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カテゴリ:光圀の勉強生活
台湾で、テレビ局のアナウンサー、記者にしろ、新聞紙の記者、編集者、論述委員にしろ、「新聞人」と呼ばれる。さらに「新聞人」は、「無冠の帝王(King Without a Crown)」という「新聞人としての魂」で政府を監督したり、社会の不公平を暴いたりする「行政権、立法権、司法権」という三権以外の「第四権」という権力を持つという。この「第四権」ということは米国からのコンセプトだ。しかし、台湾で、新聞人は第四権にある「自らへの反省」、「正しく物事を伝える」、「偏らない態度で物事に批判する」などの魂を失いながら第四権という権力のみを主張するような気がする。
最近、台湾ある大手新聞社の体育部主任は自らのブログで、米国の評論家が書いた文を引用して、アストロズのストーパーのリッジのワールドシリーズとリーグ優勝決定シリーズでのサヨナラ被弾についての文章を書いた。それに、新聞紙のコラムで載せた。しかし、インターネットでメジャー リーグのファンに、その評論家の文で、その主任が引用した内容がないと指摘された。しかも、そのファンはメールでその評論家に聞いて、その指摘について証明した。結局、その文章はまったく作られたものだと言える。なぜなら、その実際に存在していなくて、引用された文章の内容はその作られた文の一番重要な中身だからだ。 大勢なファンたちはその体育部主任のブログでメッセージを書いて、その主任を指摘していた。結局、その主任は「自らの仕事が忙しいので、見間違いの恐れがある」という言い訳しながら、自らのブログを閉めた。また、その新聞社はホームページでそのコラムの文章を消した。しかし、その新聞はすでに新聞紙に載せられ、売られたので、内容の間違いに関してのお詫びを載せるべきだが、今まで新聞社はお詫びの文さえ載せていない。 要するに、大手新聞紙の体育部の一番偉い管理者でさえ、実際に起こっていない物事を新聞または評論として書いたので、彼の部下も同じ手口で「新聞を作っている」と考えられる。従って、台湾の人々が読んでいる新聞の中で、作られたものが多いと言えるのではないか。 しかも、謝りしないで、ただ言い訳しながら文を消したような間違いを隠そうとする態度のみで、事件に対応している。新聞社にしろ、その主任にしろ、新聞人としての魂を失っていたと言ってもよい。この事件ははじめておこったのではないと考えられる。要するに、その主任は決して初めてこのようなことをしたのではないと考えられる。また、その主任を教える人およびその主任に教わる人でさえ、こんなことをしたことがあると考えられる。 さらに、台湾で一部のマスコミが自らのオーナーの政治立場によって政治新聞を書いているという話が終始絶えない。結局、偏らないマスコミはないと言ってもよい。 新聞人が自らの魂を失ったため、台湾の人々はマスコミに対しての不信感が高まってきた。その結果、ニュースチャンネルを減らしたい人が結構多くなった。新聞を買う人も少なくなった。その結果、先言った偽新聞を載せた新聞紙は経営状況が悪くなったため、夕刊をやめた。もちろん経営が悪いと言ってもよいが、一般庶民はマスコミに対しての不満による結果と言ってもよいのではないか。 そこで、台湾における「新聞人」が自らの魂を戻らせないで、ただ「第四権」の権力を主張すれば、庶民の反感を買うのみだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.11.05 11:26:57
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