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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

May 11, 2016
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カテゴリ:自叙伝
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、と言ったのは度し難い差別主義者であった福沢諭吉である。福沢にとってアジア人は人間のうちに入っていないからぬけぬけとこういうことが言えたのだろう。

たしかに天は王制や天皇制のような身分制度を作らなかった。それを作ったのは人間だ。しかし人間を作ったのは天だから、天は人の上に人を作り、人の下に人を作るように人を作ったといえる。

生まれながらの人間に身分はない。いずれ死すべき生物としてこの世に現れる。いつどこでどのような環境で生まれるかを自分では決めることができない。ついでに言えば、どんな遺伝子を持って生まれるかも決められない。

それを決めるのは運であり運命だ。そしてそれは決して平等ではなく、人生のほとんどを決めると言っても過言ではない。

ナイジェリアで生まれたアルビノと戦後日本で生まれた人間を比べてみればよい。そこまで極端でなくても、同じ日本でも、オホーツクの漁村と京都の祇園で生まれ育った子供の間に何か共通理解項が存在するとは思えない。

ニースやカプリ島を訪れたときと同じことをヴェネツィアでも思った。沢木耕太郎はコートダジュールの海岸を走るバスの中で「コレハヒドイジャナイデスカ」と思ったというが、その感じに近い。最初は無邪気にその美しさすばらしさに興奮し感動する。しかし、自分の生まれ育った環境とのあまりの落差に嫉妬や怒りのような感情が起こってくるのをどうしようもない。

ヴェネツィアのすべての路地を歩き、すべての水路をいくにはいったいどれほどの時間がかかるだろうか。ここで暮らすということは壮麗な芸術作品の中で日々を送るということにほかならないが、それはどんなことだろうか。

だが最もうらやましく感じたのは、ヴェネツィアで生まれ育った人間は、故郷がいつまでも変わらない姿であることだ。

戦後日本は大きく変わった。終戦直後との比較の話ではない。たった20年ほどであらかたの風景は大きく変わってしまっている。

わたしが生まれ育ったのは人口5万人ほどの小都市だが、あまり変わっていないのは神社のような場所だけで、当時の記憶を呼び起こすようなものはほとんど残っていない。ノスタルジーを感じるより先に自分の幼年~少年期が消されてしまったかのような無念さを感じることの方が多い。

あるイタリア人の女性は、亡くなった両親と会うとき墓には行かないのだという。丘の上に続く道は、昔と全く変わることがない。だからそこへ行くと両親に会えるのだという。

そういう場所を日本人は失った。故郷は山田洋次の映画の中でしか再会できない場所になった。それはどういうことかというと、人間としてのアイデンティティの重要な一部を失ったということだ。

ヴェネツィアのようなところで生まれ育った人を心底うらやましいと思った。街を出て、どこかで傷ついたとしても、故郷に変わらない風景があるなら挫折しないですむ。母のような存在としての故郷や風景を持っているかどうかは、ひとりの人間にとって非常に重要だ。

1992年11月23日のヴェネツィアに観光客は少なかった。あとで知ったが、このころのイタリアはポンド危機に端を発する経済危機のまっただ中だったのだ。

今でもおぼえているが、この年の1万リラは日本円で100円ほどだった。それが93年には75円になり、94年には50円になった。これだけ短期間に通貨の価値が半減するのは異常事態だ。

いや、むしろ為替の変動が経済危機のバッファの役割を果たすのだから、リラ暴落はむしろイタリアにとってプラスだっただろう。外国人は旅行しやすくなるし輸出には有利だ。ただでさえイタリアの物価は北ヨーロッパの国より安い。

通貨統合は弱い通貨の国にとってマイナスの方が大きいということがわかる。

ヴェネツィアは大観光地なので物価は決して安くない。それでも、フランスやドイツに比べれば何割か安かったし、宿代や外食費は半値ほどに感じられた。それはだいたい、日本の半分くらいということを意味する。

自分がふだんなじんでいる環境よりも物価が安いということが精神衛生にどれほどいいかを知った初めての体験だった。

パリからフランクフルトまでの寝台運賃も安かった。水とビール2本とサンドイッチ2つ、それと寝台運賃が同じだったのだから。

しかし、概して物価それ自体は日本より安いものの、外食のような、人間の手間のかかったものは高かったし座るとテーブルチャージのようなものもかかる。おまけにチップもいる。だからトータルするとそれほど変わらないという印象だった。

ところがイタリアではほとんどすべてのものが(通貨安のせいもあって)安く感じられた。ワインが水より安いというのはほんとうだった。

現地の人にとってはそれがあたりまえだろうし、安いと感じて生活してはいないのだろうから、そういうこと全体が不思議な気がした。

人情があって、陽気で、しかも物価が安い。イタリア、ブラヴォーだ。

しかしヴェネツィアは観光地ゆえの問題も多い。おいしいレストランが少なく、便利な場所にあるそれはほとんど不法な料金を請求してくる。特にイタリア語以外のメニューのある店などは気をつけた方がいい。

このときは夕食と翌日の朝食をとっただけだが、彼女があとで伝票をチェックしたところ、やはりぼられていたらしい。日本円にすると数百円のことだが、リラにすると数万リラで、ものすごい金額をぼられたような気になってしまう。思い起こしてみると、たしかにどちらの店主もどこかずるそうなやつだった。

それ以来、店主の顔をよく観察してから入るようになった。

最悪だったのはホテルだ。翌日のことを考えて国鉄駅からさほど遠くないところに泊まったのだが、ベッドが縦に二つ並んでいる細長い部屋だった。

外国でホテルに泊まるのはこのときが初めてだったので、何の交渉もしなかった。日本的常識なら、同じ料金ならそのとき空いている最もいい部屋から案内するし、無料でアップグレードしてくれることも多い。そんな感覚でいたので、通された部屋に何の疑問も持たなかったのだ。

いやしくもカップルである。カップルで泊まりに来ているのに、ふつうこれはないだろう。しかし疲れてもいたし、どうでもよくなった。宮殿の一室のような部屋に泊まりたかったわけではない。ごくふつうの、ベッドが二つ横に並んだツインの部屋に泊まりたかっただけなのに、そんな希望さえ言葉にして主張しなければならない現実にげんなりした。ここもヨーロッパなのだ。自己主張しないと存在しないもの、意志がないものとして扱われる。

彼女との最後の夜なのだ。念入りなセックスで有終の美を飾らなくてはならない。

しかし、歩き回った疲れが出たのか、それともヴェネツィアの毒のある魅力にやられたのか、彼女にじゅうぶんな快感を与えるまえに終わってしまった。

長い人生にはいくつもの後悔があるが、あのときの不本意なセックスを思い出すと冷や汗が出そうになる。





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最終更新日  May 13, 2016 02:01:35 PM
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