投資の余白に。。。

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January 24, 2021
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最終更新日  January 24, 2021 08:10:58 AM
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January 10, 2017
カテゴリ:身辺雑記
coming soon






最終更新日  February 28, 2017 11:49:27 PM
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December 25, 2016
カテゴリ:身辺雑記
弟が死んだ。午前4時5分。57年10ヶ月と24日の生涯だった。

大腸がんが見つかったのが2015年4月。手術したが同じ場所に再発したのが2015年12月。残された時間はおよそ一年だろうと覚悟したが、ほぼその通りになった。

夏からは入退院の繰り返しだった。弟のがんは珍しいタイプで、転移はしないが抗がん剤が全く効かないというもの。抗がん剤は有害なだけだった。

人間が死というものを意識するのは何歳くらいだろうか。自分を振り返ってみると、5歳くらいだったような気がする。父と母、そして弟が同時に溺れて、だれかひとりしか助けられないとしたらどうするか。そんなことを考えて泣きそうになったのを覚えている。

病気が進行すると、病人はわがままになる。弟も例外ではなかった。しかし一週間ほど前、「今日は本当にありがとう。ネムっていたら軽く起こしてください」という書き置きがあった。

それを見たとき、死が近いと直観した。

その紙は宝物になった。






最終更新日  December 26, 2016 08:03:05 PM
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July 31, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
coming soon






最終更新日  August 31, 2016 10:29:56 PM
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July 27, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
「バーンスタイン・レガシー」と題したコンサート。PMF修了生でファゴット奏者のダニエル・マツカワは、近年、PMFでバーンスタインにフォーカスしたコンサートを指揮しているが、今年もバーンスタインゆかりの曲、作曲家などの作品を集めた。

ダニエル・マツカワはフィラデルフィア管弦楽団の首席ファゴット奏者をつとめているが、その頃から指揮を学び、カーティス音楽院では実際のコンサートで経験を積んできたらしい。過去のPMFでの指揮は可もなく不可もなくといったところだった。やはり指揮を専門に学んだ人に比べると素人ぽさは否めなかった。

しかし、今年はちがった。指揮に開眼したというか、指揮者らしい指揮をするようになった。たぶん経験値が一定のレベル、蓄積を越えたのだろう。オーケストラを手中にする技が飛躍的に向上したのを感じた。

デビュー以前から指揮の要諦を会得しているような人もいれば、だんだんと開眼する人もいる。大野和士や小泉和裕はデビュー直後にもう指揮の技術は完成しているように見えた。一方、高関健などは40歳くらいのある時期、突然のようにオーケストラを自在に動かせるようになったのをおぼえている。

いままでのマツカワの指揮を見て今回のコンサートはパスしようかと思っていたが、行った甲斐があったというものだ。

ブラームスの「大学祝典序曲」はバーンスタインがフリッツ・ライナーの試験を受けたときの曲であり、「悪口学校」序曲のバーバー、「エル・サロン・メヒコ」のコープランドはバーンスタインが高く評価し個人的にも親しかったことから選ばれた曲という。

前半はこれらにビゼーの「カルメン第一組曲」。これはマツカワがバーンスタインの録音で親しんだ曲という。バーンスタインの演奏の再現をめざしたようだが、いささかやりすぎの部分もあるバーンスタインのそれに比べると穏健で美しい演奏。

後半はすべてバーンスタイン作品で「ウェストサイド物語組曲」、オーケストラのための「ディヴェルティメント」、「オン・ザ・タウン組曲」、アンコールに「キャンディード」序曲。

「ディヴェルティメント」はバーンスタイン自身の録音で聞いてはいたが、あまり面白いとは思っていなかった。しかし実演できくと、たしかに名曲とは言えないにしても、バーンスタインの才気がわかって面白い。作曲とは美しいメロディーにハーモニーをつけることだと思っている人が多いが、それは作曲のごく一部でしかない。それらがなくても、創造性のある作品を作ることができるという見本のような曲。

しかしこの曲全体の品のないイメージは好悪のわかれるところだろう。

クラシックソムリエだという司会者とマツカワのトークをはさみながらの展開。声楽曲を加えるなどGALAコンサートぽさがあったらもっとよかったと思うが、たった1000円(学生は500円)で珍しい作品も楽しめるこのようなコンサートを、無名の指揮者と学生オーケストラだからという理由で忌避するクラシック・ファンはバカ以外のなにものでもない。








