言葉の奥にあるもの
さて、言語化において大切なのは自分が気持ちや感覚を言語化することと人が話した言葉の真意を理解する力はリンクしていると言うことです。(なんの前振りもないのに、いきなり「さて」で始まるのも、どうかと思いつつ私の中では、以前の話題とまだ繋がっているので🤣)言語化には、インナーチャイルドの問題が関わっていることは、以前にも書きましたが遺伝的な問題で言えば言語能力そのものが低い未確認型の宇宙系遺伝や言葉そのものに囚われてしまう冥王星遺伝人の言葉を被害的に捉えるグレイ遺伝自分自身の内からの言葉でなく一般的な正論でしか話せないマーカビアン&ゼータレチクル遺伝などいろんな遺伝が関わっています。この中で、冥王星遺伝が強いと言葉そのものに囚われ相手の伝えたい本質や感覚を理解せず理屈づけてしまう傾向にあるので冥王星遺伝が強ければ、強いほど人とのコミュニケーションは楽しくないものになるのです。私の母は、冥王星の性質はほとんど出ていない人で(遺伝としては持っていますが)何にしても、こだわりがないし私の子供の頃から「人の話は話半分よ~」と、人の話を聞き流すように母が言っていたこともあって私も、相手の言葉そのものをまともに受け取らないことが多かったのですが問題なのは、相手もそうだと思っていたので私が言った言葉を、曲解して受け取られることがあるということになかなか気づくことができなかったことです。例えば、私の言った言葉の中である部分だけ切り取られて「のりこさんに、以前、こんな風に言われて私は~~なのだと思って、落ち込みました」と言われたことがあるのですが私は、その言葉を~~~のつもりで言ったわけでは全くなく、深い意味はなくて全体の会話の流れの中で、その言葉を使っただけで私の意図とは違うように受け取られていたということが、何度かありました。つまり、冥王星遺伝が強く言葉に囚われてしまう人に対しては慎重に言葉を選ぶ必要があるということを私は、理解する必要があったのです。レベル1で言語化のクラスを開催したことで改めて自分の言語化について理解したのは、私の元々持っていた言語能力の低い遺伝に加え私の言葉を、相手もエネルギーで受け取ると思っていたことが問題だったということでした。それで、ああ、そうかとわかったのは私が子供の頃、親の言葉によって傷ついたことが、一度もなかったのは決して、親が適切な言葉を使っていたからではなく私は子供の頃から言葉そのものを受け取っていなかったからということでした。私は、親の言葉の奥にあるものを子供の頃から、いつも受け取ってきたのです。そんなことを思っていたら参加者の方から、以前、頂いたメールでこんな文章がありました。(掲載の了承をもらってから、かなり過ぎているけど)母から8年ぶりくらいに電話がきて父とも10数年ぶりに話しました。もう縁は切れたと思ってたので、連絡がきたことにびっくりで最初は何かあったのかと思いましたが両親とも元気でした。父の第一声が「なんだ、まだ生きてたのか」で相変わらずだな~と思いましたが私と話せたのが嬉しいのが伝わってきてあぁ~きっと私は父のこういう言葉を言葉そのもので受け取っていて傷付いていたんだなぁと思いました。母に近況を話したら、「すごいじゃん!」と何度も言ってくれて子供の頃に褒められた記憶が全く無かったので驚きました。父の言葉通りでなく受け取れたので私の冥王星もちょっと抜けてきたのかな~と思えてちょっと嬉しかったのですがまだまだガッツリ冥王星でした~😅それから母はナチュラルにこちらが罪悪感を持つような話し方をするので私の罪悪感癖は育てられ方からも来ているな~と気付きました。(男の子はお母さん大好きで優しいからいい私(母)は男の子持てなかったからとか)母には言葉そのものじゃなくて母の気持ちを受け取ってたんだな~と思いました。逆ならよかったのにです😂海王星~言語化のクラスのおかげでまた少し気付けるようになった気がします。マル回も海王星も神回だったし、毎回神回です😆彼女が、自分の言語化を見直すことを通じて親の言葉そのものではなく奥にある愛を受け取ることができたことが本当によかった😭今、私たちが知る必要があるのは私たちも、そして、私たちの親も言語化が上手くできていなかったし本当に伝えたいことを伝えていたわけじゃないということなのです。結局、言語化を突き詰めてゆくと自分や相手の伝える言語の奥にあるものが愛であるのか、そうじゃないのかそこに尽きるなあと。これを読んで、思い出したのは「なんだ、まだ生きてたのか」これ、まさに私の父が言いそうな言葉で(っていうか、多分、一度や二度は言っているはず)私は、そんな父の言葉を聞くと傷つくどころか照れ隠しに、そんなことを言う父を愛おしく感じていたし言葉にできない父の深い愛情を受けとっていました。(でも、私の方も、「お父さんこそ、しぶとく生きてたのね〜」ぐらいの言葉は、きっと返しただろうなと。そうしたら、きっと父は笑うだろうし)では、どうして私は、父のそういう言葉そのものを受け取らずに、愛を受け取ることができたのだろう?と思い返してみると、子供の頃のある風景を思い出しました。