行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
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蒲郡北駅前の地下に志な乃という居酒屋がありました。
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飯田出身の女将さんが地下街が出来たころからやっている一番古い店でした。常連からはお母さんと慕われていました。昔は労働組合の闘志として活躍していたという話もあります。イチゲンさんお断りで、特に酔っ払っいが来ると予約でいっぱいだからと断っていました。私も最初に看護婦さんに紹介されて行ったのですが、Tシャツにスニーカーで最初に入ったら危うく断られそうになりました。銀行関係、市役所関係、学校関係、病院関係などスジのよいお客さんがほとんどでした。
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魚は上に上がった通りにある魚仙から仕入れていましたが、いつも新鮮なものがあり、頼むと山盛り出してくれます。
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穴子も美味しくてよく頼みました。ビールは冷蔵庫から自分で出して飲みます。最後はご飯とおみおつけで締めて、いくら食べても2,000円を超えたことはありません。
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時々、ワラビや淡竹を持って行くとそれもサービスで出してくれます。
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競艇の師匠と最初に出会ったのもこの店で、競艇好きの蛭子さんや神田川の作詞をした喜多條先生に会ったのもこの店です。一度は蛭子さん、喜多條先生、元SGレーサーの中道、競艇の師匠と飲んだこともあります。蒲郡出身の漫画家、高信太郎も帰ってくると必ずこの店に来ました。
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40年ほど病気の時以外はお盆、正月でも毎日店を開けていましたが、2010年7月、とうとう店を閉めました。恐らくお母さんは90歳くらいになっていたと思います。それから私の居酒屋放浪の旅は安住の地を求めて続いています。