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ねこまんまねこの日記

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2024年08月05日
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暑い日曜日、鶯谷の台東区立書道博物館まで行く。
漢字とは何時ごろ出来たのだろうか。漢字と読むからには前漢か後漢に成立したのだろうか?
漢時代の公式文字は隷書体だと思うが、隷書はほぼ現在の漢字であるから、篆書混じりで隷書が使用され始めた春秋末期から三国時代が漢字のはじまり期だろうか?誰か教えて下さい。
本展では、紀元前10世紀ごろの青銅器の鼎かなえ、或いは穀物を載せる盆のような器、或いは酒を入れる器などに彫られた今から3000年も前の文字、それは漢字ではないのかもしれないが、篆書になる前の象形文字の数々が展示されている。

3枚目の写真はここから撮って良いという場所だが、ほぼ館内は撮影禁止なので紹介出来ないが、それはそれは物凄い展示内容である。
秦の篆書体と考えられる瑯邪台刻石の拓本や、開通褒斜道刻石、石鼓文の拓本、その他の拓本が充実。
私の記憶では、宮城谷昌光さんの小説から紀元前700年代の周時代の幽王に仕えた、虢叔カクシュクと虢仲カクチュウは極めて腹黒い私腹を肥やした奸臣という印象なのだが、この度の展示でこれらの奸臣が作った青銅器の銘文によって篆書へ向かう漢字の黎明期の文字がわかり、理解が進んだという事である。
周王朝を支えるどころか私腹を肥やし王朝を崩壊させた虢叔と虢仲であっても、自分らの子孫に長く持たせようと青銅器を作られてそれに銘文を書いて残そうとした、それにより漢字の黎明期が今我々は理解出来る。この文化的な功績はあったのだろう。
人の功績とは分からないものだ。。





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最終更新日  2024年08月05日 23時56分17秒
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