最終更新日  July 30, 2016 03:19:22 PM
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July 24, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
前日と全く同じ演奏者とプログラム。しかし、全く別のコンサートと言っていいくらい次元がちがった。

特にそう感じたのはほぼアカデミー生だけによる前半。ワーグナー「さまよえるオランダ人」序曲は、どこがどうとは言えないが密度が増した。

ドビュッシーの「海」の第二楽章は手探りだった前日とは打って変わって熱演で、思い切りよいクレシェンド、より大きな波がおしてはひいていくようなスケール感ある演奏は思わず拍手を誘ったほど。

メーンのマーラー「交響曲第4番」も、生硬さがとれ細部のニュアンスが格段に豊かになった。

二日目や三日目の演奏がよくなるのは超一流のオーケストラでも経験することではあるが、若者集団の適応力、柔軟性に舌を巻いた100分。






最終更新日  July 30, 2016 12:34:29 PM
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July 23, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
3つのプログラムで行われるPMFオーケストラコンサート、Aプログラムの初日。

まず興味は今年のPMFオーケストラの参加者のレベル。昼のオープンリハーサルを見学した限りでは過去26回の平均といったところか。女性とアジア系の割合が増えてきている。

次の興味は指揮者のジョン・アクセルロッド。今年50歳のアメリカ人指揮者で、ハーバード大学出身で前職はカリフォルニアワインのバイヤーという経歴の持ち主。バーンスタインとムーシンに師事したことがあるらしい。

前半はワーグナーの楽劇「さまよえるオランダ人」序曲とドビュッシーの交響詩「海」。

わかりやすい指揮を見ていて、いちばん最初のリハーサルを見学してみたかったものだと思った。にわか仕立ての学生オーケストラを数日のリハーサルでここまで整え、音楽的な演奏ができるまでに導く手腕そのものに興味を持ったからだ。これまでのPMFに登場した指揮者をつらつら思い返しても、自分の解釈の押しつけではなく、まずオーケストラからバランスよい響きと開放的な音楽を作りだすことのできた人は決して多くない。

その点、オーケストラビルダーとしてかなり優れた人ではないかと思うし、オーケストラのメンバーから好かれ信頼されるタイプだろう。

二曲とも特に不満のない出来。ディナミークがややフォルテよりで、耳をそばだてるようなピアニシモや神秘的な音空間の創造(特にドビュッシー)はなかったが、明晰なのに温かみのある音作りには好感。

後半、マーラー「交響曲第4番」では、ウィーン・フィルの現・元首席奏者が弦の、ベルリン・フィルの現・元首席奏者が管打楽器セクションに加わる。コンサートマスターの席にライナー・キュッヘルが座るだけで格が上がった気がするが、音も明らかに変わる。音に厚みや膨らみが加わり、フレーズが尻切れにならず次の音楽にリレーされていく。

曲のせいもあるが、アクセルロッドの音楽からは皮肉や哀愁や怒りや諧謔といったものがきこえてこない。これは世代のせいもあるかもしれないし、アメリカの指揮者にかなり共通の現象かもしれない。暴力的・悪魔的な表現を要求されるような作品でどうなのか。バーンスタイン作品や現代曲も得意としているようだが、陰のある明るさのようなもの、あるいは暗い中に光が差し込んでくるような音楽でどうなのかは未知数だ。

すでに録音も多くブラームスの交響曲全集も出ている。Bプログラムのブラームスでその辺のことを確かめられるだろう。

マーラーのソリストは今野沙知恵。音程は正確だが声に伸びがなくオーケストラに消されてしまう部分もあった。

なおこのコンサートの前に小ホールで無料の室内楽コンサートがあった。例年のことながらこれが出色。シュールホフの「フルート、ヴィオラとコントラバスの小協奏曲」、バックスの「フルート、ヴィオラとハープのための悲歌三重奏曲」などが演奏された。オーケストラメンバーでは大平治世という人のフルート、セバスチャン・ジンカのコントラバスなどが印象に残ったが、安楽真理子のハープ、ミヒャエル・フーデラーといった教授陣の演奏はまた別格。

この二人はフランセの「バロック風二重奏曲」とフォーレ「夢のあとに」、サン=サーンス「白鳥」を演奏。めったに聞くことのできない曲と編成、室内楽ならではの臨場感は、もしかするとPMFの全プログラムを通じての白眉かもしれない。








