ウズベキスタンを訪れたいっ
と考える人ならおそらく誰もが「サマルカンド・ブルー」を
目指しているんじゃないかな …そんな「青の都」
ググってみると、他にも「イスラム世界の宝石」とか
「東方の真珠」とかね、とにかく美しいのだっ
オシ
モンゴル軍の攻撃で破壊されましたがティムールによって復興
2001年に文化交差点として世界遺産に登録されています
「支配者の墓」という意味のグリ・エミル廟は
ティムール、息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベク
ティムール一族が眠っている…
まんまというか、まさしくな名前の霊廟です
1996年に修復されたのでサマルカンドブルーの丸屋根が輝いているわ
実は前日ライトアップされたグリ・エミル廟を訪れていまして…
まったく印象は違うけれど、どっちも甲乙つけがたく美しい
iPhoneで夜景は暴挙ですが… 幻想的です
あまりの日差しの強さも… 写真が撮りにくいです
グリ・エミル廟の丸屋根の装飾が美しすぎて …溜息
上部にムカリナスが施されたミナレットも美しいし
もちろんブルーとグリーンのタイルも
グリ・エミル廟は元々ティムールがトルコ遠征中に死亡した
孫のムハンマド・スルタンを葬るために1404年に建設したのですが
ティムール自身も翌年に死亡してしまい
この廟に葬られることになったのです
ティムールは生まれ故郷のシャフリサーブスに葬られることを
希望していたんですけれどもね…
豪華絢爛としか形容できない金の装飾と
植物やアラビア文字がモチーフの模様で埋め尽くされていまして…
修復の際には3kgもの金が使われたとか…
墓石は全部で8つ
中央の黒緑色のオニキスで作られた墓石がティムールのもの
…実際の亡骸は地下に葬られています
1941年にソ連の学術チームの調査によって
ティムールの足が不自由であったこと、孫のウルグ・ベグは…
…断首されて亡くなったことが確認されたそうです
この学術チームが発掘した際、ティムールの棺の裏には
『私がこの墓から出た時には大きな災いが起こるだろう』
という書かれていたそうで
実際に墓が開けられたほんの数分後にドイツがソ連に攻撃を開始したんですって
それ以来、ティムールの墓の蓋は溶接されて二度と開けられていないそうです
サマルカンドの象徴というよりもレギスタン広場
シルクロードの象徴とも言えるレギスタン広場
左からウルグ・ベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセ
シェルドル・メドレセがコの字形に並んでいます
14世紀のティムールの時代に大きな屋根つきのバザールが造られ
現在のような姿になったのは、17世紀になってからということです
正面にティラカリ・メドレセから歩くことに
1660年に建設されたティラカリ・メドレセ
当時はサマルカンドの他のモスクがほとんど破壊されていたため
メドレセ(神学校)だけれどメインモスクとして使われていたそう
ティラカリとは「金箔を施された」という意味で
中庭を入り左手の青いドームの下にある礼拝所は…
その名前の通り…
キンピカ
金箔で覆っているだけじゃなくて
金箔を使って美しい模様が描かれているのよ
でもって、この天井
丸いドームのように見えますが、実は平面
遠近法を用いて丸く見えるようにしているんですって
建設時に5kg、修復するときには3kgもの金が使われたという内部は
ミフラーブや壁も星・植物・アラビア文字がモチーフになった模様で
飾られ …目がチカチカするほど
タンポポの綿毛を吹くおばちゃま …微笑ましいわ
1420年にティムールの孫ウルグ・ベクによって建設され
レギスタン広場では最も古いウルグ・ベク・メドレセへ
アーチの両側に建っているミナレットの片方が傾いているのは
重すぎるんだとか…
そうやって他も見みると結構な確率で傾いているミナレットや建物あります
入り口のアーチの装飾 …きれいだわ~
天文学者でもあったウルグ・ベクは自ら教壇に立って
イスラム教の教義や作法、天文学・数学・哲学なども教えていたそう
中庭正面にある中にはウルグ・ベグの像もありましたが
博物館のようになっていて… これと言って何もないところです
1636年にウルグ・ベク・メドラサを模して建てられたという
シェルドル・メドレセ
シェルドルは「ライオン」の意味でして…
ライオン描かれていいるんですよ …トラじゃね
だけどね
シカを追いかけるライオンと人面太陽が描かれています
これは偶像崇拝を否定するイスラム教義に反していますが
支配者が権力を誇示するためだったとか…
ミナレットやタイルの素晴らしさは
もちろんココも引けを取らない美しさ
メドレセの入り口のアーチは高さがありますが
建物としての役割はなく、一種の飾りなのでしょうか…
裏はこんな なんです
中庭にはたくさんのお土産屋さんが並んでいるのですが
このメドレセには珍しく伝統楽器を扱っているところも
やっぱりサマルカンドブルーのドームとミナレットは
ビューティフォ
ワンダフォ
興奮冷めやらぬ中…
ビールじゃなくてランチ
大都市になってきたせいか洗練されてきた感じ
もっとも食材は変わらず… ポテトとキャロットフル
ウズベキスタンはお米もよく食べるそうで
この日も添えられていました
続きはこちら 6. 世界遺産サマルカンド ~シャーヒ・ズィンダ廟群 ~ビビハニム・モスク ~タシケントへ
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