|
カテゴリ:日常
京都の話題もこれで切り上げますが、最後にちょっと変わった
神社を紹介します。そこには日本の大国主命、中国の神農、西洋 のヒポクラテスの3体が祀られているのです。 さて、二条通りは室町時代から薬屋が多かったからか、ここに 秀吉は薬商を集めたので、二条薬業同業者町と呼ばれました。 江戸期には「一条戻り橋、二条きぐすり屋、三条みすや針、四条 の芝居. 五条の橋弁慶...」とわらべ歌で詠われるほど各町筋は 栄ました。 <山村寿芳堂、薬祖神祠、二條薬業会館> そんな二条の薬屋も今ではすっかり少なくなりましたが、所々に 時代を感じさせるお店が見受けられます。その一画に古めかしい 建物とレトロな建物に挟まれた神社があります。 左の建物は江戸時代創業の「山村寿芳堂」、右はアールデコ風の 「二條薬業会館」です。 その間に挟まれているのが、「薬祖神祠(やくそじんし)」です。 鳥居があって奥に祠があるのですが、その参道に祭祀用の安置所 が建てられ、ガラス越しに参拝するようになってます。 <奥に祠が見えます、右手前は神農さんの像> 二条の薬業仲間達は江戸時代にこれらを信仰を始め、明治になって この地に神社を移したそうです。ここは正式には神社ではなく祠 (ほこら)と呼ぶそうです。 「薬祖神祠」には ・漢方医療の祖である中国の神農 ・和薬の神である少彦名命と大己貴命(大国主命の別名) ・そして西洋医学の祖とされるギリシャの哲学者ヒポクラテス が祀られてます。 中国の神農とは、中国の伝説上の帝王で農業神とも言われており、 農業と医学を人々に教えたとあります。中国茶の祖でもあるそう です。 大己貴命は大国主命とも呼ばれ、毛をむしられた因幡の白兎に 治療法を教えた説話にもあるように医薬の大神で、共に活動した 少彦名命と共に祀られています。 ヒポクラテスはギリシャの医師として、迷信や呪術に縛られていた 当時の医学を臨床と観察を重んじる経験科学に発展させ「医学の祖」 と称されてます。そういえば大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」 という医学生を描いた映画もありましたね。 明治に西洋医薬が入ってきたので薬屋さんたちが合祀したのです。 ガラス窓から覗いて見ると、農神やヒポクラテスの像、神輿や太鼓 などが散漫に置かれているのがちょっとご愛嬌。 <神輿とヒポクラテス像のツーショット> 今回、何故この話を出したかと言えば、私の父の実家が薬問屋で この町筋とは深いつながりがあったからです。 以前にもこの日記に書いたのですが、切手マニアの父が残していた 数十枚の葉書の束は明治30年前後の薬の発注葉書でした。差出し人 を見ると確かに京都の二条の薬屋が多く、「薬祖神祠」の隣の 「山村寿芳堂」からの葉書も沢山ありました。父の実家はこの町と は取引だけでなく、使用人の移動、お店の合併などの交流もあった とのこと。 <筆書きの薬の注文書> 私の親しい先輩の本家筋も二条通りの薬屋だそうで、現在も工業用 薬品を商われており、この町は日本の産業振興をも支えてきたようです。 町衆は「薬祖神祠」を「神農さん」と呼び、その祭りは明治大正には 大変賑わい、京都の大きな祭りのひとつに数えられていたそうです。 今はすっかり地味になったようですが、薬祖神祭は11月にあるので 一度覗きに行ってみましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014/09/28 12:37:49 AM
コメント(0) | コメントを書く
[日常] カテゴリの最新記事
|