最終更新日  July 24, 2016 01:05:41 PM
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July 8, 2016
カテゴリ:身辺雑記
廃校になった小学校が「あけぼのアート&コミュニティセンター」になり、いくつかの団体が入居し拠点として利用している。演劇公社ライトマンはここを稽古場にするだけでなく半年に一回の公演もここで行っている。

そのセンターが「あけぼの学校祭」というイベントを開き、その催しの一環として開かれたのがこの公演。17.5回とあるのは、5月に行った第17回公演「鳥を眺めて暮らす」から派生した内容のため。

その第17回公演で主演の山ガールを演じた千葉美香の演技がすばらしかったので、また見られるかと思って行った。だが彼女は今回は出演せず残念。ただ会場案内などをやっていて、ライトマンに加入したということなので、次回公演からが非常に楽しみだ。

世捨て人のように山小屋で暮らす寛文が主人公。短編が3つで、最初は狩猟好きの青年春充が仕留めたクマのレバ刺しを蕎麦屋の主人しんすけが調理する。

二番目は東京から転勤で帯広に来た狩猟好きの青年春充が寛文のところに挨拶に来る。ふたりの会話はかみ合わずちぐはぐに終始する。

最後は蕎麦屋の主人しんすけと同じ俳優が寛文の祖父文二を演じ、帯広に移り住んだ経緯、森の女神との出会いなどを物語る。ただこの祖父は妻の没後、悪い女に騙されたらしく、地元の青年健人らは山狩りで逃げた男女を追う。

基本は会話劇で、その会話のやりとりが虚実の皮膜の上を行ったり来たりしているようで面白い。三つの話に関連性はないが、「鳥を眺めて暮らす」を見たことのある客には、いくつかクスリと笑わせるしかけもある。

初日と最終日を見たが、やはり最終日が間のとり方、セリフの明瞭度などが段違いだった。

「あけぼの学校祭」の出し物は全部見たが、弦巻楽団新人リーディング公演「子どものように話したい」も楽しめた。ほぼ演技なしの朗読だけで行われたが、キャスティングが的確で、死んだ男を演じた役者など、女性なのに男に見えてきたほどだ。






最終更新日  July 12, 2016 12:11:28 PM
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June 27, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
元札響チェロ奏者の文屋治実が主宰するピアノ・トリオ。ほかのメンバーはバイオリンの岡部亜希子とピアノの新堀聡子。3度目のコンサートだがきくのははじめて。

一発屋というか、一曲だけが飛び抜けて有名という作曲家がいる。リムスキー=コルサコフなどはその典型で、「シェヘラザード」かせいぜい「スペイン奇想曲」が知られるくらい。コルサコフにはオペラや交響曲もあってときおり演奏されるが、演奏頻度から言うと99%が「シェエラザード」(と熊ん蜂の飛行)だろう。

その昔、隠れた名曲がないかと思って探したことがあったが不発だった。

そのとき室内楽までは調べなかったので、この曲(ピアノ三重奏曲)めあてで行ったのがこのコンサート。コルサコフが円熟期に書いたこの作品、作曲者本人は失敗作と考えたらしい。弟子が加筆したものが出版されたという。

4楽章形式の大作だが、チャイコフスキーのトリオのようなおぼえやすいフレーズもなく、失敗作ではないがせいぜい佳作というところ。最近、作曲家の全集が廉価で発売されることが多いが、もしコルサコフの全集でもあれば、その中と一作としてきくのであればまた発見があるのかもしれない。3人の熱演を持ってしても作品の弱さは補えないという印象。

前半はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第一番。ピアノ三重奏曲としては突出して多く演奏される作品。メンデルスゾーン特有の感傷性が美しい作品だが、どちらかというとスケール豊かに演奏されていた。

しかしこうして並べてきいてみて思うのは、やはりピアノという楽器と他の楽器の相性の悪さ。弦楽器だけでなく、管楽器や声楽でもピアノが加わるとそれらの持つ個性的な音色や高次の倍音を消してしまうようなところがある。マリンバなどのような鍵盤打楽器にもそう感じることがあるが、ピアノは同時に10個(あるいはそれ以上)の音を出せるから始末が悪い。

たいていの曲が弦楽器付きピアノソナタのようになってしまう。

だからピアノパートが弦楽器が同時に出せる音(4つ)よりも少ない音しか同時に出さないようなピアノ三重奏曲が書かれるべきなのではないだろうか、などと思った。

他の楽器の相性の悪さといったことから逃れられているピアニストというと、グレン・グールドとアンドレア・バケッティくらいしか思い浮かばないが、菅野潤なんかはいいかもしれない。






