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カテゴリ:風景
もう28年も前の話ですが。
芦田川に掛かる近田橋の近くに取引先の方(Mさん)が住んでいました。 入社一年目から担当してお世話になった方です。 まぁ「ありがとうございます」どころか「ごめんなさい」すらまともに言えず、しょうもない役にも立たないプライドだけ持ち合わせていた私の事を随分と叱ってくれました(その頃はありがたみなど解っていませんでしたが)。 お客様にはとにかく気を遣う方でして、お客様に手間や迷惑が掛かる事は許さない、でもお客様に類が及ばない事は許してくれました。 呑みの席で「近田橋」の話になった時、「ワシは昔近田橋を60キロで走り抜ける事ができた!」と豪語されてまして、私も後日試してみまし・・たが40キロが限度でしたね。その話をするとMさん「どうだ参ったか!」と笑っておられました。 これが近田橋、芦田川に掛かる沈下橋です。 ここを60キロで走る方もどうかと思いますが、負けん気出して40キロで走る方もお馬鹿ですね。 (この張り出し部分は離合用の張り出しです) その後5年経ち私は転勤、Mさんとは年賀状のやり取りが続いたある年、Mさんがガンに罹って手術をされました。その翌年の年賀状には「手術が終わってありとあらゆるものが新鮮で有難く思える!全てのものに感謝したい!」との言葉が綴られていました。 それから数年後、福山にてMさんと呑むことがあり、(出向によって)Mさんと同じ仕事をすることになった私はMさんに「仕事で心がけていたこと」を聴くことができました。当たり前で・単純で・でも簡単にはできない&続けられないことでした。 その次の年、Mさんはガンの再発で亡くなられました。 今年福山に帰省した時、懐かしくて近田橋を観に行きました。 去年の西日本豪雨で近田橋は壊れ、そのままになっていました。 芦田川に掛かる沈下橋は近田橋以外にも損害を受けており、国から福山市・府中市に対して災害時の損害拡大を防ぐためにも沈下橋の存在そのものを見直すよう指導があったようです。 水害にも耐えられるために沈下橋が生まれたのですが、最近のように山林が荒れていると流木による損害は昔とは違っているのでしょうね。 昔60キロを目指して走ってみた思い出を振り返ろうとスローシャッターで走りながら撮影してみました。 この橋は近田橋とは違う沈下橋、こちらも橋が壊れたまんま・・。 近田橋は仮に復旧したとしても昔とは違う橋になるのでしょう。行政の判断もごもっともでもありますし仕方ないのかもしれませんが、Mさんとの思い出が消えてしまうような寂しさが残ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年08月17日 21時51分24秒
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