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2009/05/04
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カテゴリ:音楽
忌野清志郎の世界はいまひとつ私の好みではないが、とてもすごい人だったと思い
ますね。彼をじかに見たのは1970年代後半の京都のライブハウス磔磔でした。

彼が1972年にRCサクセションとしてヒットさせた第3弾の「僕の好きな先生」は
とても調子っ外れの飄々とした変な歌でした。同じ頃、よく似た曲想の古井戸の
「さなえちゃんも流行ってましたが、後年彼等は一緒に活動します。

しかしそららのヒットの後はまったく音沙汰なく、バンド名もすっかり忘れ去ら
れていました。京都の磔磔でひょっこりライブに遭遇したのはその頃でした。
休日だったので客席はほぼ埋まってましたが、一緒に行った友人たちは彼等を全然
知らない。他の客も半数は興味なさそうな雰囲気の中で彼は熱演してました。

私はこの人達いつまで続くのかな、なんて冷ややかに思いながら見ていたのを覚え
ています。実際、当時の彼等はレコード会社にも相手にされず客も集まらず、売れ
ないミュージシャンとして、他のバンドの前座をしてひたすら耐えて生き延びて
いたようです。ただ、かろうじて陽水のアルバムを手伝った印税があったため、
なんとか食いつないだとのことです。
それが80年台に入って彼等の運は一気に開け、それ以降は皆さんのほうが詳しいで
しょう。

どん底から頂点まで極めながらその姿勢は変わらなかったようです。いろいろ物議
もかもしましたが、型破りで、芯の通ったミュージシャンでした。これこそロック
だと言える生き方でしたね。

「My Favorite Teacher」 RC・SUCCESSION(Only music)

Fluid - さなえちゃん





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最終更新日  2009/05/04 11:52:52 AM
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