最終更新日  July 12, 2016 01:09:39 PM
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June 23, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
ラヴェルの「スペイン狂詩曲」が始まった瞬間、「これほど美しい弦楽器の響きを聞いたことがあっただろうか」と、過去の音楽体験を参照させられるハメになった。

チューリヒ・トーンハレの弦も美しかった。しかしほんの少し力強さが混じっていた。いや、そういう言い方は間違っている。注意深く力を入れてピアニシモを演奏している、そんな要素が若干だがあった。

しかしこのオーケストラはどうだろう。まるで息を吸い、吐くように自然にピアニシモを美音で演奏している。

この瞬間に勝負は決まった。これがフランスのオーケストラをきく喜びであり、フランスのオーケストラをきく喜びのほぼすべてだと言っていい。

この音は、アメリカやイギリスやロシアのオーケストラは肉薄可能だが、日本のそれは千年かかっても不可能だ。美意識、美学、哲学その他がちがいすぎる。

あとは、指揮者がウケねらいの個性的な表現をせずにこのオーケストラの持ち味を引き出すだけでいいだろう。フランスのオーケストラにアメリカの指揮者はミスマッチかもと思っていたし、そう思う人が多かったのか客席も閑散としていたが、オーケストラビルダーとして知られるスラットキンは適任。

この人、大指揮者だとは思わないが、音楽をそこそこのエンタテイメントとして聞かせる才能を持っている。良し悪しは別にして、こういう人はいまの音楽界では重宝されることだろう。

オーケストラ全体として見たときには超一流とは言えない。フランスのオーケストラといえば管だが、とびぬけたスタープレーヤーはいないようだ。だが、全員が室内楽の精神で他のパートをよくきいて演奏しているのがわかる。落ちぶれたとはいえ、これがヨーロッパ、これがフランスだ。

指揮者のエゴを最小限に抑えてオーケストラの美点を最大限に引き出そうというスラットキンの姿勢は、この「スペイン狂詩曲」と追加発表された次の「感傷的で高雅なワルツ」で最も効果をあげていた。ただ前半のラスト「ダフニスとクロエ第2組曲」は、おかれた位置にもよるのか、こぢんまりとおとなしく演奏された。

スイス時計のようと評されたラヴェルの精密かつ緻密なオーケストレーションは堪能できたが、曲が曲なのだから大見得を切るようなところや一期一会の白熱もほしかった。ただ、随所の管楽器のソロはいずれも見事で、フォルテでも決して吼えないホルンなど金管楽器、どこまでも繊細なトランペットなど、音の万華鏡を見ているようではあった。

後半は「展覧会の絵」。通例よくきくバージョンとはずいぶん細部にちがいがあると思ったら、スラットキンがラヴェルの編曲に手を加えたもののよう。ただ、この改変、ムソルグスキーの原曲の土俗性を強調しようとしたのだろうが、それにしては中途半端。

冒頭のトランペットは指揮なしで始まった。しかも奏者はラッパを下に向けている。音は小さく細いが、こういう開始のこの曲の演奏をきくのははじめてだ。この開始、この音色からして、オーケストラはこの曲をフランス音楽ととらえているのではないだろうか。

寂寥感、邪悪さ、白熱、ドラマ・・・そうした、この曲に不可欠と思われるものをこのオーケストラからきくことはできない。そんなものは映画にでもまかせておけ、というところか。ひたすら美しい音が、音同士が会話し手を取り合って踊る。そんな演奏は「音をきく」楽しみ、音楽の原点を思い出させてくれるものだった。

音楽は音の楽しみと書く。音の美しさを味わうのが音楽の入口。食事もそう。栄養をとるためではなく、舌を楽しませるため。これが文化であり、生活とは次元を異にする。

世界屈指の美食の街リヨン。このオーケストラの音をきいてリヨン移住をちらっとでも考えない人間がいたら、なにか人生に対する根本的な態度が間違っている。

というわけで、ちょっとリヨン行ってくる。

アンコールにはオッフェンバック「ホフマン物語」から舟歌と、スラットキンの「ツイスト・カンカン」。

2年ぶりの日本ツァー初日(6月23日、札幌コンサートホール)






最終更新日  July 12, 2016 11:48:56 AM
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