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カテゴリ:建築
京都御所に沿う寺町通りの鴨沂(おおき)高校の前を通りかかると 1枚の手描きポスターが。「さようなら校舎」。 あれれ、また歴史的建築を取り壊すのか、困った京都です。 気になって調べると、老朽化のため表門以外はすべて建て替えとか。 当然、卒業生や文化人が反対運動を起こし、校長側の全面解体案に 対して、耐震強度の再評価や部分補修での保存を主張しています。 鴨沂高校の前身はあの「女紅場」。 NHKの「八重の桜」に出てくる女子学校です。 どっしりした和風の表門は、初代の女紅場が置かれた旧・九条家 河原町邸の門。八重さんはその頃、この門をくぐっていたようです。 その後、女紅場が寺町に移転した時に移設されました。 この表門については「保存の方向で考えている」とのことです。 しかしそれ以外の校舎群はすべて取り壊し予定で、保存の予定なし。 帝冠様式っぽい和洋折衷の建築なので、決して恰好良くはないが、 日本の建築が歩んだ歴史的構築物としての価値は高い。 報告書を見ると、本館、体育館、図書館、地下通路、屋内プール棟 があり、それぞれモダニズム様式で、味のある風貌です。 また九条家から移設された表門、茶室、和風校舎なども残っており、 明治の歴史的施設として大切にすべき建築群だと思います。 ちなみに、この茶室について追記すると、男の文化とされてきた 茶の湯を女史教育に取り入れ、現在の女子のたしなみとして根付 かせたのが八重さんであり、この茶室というわけです。 京都府立鴨沂高等学校1872-2013α 京都府立鴨沂高等学校既存建築調査報告書より 冷泉家「「守る力」の秘密/冷泉貴実子さん だから、そこそこの価値ある建築物なのですが、老朽化が激しく、 補修も十分とは言えないようなので、ここで学ぶ生徒達には決して 理想的環境とは言い難い。 そこをなんとかしたいけれど、歴史的建築の保存と活用の両者を 共存させるのは至難の業。大変な知恵や技術や費用がかかる。 これはすべての京都人がかかえる悩みです。金も出さずに保存保存 と言い立てられてもねえ、とボヤくことになります。 とはいえこれら文化面に配慮しない全面建替えは、乱暴な話に聞こ えます。ただ、論議は学校運営など多岐にわたる問題に膨らみ、 ややこしい方向に進み始めています。 京都府立鴨沂高等学校1872-2013α(facebook) (建て替えに関する進捗状況がわかるファンサイト) 仮校舎で学び始めた生徒たちのことを考えると、具体計画が公開 されてないということ自体が問題。議論内容を整理するなどして 泥沼化を避け、なるべく早期に進めるべきでしょう。 校舎建築にとっても、生徒にとっても喜ばしい結果が訪れるよう、 願いたいものです。 <初代女紅場/旧・九条家河原町別邸>(写真は3D京都より) ちなみに、 初代の女紅場は、鴨川のほとりにあった九条家の河原町別邸に開設 されてます。公家さんたちが東京に去ったので、沢山の屋敷が払い 下げられていたそうです。 この地には大正12年になって、塔を持つ3階建ての旧・京都中央 電話局上分局 が建てられました。 <旧・京都中央電話局上分局・フレスコ> 鴨川に架かる丸太町大橋のほとりにそびえ建つこの建物は、古都の ランドマークとして良い風情をかもしています。 緩く反った瓦屋根と塔が特長で、幼い頃より私の好きな建物でした。 いつか買い取って住みたいという夢は、今のところまだ実現してません。 電話局が転出後、この建物は2-3階がスポーツジム。1階はレストラン を経て、今はスーパー・フレスコになっており、私も時々買い物に 行ってます。貫禄ある外観のスーパーです。 梅のコージさんのブログ/3D京都 新島八重と一枚の古写真より「九条家の河原町別邸と思われる写真」 (鴨沂高校、九条邸、新島譲邸の位置がよくわかります) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/09/19 03:44:20 PM
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