私には、3歳下の妹がいるのですが私は、父とキャッチボールしたり一緒に算数の問題を解いたりして触れ合うことが多かったのですが父は、妹とは、ほとんど関わろうとせず子供の頃、私は「お父さんは、Kちゃんのことがあまり好きじゃないのかしら?」と気になっていました。そんなある日の夜夜中にふと目が覚めてリビングから、父と母の話し声が聞こえたのでリビングに行こうとして母の話が耳に入ってきました。それは、妹が病院の検査で脳腫瘍が見つかったという話を母が父に報告していたところでした。それを聞いて、父は隣の部屋で寝ている私たちに気づかれないように声を押し殺して肩を震わせて、泣いていたのです。それを見たとき妹が、そんな病気になってしまったことへのショックと同時にああ、お父さんは、こんなにKちゃんのことが好きなのに、それを上手く言葉や表情で表現することができないんだなということでした。妹の病気はショックだけど父の妹への愛を感じたことはなぜか嬉しかったのです。 でも、妹には、父の愛は伝わっていないこともわかっていたのでもどかしい気持ちでした。今から思えば、子供の頃の私は男の子のような意識や性質だったので父も接しやすかったのだろうけど妹には、どう接したらいいかよくわからなかったのだろうなと。結局、その後の検査で病院側の検査ミスで妹は、脳腫瘍ではなかったことがわかったので、ほっとしてそのことは、忘れてしまったのですがほっとした時のことは覚えていないのに肩を震わせて泣いていた父の姿ははっきりと覚えているのです。その時の経験から私が無意識に学んでいたのは「人は、愛情を持っていても素直に、それを表現することができない」ということでした、だから、親がどんな言葉を使ったとしても私は傷つくことはなかったのだなあと。考えてみれば、古い昭和の男なんて愛情を素直に表現できない人の方がずっと多いのですよね。いや、古い男だけでなく女性でも愛情を上手く言語化できないのです。彼女のこのメールにあった文章で「男の子はお母さん大好きで優しいからいい私(母)は男の子持てなかったから」 この言葉を言葉通りに受け取って「女の子で生まれて申し訳ない」なんて、罪悪感を感じるなんて全く意味がなくてお母さんは、本当にそう思っているわけじゃないし多分、このお母さんの根底にあるのは「私のことを好きでいてほしい」と言う想い。子供が親を好きなのは当たり前なのにそれを感じられず、確認したかったのが「男の子は、お母さん大好きだし」など、他の人の言葉を持ち出してこんな皮肉めいた言葉として出てきてしまったのだろうなと。だから、このお母さんが本当は、彼女から聞きたかった言葉は「お母さん大好き」というシンプルな言葉であってそれは、お母さんが「〜〜ちゃん大好き」と伝えていれば、受け取れる言葉だったのだけど上手く愛情を言語化できなかったのですよね。そういえば、こういうところ私の母も似たような言い回しをすることがあったなあと。私の母の場合は、父とは違っていて笑いを取るために相手をいじってみたり自虐的な言い方をしたりするのでそう言う言葉も私は、まともに受けとっておらず愛情ゆえの半分愚痴、半分ジョークと受けとって、聞き流したり逆に、そう言う母をいじって笑いにしていました。例えば「男の子はお母さん大好きで優しいからいい私(母)は男の子持てなかったから」 もし、こんな風に言われたなら「お母さんは、男の子には優しくなるそうだし私も、男の子で生まれたら優しいお母さんを持てたのになあ。女の子として生まれて残念〜」(全く思ってないけど)みたいな感じで返してただろうな〜と。でも、今ならきっと「あら、私は女の子だけどお母さんのこと大好きだけどね。この愛が伝わってないの残念〜」って伝えるだろうな〜と。冥王星遺伝の性質が強ければ真面目に言葉そのものを捉えてしまうので傷つきやすくなったりずっと、その言葉が引っかかったり逆に自分の言った言葉を、後から「あんな言い方をしなければよかった」などと、あれこれを考えたりしがちなので人とコミュニケーションが楽しめないのです。もちろん、相手が自分をおとしめようと言う悪意があったりすればどんな言葉であれ、楽しむことはできないし傷つくのも当たり前なのですがそうでなくて、受け取り方の問題であるケースが多いのです。もちろん、伝える方も、伝える言葉を適切なものを選ぶ力は必要なのですが発する言葉を気にしていると気軽に言葉を発せず気を使うことになってしまいがちなので私は、やはり気軽なコミュニケーションが好きだなあと。自分の本当の気持ちや感覚を言語化することを通じて高まってゆくのは相手の言葉の奥にある愛や本当の気持ちを受け取る力。結局「私は愛されている」という意識が全てなのですが私たちは、言語の使い方や理解の仕方によって愛を与え、受け取ることができなくなっていることが多いのです。そのことに、レベル1のクラスでの学びを通じて気づき、変化する人たちが少しずつ増えて嬉しいです。(私のこれまでの言語化のまずさを言い訳するつもりはないけどね。だから、常々「私の話は話半分に聞いといて」って言ってたんだよぉ〜〜🤣)