自らの言い訳とするのは、作品の中だけにして欲しい」とだけ。

そして、「告訴されて有罪が確定すれば罰せられるのは、犯罪だ(法を犯した)から」という観点で私なりの意見をまとめると、上に挙げた2・3・4には反論代わりになるのかなぁと思います。

は、人間の社会秩序を保つために生まれた「人間の都合」による規範であり、その中には、一方の(獣も含む)個体に、他の個体が侵される危機をできうる限り避けるという「個の生存」に関わる問題の回避や、社会が構成員個々の「利益」や「心地よさ」の折り合いをつけることに対する「知恵」が盛り込まれていて、
だからこそ「遵守すべき」とされ、法を犯した際には罰則を以って応じるという点で、好むと好まざるとに関わらず、合意しなければ社会構成員としては、はじかれてしまうようになっています。

自分で言っておいてなんですが、「心地よさの折り合いをつける」、これはあまりにも曖昧な言い方ですよね。
個々が何を持って「心地よい」と感じるかは それぞれ違うので、なかなか折り合いはつけられないでしょうが、でも真っ当な「法」は、そのあたりがなかなかうまくできている・・・
なぜなら、狭い意味での「法」は、もっと大きな意味での「法」をもとに作られているから、というのが私の持論であり、今回調べてみると、法の研究者たちの学説としても主流でした。

これまた長くなるのでとてもここには書けないのですが、「もっと大きな意味での法」の底流には「モラル」があり、そのまま日本語に訳するには適当ではないのですが、「良心」やら「倫理観」やらが「法」の成り立ちの原点にあるというわけです。

ですから、裁判の技術的な問題はどうあれ、有罪か無罪かに関わらず、法に抵触した行為というのは、人間の倫理という点からも責められるべき行為と言えると、私は思います。

この作家Sは、3頭の犬も飼っていて、うち2頭はメス犬で、作り話か本当か、産まれた子は’始末’したとの発言が、このエッセイの前にあったとのことで、
私個人的には、言葉を使うことを職業にする人間がやった「子犬・子猫殺し」は反吐が出るし、そのあとの「自分は悩んだ末の行為なので潔いが、他の動物愛護家は正義面した欺瞞に満ちた存在」とする言葉に至っては、その想像力の無さと傲慢さに、開いた口が塞がらないというところです。

私の家の猫は、捨て猫です。雄と雌の2匹を、明日は保健所というところで引き取って、その後の繁殖のことを思うとそれ以上の責任を取れないと判断し、断腸の思いで、医者に費用を払って、避妊・去勢手術をしました。
私自身は、二人の子(人間のね)を自分の手で育てたくて、病んだ女性器の全的種出手術に同意しました。
同じと種類のとは言わないまでも、どちらの場合も激しい葛藤と痛みを伴いました。
どちらの場合も、「私の都合」ですから、痛みも費用も、私自身が引き受けました


命を奪う行為のうち、「人間の都合」で止むなしとされている以外の多くの行為を「法」で禁じているのは、利益と心地よさとの折り合いをなんとかつけようとする、言語を持つ、ヒトという種「知恵」です。
今現在「止む無し」とされていることだって、法の規制がかかる可能性はありますが、よほどのことがない限り、後退はないでしょう。

作家Sは、激しく断罪されてしかるべきと思います。

ノーム・チョムスキーが、
「人間の能力の核となる部分を研究できる分野のひとつ」
「その研究は、うわべだけの理解を超えた成果を得ることができる」
という、「言語」

また、聖書に「最初に言葉ありき」と書かれて、ヒトを他の動物と大きく分かつ要素である「ことば」

作家Sは、少なくとも
「言葉を生業とする」という分野では社会的には葬られてしまえばいい
と、密かにのろいをかけました(爆)







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最終更新日  2006/10/07 02:18:05 AM
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