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2014/09/27
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カテゴリ:日常
京都の話題もこれで切り上げますが、最後にちょっと変わった
神社を紹介します。そこには日本の大国主命、中国の神農、西洋
のヒポクラテスの3体が祀られているのです。


さて、二条通りは室町時代から薬屋が多かったからか、ここに
秀吉は薬商を集めたので、二条薬業同業者町と呼ばれました。
江戸期には「一条戻り橋、二条きぐすり屋、三条みすや針、四条
の芝居. 五条の橋弁慶...」とわらべ歌で詠われるほど各町筋は
栄ました。

薬祖神祠01-w400
<山村寿芳堂、薬祖神祠、二條薬業会館>

そんな二条の薬屋も今ではすっかり少なくなりましたが、所々に
時代を感じさせるお店が見受けられます。その一画に古めかしい
建物とレトロな建物に挟まれた神社があります。
左の建物は江戸時代創業の「山村寿芳堂」、右はアールデコ風の
「二條薬業会館」です。

その間に挟まれているのが、「薬祖神祠(やくそじんし)」です。
鳥居があって奥に祠があるのですが、その参道に祭祀用の安置所
が建てられ、ガラス越しに参拝するようになってます。

薬祖神祠02-w400
<奥に祠が見えます、右手前は神農さんの像>

二条の薬業仲間達は江戸時代にこれらを信仰を始め、明治になって
この地に神社を移したそうです。ここは正式には神社ではなく祠
(ほこら)と呼ぶそうです。

「薬祖神祠」には
・漢方医療の祖である中国の神農
・和薬の神である少彦名命と大己貴命(大国主命の別名)
・そして西洋医学の祖とされるギリシャの哲学者ヒポクラテス
が祀られてます。

中国の神農とは、中国の伝説上の帝王で農業神とも言われており、
農業と医学を人々に教えたとあります。中国茶の祖でもあるそう
です。

大己貴命は大国主命とも呼ばれ、毛をむしられた因幡の白兎に
治療法を教えた説話にもあるように医薬の大神で、共に活動した
少彦名命と共に祀られています。

ヒポクラテスはギリシャの医師として、迷信や呪術に縛られていた
当時の医学を臨床と観察を重んじる経験科学に発展させ「医学の祖」
と称されてます。そういえば大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」
という医学生を描いた映画もありましたね。
明治に西洋医薬が入ってきたので薬屋さんたちが合祀したのです。

ガラス窓から覗いて見ると、農神やヒポクラテスの像、神輿や太鼓
などが散漫に置かれているのがちょっとご愛嬌。

薬祖神祠03-w400
<神輿とヒポクラテス像のツーショット>


今回、何故この話を出したかと言えば、私の父の実家が薬問屋で
この町筋とは深いつながりがあったからです。

以前にもこの日記に書いたのですが、切手マニアの父が残していた
数十枚の葉書の束は明治30年前後の薬の発注葉書でした。差出し人
を見ると確かに京都の二条の薬屋が多く、「薬祖神祠」の隣の
「山村寿芳堂」からの葉書も沢山ありました。父の実家はこの町と
は取引だけでなく、使用人の移動、お店の合併などの交流もあった
とのこと。

山村葉書01-w400
<筆書きの薬の注文書>

私の親しい先輩の本家筋も二条通りの薬屋だそうで、現在も工業用
薬品を商われており、この町は日本の産業振興をも支えてきたようです。


町衆は「薬祖神祠」を「神農さん」と呼び、その祭りは明治大正には
大変賑わい、京都の大きな祭りのひとつに数えられていたそうです。
今はすっかり地味になったようですが、薬祖神祭は11月にあるので
一度覗きに行ってみましょう。






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最終更新日  2014/09/28 12:37:49 AM
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