【ウズベキスタン旅行】世界遺産ブハラ ~イスマイール・サマニ廟 ~カラーン・モスク ~ミル・アラブ・メドレセ ~ナディール・ティヴァンベキ・メドレセ
20世紀の初頭までブハラ・ハーン国の首都だった「修道院」を意味するブハラ13世紀のモンゴル帝国の来襲でほぼ壊滅しましたが16世紀のシャイバニ朝の時代に復興旧市街は2000年にユネスコ世界文化遺産に登録されています892年から943年にかけて建てられたイスマイール・サマニ廟はイスマイールが父のために建立したとされる中央アジアに現存する最古のイスラム建築物、モンゴル帝国の襲来時には砂の中に埋もれていたため破壊を免れたらしい です日干しレンガで造られた外装の意匠が特徴的…四隅には太い円柱、10m四方の正方形の上に内径8mのドームが載せられた形状1,000年以上前の建物とは思えないモダンともいえる建物複数入り口がありますがどれが正面入り口なのかは不明なんですってレンガの凹凸だけでこんなに複雑な陰影が出せるって…丸と四角の幾何学模様はゾロアスター教のものだそう9世紀末に中央アジアに成立したサマーン朝の王族の廟それ故サマーン朝の名君イスマイール・サマニの名前がつけられていますが実際にイスマイールが眠っているかどうかも不明だそうですまるで小さな宝石箱のような美しさ…にこやかに笑ってくれる愛想のよいおばちゃま達 好きだわ~お茶を飲むおじさん達も良い味出してるわよねあらっここにも民族衣装の女性にわかウズベクのnanaっす w/友 双子コーデって訳じゃないんだけど…池の向こうには城壁も見えてますちょっと残念な… ミッキー達もいたよ 怖っアルク城は歴代ブハラ・ハーンの居城だったそうですアルクは「城」の意味なので城城モンゴル軍によって破壊され立てこもった市民が虐殺され…その後も再三破壊され、その度に再建し… を繰り返したものの1920年のソビエト赤軍による爆撃でほぼ全壊再建された城壁の美しいこと…ちなみにこの広場はかつては公開処刑場だったらしくハーンの圧政に抵抗する市民たちの首を切り落としていた場所…やっぱり血なま臭い話多いです1514年のシャイバニ朝時代に建築されたブハラで最大のカラーン・モスクカラーンは「大きい」の意味で約1万人もの信者が同時に礼拝できるそうです確かに …広い礼拝所 青天井だけどね回廊の天井は208本の柱で支えられ288個の丸屋根で覆われているそうです …見えないけど唯一ともいえる屋内のミフラーブには美しいモザイク ミフラーブから先に見えているのは向かいにあるミル・アラブ・メドレセのドームきれいな「青」が施されているモスクの入り口左側にあるのが…ブハラのシンボル、1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられたカラーン・ミナレット高さ46m、土台部分は10mも地下に埋められているそうですこのミナレットはほぼ茶色… 高層の部分だけ青いかな日干しレンガの積み方だけで14層もの帯状の模様が付けられていて手の込んだ凝った造り …入場は不可 ちっブハラを徹底的に破壊したチンギス・ハーンもカラーン・ミナレットだけは壊さずに残したんですガイドさん曰く…『チンギス・ハーンがカラーン・ミナレットを見上げたときに帽子を落としてしまいました。腰を屈めて帽子を拾ったチンギス・ハーンは言いました。「この塔は私に頭を下げさせた偉大な塔なので、壊さないように」と』こんなステキなエピソードが残されている一方18~19世紀には罪人を塔から投げ落とす死刑場でもあったのだからオドロオドロシイカラーン・モスクの真正面に位置しているのは1536年にウバイドゥラ・ハーンによって建てられたミル・アラブ・メドレセ青と白のモザイクタイルからなる植物文様と文字文様を組み合わせた模様は典型的な末期ティムール様式の装飾だそう天井は渋色ですな中庭を取り囲むような二階建ての建物は現役の神学校なので入れません道路の交差点をドーム型の屋根で覆ったバザール、タキタキは「丸屋根」の意味だそう…これ書くまでバザールのことだと思ってた、調べて良かった ほっ5つのタキがあったそうですが、現在では宝石のタキ・ザルガロン帽子のタキ・テルパクフルシャン両替のタキ・サラファンの3つだけ残っていますそのタキ・ザルガロンのコウノトリの形のハサミ等を扱う刃物屋さんブハラと言ったら刃物だそうで、その中でもコウノトリのハサミはブハラにしか職人がいない伝統的なハサミなんですってティムールの孫のウルグ・ベクが1418年に建設した中央アジアで現存する最古のウルグベク・メドレセウズベキスタンの各地にウルグ・ベクの名前が冠された建物はあるそうですが、ブハラでは唯一のウルグ・ベクゆかりの建物です修復が行われないのか、中は結構ボロかったけど…5人も入ればいっぱいになりそうな小さな教室が残っていましたランチはとりあえずビール しっかしさあ、まったく同じ銘柄なのに瓶が違うって… かなりアバウトだな1622年にブハラ・ハーン国の大臣ナディール・ディヴァンベギによって建てられたナディール・ティヴァンベキ・メドレセ入り口には二羽の鳳凰が白い鹿 …馬のようにも豚のようにも見えんことないを掴んでドヤ顔の太陽に向かって飛んでいる絵が描かれています偶像崇拝を否定するイスラム教義に反していますよねキャラバン・サライ(隊商宿)として建てる予定だったので動物を描いても ってことだったのに完成してから「実はこれはメドレセだったのよ~ん」って宣言しちゃったんだから確信犯というか詐欺っぽい話ですナディール・ティヴァンベキ・メドレセの前には神学者像があり馬のシッポを撫でると金持ちになって右足の靴を撫でると健康になるんですって …モチロン シッポ派ブハラのオアシス、1620年に作られたリャヒハウズ ハウズは「池」の意味です周りにはチャイハナ(茶店やレストラン)があり長閑な憩いの場って感じでしたねリャヒハウズに面して建っていたモスクを外から眺めてブハラ終了っブハラのホテルにはバーがありまして…ありがたやありがたやのビールタイムアルコール度数が11.5%と目を疑うような高さだけれど案外あっさりしていてうまかったのよん …効率よく酔えるとも言えるナディール・ティヴァンベキ・メドレセで民族舞踊とファッションショーという不思議な組み合わせウズベク人は東洋っぽい顔だったりロマっぽかったりインド系だったり…なんだけど、こういうときに出ている人ってほぼほぼ西洋っぽいお顔立ちなんだよね…を見ながらのディナーはこんな感じ ええ、また餃子 好きだねぇ続きはこちら 4. ティムールの生まれ故郷で世界遺産のシャフリサーブス ~ドルティロヴァウト建築群 ~ドルサオダット建築群 ~アク・サライ宮殿跡2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします