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2017.02.03
全315件 (315件中 1-10件目) 海外旅行
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月18日(木) この日は帰国するが、午前中は、アテネ市内を観光した。 アクロポリスの丘の後、バスで移動。 ![]() バスの窓からも古代の建物の遺跡が見えた。 道は相変わらず混んでいる。 ![]() アテネは、坂道があるからか自転車ではなく、オートバイが多かった。 ![]() 使い込んだオートバイを取られないように、厳重に繋いである。 ![]() ■パナシナイコスタジアムは■ ギリシャのアテネにある競技場。 1896年の第1回近代オリンピックが初めて開かれた場所でもある。 ![]() 古代オリンピックにならい、トラック(1周330m)の直線が極端に長く、コーナーはヘアピンカーブ。 ![]() 総大理石造りのスタンドは4~5万人収容。 ![]() 2004年の第28回大会では、男女マラソンのゴール地点とアーチェリーの会場に使われた。 ![]() ▲周りには、古代オリンピックを思わす像が・・・。▼ ![]() ![]() バスの中から、美しい建物が見えた。 高いところにある二つの像のうち、左が、 ![]() アテネの守り神、アテーナの像。 ![]() この他、丘の上からみたアクロポリスの丘。 ![]() 丘に登る途中には、アカンサスがたくさん生えていた。 アザミに似た形の葉は古代ギリシア以来、建築物や内装などの装飾のモチーフとされる。 特にギリシア建築のオーダーの一種、コリント式オーダーはアカンサスを意匠化した柱頭を特色としている。 ギリシアの国花。 ![]() 古代ギリシア文化がこの装飾の起源であり、渦を巻く葉の先端はローマ人によって磨きをかけられた。 アカンサスのデザインの人気は、ビザンティン、ロマネスク、ゴシック建築の時期まで続き、ルネサンス期に復興、現在まで支持され続けている。 ![]() ■中ノ島ダイビルの柱を飾るアカンサス模様■ ![]() ![]() アテネ市内でランチ。 ![]() 今回の旅行最後の食事。 ![]() イエミスタ(トマトのライス詰め)。 ![]() この後、帰国の途に。 エーゲ海イカロスのごと飛び立ちぬ はるな ■ギリシャ神話イカロス■ イーカロスは、ギリシア神話に登場する人物の1人である。 蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得るが、太陽に接近し過ぎたことで蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して死を迎えた。 イーカロスの物語は人間の傲慢さやテクノロジーを批判する神話として有名である。 イーカロスの神話は、テクノロジー批判神話の一種であり、人間の傲慢さが自らの破滅を導くという戒めの意味もあった。 しかし、楽曲「勇気一つを友にして」のように、本来の教訓とは逆に、自らの手で翼を作り飛び立ったイーカロスを勇気の象徴として表している例もある。 ■ホテルの前にあったイカロス像■ ![]() 昔ギリシャのイカロスは ロウでかためた鳥の羽根(はね) 両手に持って飛びたった 雲より高くまだ遠く 勇気一つを友にして 赤く燃(も)えたつ太陽に ロウでかためた鳥の羽根 みるみるとけて舞い散った 翼(つばさ)奪(うば)われイカロスは 墜(お)ちて生命(いのち)を失った ![]() (▲サントリーニ島の夕日) 期待以上に楽しめたギリシャ。 行きは、ドバイまで10時間30分。 待ち時間5時間。 ドバイからアテネまで5時間10分。 帰りはアテネ~ドバイ 4時間30分 ドバイ~大阪 9時間15分。 ![]() ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 4月15日(月)クレタ島 4月16日(火)サントリーニ島。 4月17日(水)サントリーニ島からアテネに 4月18日(木)アテネ市内観光。帰国。 4月19日(金)関空着 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.05.25
テーマ:世界遺産紀行(1058)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月18日(木) この日、帰国するが午前中は、ギリシャ人のガイド氏の日本語でアテネ市内を観光した。 まず行ったのが、アクロポリスの丘。 ![]() ■アクロポリスの丘■ 紀元前8世紀ごろのギリシアには多くのポリスと呼ばれる都市国家が成立した。 ![]() アクロポリスとは、このポリスの中心部に作られた外敵を見張ることのできる丘のことで、「高い丘の上の都市」という意味。 だから、ここは、本当のいい方は「アテネのアクロポリス」。 ![]() アテネのアクロポリスは海抜150mの岩山の上にそびえる守護神をまつる聖域として、また市民が立てこもる要塞として2000年以上にわたってアテネの街を見守ってきました。 ◎足場が悪いので雨の日は、危険だから観光できないそうだ。 ![]() ■パルテノン神殿■ アクロポリスの中心となるのは、アテネの守護神・女神アテーナをまつるパルテノン神殿です。 この神殿は紀元前488年にペルシャとのマラトンの戦いに勝ったのを記念して作り始めましたが、紀元前480年にペルシャにより破壊されてしまいました。 ![]() ドーリア式の神殿は、合計46本の立派な円柱が支えており、 その表面に施された装飾彫刻には完成までに15年もの歳月を要した芸術作品だったと言われています。 残念ながら現在残るのはそのごく一部。 レリーフや破風(※)の像の一部は、アクロポリス博物館や大英博物館に保存されています。 ![]() ◎女神アテーナのシンボルは、オリーブの木。 アクロポリスの丘の周りにいっぱいあった。 ![]() ◎ユネスコのシンボルマークは、パルテノン神殿を図案化したものです。 ![]() 重厚なパルテノン神殿に対して北側には6体の女神像が屋根を支えるカリアティディス柱廊がイオニア様式の気品と優雅さを感じさせるエレクティオン神殿を見ることができます。 ![]() こちらはレプリカですが、かつての様子を忠実に伝えてくれています。 オリジナルのうち4体は仔牛を担ぐ男像などとともにアクロポリス博物館に収蔵されており、1体は大英博物館に収蔵されています。 ![]() アテナ・ニケ神殿は他の壮大な遺跡と比べると小さな神殿ですが、 真っ白な神殿は鳥かごのような可憐さを感じさせてくれ、 青空によく映えています。 神殿には勝利の女神ニケが祀られており紀元前424年に建設されました。 現在の神殿は20世紀に再建されたもので、以前の神殿は1687年のヴェネツィア郡との戦いでオスマン帝国が防衛施設を建設するために破壊してしまったと言われています。 ![]() ギリシャのサモトラケ島で発見され、ルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」が有名。 ![]() シンボルマークは、翼。 ![]() アクロポリスの麓ではギリシア最古の大型野外劇場であるディオニソス劇場も見ることができます。 石造りの劇場は紀元前325年に建設され、14000人〜17000人もの観客を収容することが可能でした。 ![]() その後はローマ式の劇場に改築されています。 ![]() さすが、世界有数の観光地。 係りの人が 「止まらないでください」と叫び続けていた。 ![]() ガイド氏は、冗談が上手で、 パルテノン神殿の大事な宝物をイギリスやフランスが持って行ったということを 「大英博物館に見に行ってください」と冗談半分、皮肉半分に言っていた。 ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 4月15日(月)クレタ島 4月16日(火)サントリーニ島。 4月17日(水)サントリーニ島からアテネに ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
2019.05.24
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月17日(水) ![]() この日、朝9時過ぎに、バスに乗って、島の真ん中あたりにあるフィラという町に行った。 ![]() (▲バスの中から見た並木道の木が白く塗られているのは、防虫のためだとか。) 公共バス(一人、1.8ユーロ)で、一駅のバス停で降りて、街中散策。 ![]() フィラは海抜300mで断崖の上に立つ島の中心の町です。 バス交通網はすべてフィラが起点となっていて、港や空港からのバスもこのフィラに着きますので、ほとんどの旅行者は、この町を訪れることになります。 ![]() テラスからエーゲ海の素晴らしい風景が見えるようになっている真っ白な可愛いホテルやペンション、ブティック、ジュエリーショップ、ギャラリー、レストラン、カフェ、お土産店などが並んでいて、いつもこの辺りは人々で賑わっています。 ![]() ![]() 眼下に広がる青い海と白い家並みが見事に調和しています。 ![]() 船から来て、この急峻な崖を昇るのは、 ![]() ゴンドラと ![]() かわいそう・・・。 ![]() サントリーニ島にはギリシャ正教の教会がたくさんありますが、その総本山がフィラの南端にある大聖堂です。 ![]() 広いアーチ型の回廊と鐘楼に特徴があります。 ![]() フィラには映画館もある。 ![]() ▲博物館もある。 ![]() ![]() ■亥年ですから??■イノシシも。 サントリーニ島にイノシシがいたのか? ![]() この海は、大昔の火山の噴火で出来た。 ■この海に落ち込んだ巨大なクレーターができたのは、紀元前1600年代。■ ここで未曾有の火山大爆発があり、島の中央部分が吹き飛んでしまったのです。 その時、島に人がいたとしても助かったものは誰もいなかったでしょう。 この時の衝撃は広く地中海世界に影響し、人々の間で語り継がれたはずです。 そしてこのサントリーニの火山の爆発が、アトランティス伝説の元になったのではないかという説があるのです。 アトランティスは、古代ギリシャの哲学者プラトンが記述した伝説の大陸です。 ![]() ここのホテルにも「アトランティス」という名前が・・・。 ![]() ランチは海の見えるお店。 ![]() ![]() ![]() ランチ後にも町なかを歩く。 時間があったので、みんなは、お土産に皿やスカーフなどを買っていた。 お土産は、食べ物と決めている私は、スーパーで、ドライトマトを見つけて買った。 14:40集合。帰りも、公共バスで、ホテルに戻る。 ![]() 町の景色。(▲細い路地) ![]() (▲一番上の通りには、時々、門のようなものがあって、カフェやレストランの入り口だった。) ![]() (▲通りも白と黒の石で美しく模様が描かれていた。▼) ![]() ![]() ▲所々に、「アート」が▼ ![]() ![]() ▲ギョギョ!! ![]() 雨量が少ないからか、サボテン系の植え込みを見かけた。 ![]() 道の端っこに、イチジクが生えていた。ど根性、イチジク!! ![]() サントリーニ島から飛行機で45分。アテネに。 ![]() ホテルで夕食。 ![]() STANLEY(スタンレー ホテル) ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 4月15日(月)クレタ島 4月16日(火)サントリーニ島。イアへ夕日。 4月17日(水)サントリーニ島・フィラ。飛行機でアテネに。 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.05.23
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月15日(月) ![]() 島の北に位置するサントリーニ島のイアは、夕日が有名。 サントリーニ島のパンフレットやポスター、写真集などの多くの写真の撮影地となっているのがイアの町。 ![]() イアの町から見る伝統的なキクラデス建築の白い家々。 青いドームの教会が印象的な風景が広がる。 イアの町で有名なのが夕日の美しい絶景スポット。 エーゲ海に沈む夕日と薄暗くなったイアの街並みのコントラストは素晴らしい。 ![]() ただし、あまりに有名で夕日の時間になると身動きができなくなるほど混み合うため、早めに場所を確保することをおすすめする。 ![]() イアの夕日を見るには、この建物のある広場を目指しましょう! 「Ekklisia Agios Onoufrios」と呼ばれる教会が目印になっていて、ここで写真を撮ったり、夕日を見た後の集合場所になっている。 ![]() イアの町は、 多くの観光客が美しい景観を楽しみに訪れるので、カフェやレストラン、ギフトショップなど軒をを連ね賑やかな街になっています。 ![]() 家々が崖にへばりつくように建てられており、屋根の上が道になっていたりしてわかりにくい。 ![]() 夕日を見に行く前に、夕食。 これも、オプショナルとして、ツアーと別料金で日本で支払い済。 ![]() シーフードが今回も食べきれない。 エビなんか、お正月でもこんなに食べない・・・。 もったいない・・・。 旅行中は、財布と体と環境に悪い食事だ。 ![]() 今回の旅行で、オプショナルツアーとして、「夕日のまち・イアでのサンセット鑑賞」というのがあって参加した。 しかし、なんとも解せないのだ。 このサントリーニ島の一番の売りは、「イアの夕日」。 みんなが、見たい、見るべき所がオプショナル・ツアーって、おかしいのでは・・・。 ![]() ![]() ▼日が落ちる前のイアの町は、燃えるようだった。▼ ![]() ![]() スフィンクスも見る夕焼け。 4月も半ばだというのに、この日は寒くて、ダウンジャケットを着ていてもふるえた。 ![]() アルバトロス ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 4月15日(日)クレタ島へ入港。遺跡見る。 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
2019.05.20
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月16日(火) 遺跡を見た後、食事をするために行ったのは、風車を利用したレストラン。 ![]() サントリーニ島では、風車があるのは、知っていたが、ランチのレストランが風車を利用したものとは知らなかった。 ![]() レストランの紙ナプキンにも風車が! ![]() ツアーのランチは、去年行った■クロアチア・スロベニア■でも豪華だったが、今回も豪華で、食べきれない。 もったいない!! ![]() ![]() ![]() ランチの後、海辺に行った。 この辺りの浜辺が黒いのは、火山の影響。 ![]() 時間があったので、海岸近くの町を散歩していたら、籠をいっぱい積んで売りに行く人を発見。 顔の色が黒かったので、難民なのか・・・。 ![]() ![]() ▲映画館があるらしい。 ![]() 映画館、見つけた!! 小さな島なのに、映画館があるってびっくり。 ![]() 野外で見る映画もあるらしい。 ![]() 早めにホテルに入って休憩するのは、この日の夕方から、イアという町に夕日を見に行くから。 ![]() ベッドで休憩したり、水を買いにスーパーに行ったりして、夕方を待つ。 ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 4月15日(月)クレタ島 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
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2019.05.20 00:10:52
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2019.05.17
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月16日(火) ![]() クレタ島の港から高速ジェット船でサントリーニ島に向かう。 スーツケースを預け、船室へ。 ![]() (▲クレタ島) 約2時間弱の船旅。天候は回復したが、空気は冷たく、風も強かった。 ギリシャは、暑いだろうと半袖を持ってきたが、一度も着る機会がなし。 10:45サントリーニ島の港に着く。 ![]() サントリーニ島 (もしくは ティーラ島)は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の島。 かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形(サントリーニ・カルデラ)の一部で、その外輪山にあたる。 「サントリーニ島」の名はカルデラ全体、すなわち本島を含めた5つの島々(サントリーニ諸島)の総称としても用いられる。 ![]() カルデラ湾を望む断崖の上に白壁の家々が密集する景観でも知られており、エーゲ海の著名な観光地の1つである。 一方で、サントリーニ・カルデラ内では現在も活な火山活動がある。 ![]() 港に待っていたバスに乗り込み、出発。 ![]() バスの窓から広がるのは、砂漠のような土地。 サントリーニ島は雨の量が少なく日差しが強い。 ここで育つブドウは、降雨では必要な水分を確保できず、海風に含まれる湿気を頼りに育っているとか。 ![]() 島の家が白いのは、強すぎる日差しをはね返すため。 ![]() アクロティリ遺跡をガイド付きで見学。 ![]() ▲この遺跡は、建物で囲まれているので、天候に左右される事なく見学が可能。▼ ![]() ![]() (▲遺跡の模型) アクロティリ遺跡は、大噴火によって3500年前に突然消えた町の遺構。 同じく火山の爆発で火山灰に埋もれ一夜にして無くなったイタリアのポンペイに比べられ、「エーゲ海のポンペイ」と言われている。 アクロティリ遺跡は、3500年前のもの。 ポンペイは、2000年弱。 その差、1500年というから、この遺跡がいかに古いかわかる。 ちなみに、日本の邪馬台国は1800年位前だそうだ。 ![]() もうひとつのポンペイとの違いがある。 それは、ポンペイでは、多くの人が亡くなったこと。 それが、ここアクロティリでは、亡くなった形跡がない。 地震などの予兆があって、事前に避難できる余裕があったのではないかと推測される。 ![]() この遺跡は、まだ10%程しか発掘が進んでいない。 ![]() このような遺跡から、サントリーニ島とクレタ島を中心とした大陸、アトランティス大陸があったとする説もある。 ■エーゲ海文明■ ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
2019.05.16
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■4月15日(月) アテネから船に乗って、船で一泊、クレタ島イラクリオン港に着いた。 船中で簡単な朝ごはん。 ![]() クレタ島は、ギリシャ共和国南方の地中海に浮かぶ同国最大の島。 古代ミノア文明が栄えた土地で、クノッソス宮殿をはじめとする多くの遺跡を持つ。 また、温暖な気候や自然景観から地中海の代表的な観光地でもある。 ![]() (▲ベネチア時代の要塞) クレタ島はヨーロッパにおける最初の文明のひとつであるミノア文明が栄えた。 当時の社会については、伝えられるべき文字が遺されなかったため、遺構から類推するよりほかないが、平和で開放的であったと考えられている。 ![]() ミノア期の遺跡には、壮麗な石の建築物や複数階の宮殿があり、排水設備や、 ![]() (▲考古学博物館にて) 女王のための浴場、 ![]() 水洗式のトイレがあった。 水力を動力とする仕組みに関する技術者の知識はとても高度なものであった。 ![]() エジプトなどとの交易によってもたらされた遺物から、ミノア文明は、紀元前3000年頃からクノッソスが衰退した紀元前1400年頃ごろまで栄えたと考えられている。 ![]() その当時クレタ島で使われていた言語はミノア語であると考えられている。 ![]() (▲写真は、サントリーニ島のスーパーマーケットで。) オリーブオイルの世界一年間個人消費量の多いギリシアの中でも消費量が多く。 東南部のクリッツァ村は、年間個人消費量が50リットルもある。 ![]() クレタ島は、地中海と北アフリカの気候区にまたがっている。 ![]() クレタは神秘的な歴史をもつ島だ。 エーゲ海の南の端にあるこの島には、4000年も前にすでにクレタ文明が栄えていた。 しかし、彼らクレタ人がどこからやってきたかは、いまだに謎であるし、彼らが使っていた線文字も解読されていない。 ![]() そして、文明が最盛期を迎えた3500年前に地震によって大被害を受け、そのまま地下に眠ってしまったのである。 しかし、その文明はミケーネ文明を経て、ギリシア文明へ受け継がれ、現代までも脈々と流れている。 東西に細長いこの島はエーゲ海の島のなかでいちばん大きい。 (島内には飛行場が3か所。) 島内には4つの山脈があり、2000m級の山はざら。 自然の変化に富んだクレタ島は実に魅力にあふれている。 ![]() (▲儀式などをする場所) (▼上の場所を模型で現わしたもので、考古学博物館にあった。) ![]() ![]() ■島の中心はイラクリオン■ クレタ島の中心地というとイラクリオンIraklion。 有名なクノッソスの遺跡のあるこの町が、クレタ島観光の拠点には最適だ。 ![]() 泊まったホテルは、島の中心地にあって、近くには、映画館もあった。 ![]() アストリア・カプシス ![]() 4月10日(水)関空 4月11日(木)ドバイ経由アテネ。コリントス運河 4月12日(金)オドントス登山鉄道に乗れなかった。 デルフィの町を散策 4月13日(土)デルフィ博物館 世界遺産:デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス 4月14日(日)世界遺産:メティオラ修道院 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
2019.05.13
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ![]() 4月14日(日)
■世界遺産メテオラ修道院観光■の後、アテネに350キロ、6時間のバス移動。 ここでも目立つのは、一面のオリーブの木と黄色い菜の花。 ![]() バスの運転手は、決まった時間を走ると休憩しなければならないという規則があるので 移動中ランチ。
ランチは「ムサカ」 (ナスとひき肉の重ね焼き)など。 明らかに、色の黒い人が多くて、所在投げにしていた。 後で聞いたのだが、ユーロ圏内にいったんはいれば、他の国から流れてきて居着くのだそうだ。
治安が悪そうだ。 アテネ市内の道路は慢性的に混雑していて、その対策として、奇数、偶数のナンバーで乗り入れを規制している(一部、例外があり)。 ギリシャの主な産業は、造船業と観光で、昨年、造船を押さえて観光が第一位になったという。 夕食は、海の目の前の店。 なんでこんなに大きな魚を出すのだろう!!!
