東アジア大戦 ノート
↑小説を書くのは面白いです。感謝しつつがんばります!今日のノート小説東アジア大戦は書き始めるとなかなか終わることができませんでした。2006年の11月に書き始めて3ヶ月程度で終わらせようと思っていました。ところが終わることができなかった。なぜでしょうか?書き出すとどんどん書くことがあふれてきたからです。これは新鮮な驚きでした。そして、書かなくなるとわいてきません。だから話が終わりにいかない。で、ぽつぽつ一言二言何とか書き始めると、いつのまにか書くことがどんどんわいてくるのでやっぱり終わらない。書いても書かなくても終わらないわけです。(^_^;まあ構成力がないといえばそれまでです。だが、小説の書き方は“マヨネーズの作り方ほども”しばりがない。つまり、そのあたりになっている果実を手でもぎ取って、そのまま味わうことなのかもしれません。探せばおいしそうな果実はどこにでもある。食べたいときにすぐ見つかる。そんな感じで書き続けることが快感になる小説は基本終わらすことができないのです。食事と似ています。いったん食べ出すと腹がいっぱいになるまで食べることを止められません。だから、いい具合で食べることをやめるにはそれなりの意志の力がいるのです。小説を終わらせるということもそれに似ているかもしれません。食べ過ぎれば腹が苦しくなったり痛くなったりときにはもどしたりします。こうなると体に悪い。もうちょっと食べたいなあ、といったタイミングでやめると体の調子もよくなったという経験は誰にでもあると思います。実はお医者さんから胃に強い弱いはないと聞きました。胃袋の消化能力は交感神経と副交感神経のバランスで決まるそうです。つまり消化能力を決めているのは脳なのです。わかるなあ、という気がしました。食欲がないときでもあえて口にものを入れてみると急に食欲がわくことってあるでしょう。小説はもっとその傾向が強い。書いたら書きたくなる。だから食事も小説も腹八分目でエンドマークをつけることが大切かもしれません。ところで、東アジア大戦は映画にしたらどうなるかというのは小説を書くということとは違う次元の話です。考えていきたいと思います。