私が蒲郡市民病院に新進気鋭の第二外科部長として赴任したのは35年前、1987年のことでした。専門は乳腺・内分泌外科でしたが、300床あまりの地域中核病院では専門の外科だけをしている訳にもいかず、時々来る外科の研修医を指導しながらヘルニア、ヘモ、アッペンを始め消化器外科のほぼ全ての領域をカバーしなければなりませんでした。消化器内科も常勤はいましたが、手薄で胃透視や胃カメラも自分でして、放射線科も最初は常勤がいませんでしたので、CTの読影も自分でして、病理も非常勤しかいませんでしたから、術中迅速病理診断も自分で診ていました。病院から頼まれる、臨床研修委員長や広報委員長も引き受ける傍ら、年に10回くらいは各種学会で発表していました。さらに1996年からは蒲郡警察署の警察医を引き受け、皆が嫌がる検死・検案も始めました。来るものは拒まず、去る者は追わずと言う方針でしたから、私の外来には他の科で診てもらっても診断がつかない患者がよく集まって来ました。ある時、外来の看護婦さんが20歳くらいの若い医療事務の女の子を連れて来て「先生、この子を診てあげて。」と言います。旧病院では医療事務も市の正職員でしたが、新病院に移転してからは日本医療と言う会社が委託されて入りました。高校を出て日本医療に入ったその女の子は時々腹痛を訴えては仕事を休むことがよくあり、消化器内科で診てもらっても何も異常が見つからないとのことでした。腹痛も腹膜刺激症状を伴うような強い痛みではなく我慢できないことはありません。同僚からはただの怠け癖と白い眼で見られていました。原因のない症状はないはずと思い、食も細く、痩せぎすの子でしたから、ひょっとしてSMA症候群と疑いました。最初の症例でしたので、まだはっきりと診断基準を作ってはいませんでしたが、UGIとCTを撮ってほぼ間違いないと確信しました。3か月ほど保存的に様子を見ましたが、体重も増えず改善の徴候がなかったので、informed consent をした上でバイパス手術を初めてしました。術後経過は良好で約1週間の入院で無事退院、その後は症状もすっかり取れました。数年後に寿退社となり、知多で行われた披露宴に呼ばれた時には外科医として至福の一時を過ごすことが出来ました。
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Re:SMA症候群の臨床7─きっかけとなった症例(09/29)
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bokeab さん |
良い話が聞さんとはけました、私も先生に助けて頂いた一人今でも感謝しています、TVドラマ「半沢直樹」見られましたか?原作者池井戸潤は親父広見の母親の
在所で薄い親戚です父親至誠さんとは交流があり詩が得意な文学者です、
愛艇会はコロナで中止ですか、バリヤフリーで手すりを作られたことがありましたね今それを見らなって作っています、
(2020年09月29日 21時54分25秒)
Re[1]:SMA症候群の臨床7─きっかけとなった症例(09/29)
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ドクターT さん |
bokeabさんへ
●そろそろ愛艇会もやりたいですね。中垣君に訊いてみます。
(2020年09月30日 22時47分26秒)
Re[1]:SMA症候群の臨床7─きっかけとなった症例(09/29)
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ドクターT さん |
bokeabさんへ
●半沢直樹面白いですね。見てましたよ。
(2020年09月30日 22時48分23秒)
Re:SMA症候群の臨床7─きっかけとなった症例(09/29)
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ポッキー6093 さん |
半年間SMA症候群で悩んでいます。保存療法で治ると信じて、治療、入退院を続けてきましたがどんどん症状が強くなり限界です、、
どうか助けていただけないでしょうか。
(2021年08月27日 09時27分34秒)