食べきれない!!!
もったいない!!! 食後、港に移動。 21時発のフェリーでクレタ島に。 船内で一泊する。 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
2019.05.08
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() 4月14日(日) メテオラは、ギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。 その地形及びギリシア正教の修道院文化の価値からユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されている。 その名はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」という言葉に由来している。 6つの修道院のうちの最大のメガロ・メテオロン修道院に行った。 ![]() この崖の上にどうして修道院を作れたのか謎だ。 昔は、いったんここに入った修道士は、出ることができなかったようだ。 ![]() ▲どうしても用事で出るときは、この部分から滑車と縄梯子を使って、30分かけて登っていた。 ▼安全点検はされていなくて、縄が切れたら替えるという具合だった。 ![]() ![]() ▲1922年に出来た116段の 階段で歩いて昇ることができるようになった。▼ ![]() ![]() メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。 ![]() この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成することはなく、単独で修行する隠修士が主流であった。 メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国がセサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。
6千万年前に海底で堆積した砂岩が隆起し、浸食されて今の地形となった。 メテオラの風景には、ツアー客はビックリ!!
「世界には、いろんなところがあるな・・・!!
今のうちに行っとかな、アカンわ。
いつ、世界でどんなことが起きるか分からんから行けんようになるかもしれんから・・・。」
次の日、世界遺産:ノートルダム寺院の火事を知った。 4月10日(水)関空
デルフィの町を散策
4月13日(土)デルフィ博物館 デルフィの遺跡 世界遺産:オシオスルカス修道院 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
2019.05.07
テーマ:ヨーロッパ旅行(4194)
カテゴリ:海外旅行
![]() ![]() 4月13日(土) ■デルフィの遺跡■を見た後、 バスの中から雪をかぶった山を見ながら、進んだ。 ![]() 山にへばりついている町を通り過ぎ、 世界遺産・ オシオス・ルカス修道院に行った。 (▲オシオス・ルカス修道院) オシオス・ルカス修道院は、ギリシャ共和国中央ギリシャ地方ヴィオティア県ディストモ(デルフィ近郊)のヘリコン山の麓にある、ギリシャ正教:正教会の修道院である。 10世紀に設立され、中期ビザンティン建築の傑作と言われる聖堂と、11世紀に作成されたモザイクが残る。 1990年、他の2つの修道院とともにユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院」)。 オシオス・ルカスは、克肖者ルカスによって10世紀前半に設立された修道院である。 ルカスは953年に死んだが、生前に東ローマ帝国の皇帝「ロマノス」によるクレタ島の征服を予言した。 彼の予言はロマノス1世レカペノスを指したようであるが、クレタ島の征服は961年にロマノス2世によって行われ、これによってルカスへの崇敬が高まることになった。 クレタ島制圧は、東ローマ帝国にとってエーゲ海制海権の奪回という重要な意味を持っており、バルカン半島沿岸地域におけるアラブ人の影響は、これによって著しく改善された。
4月10日(水)関空
デルフィの町を散策
4月13日(土)デルフィ博物館
デルフィの遺跡 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]()
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2019.05.07 00:07:38
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