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カテゴリ:感動した本・映画・音楽
昨日 日生劇場にて「カエサル」を観てきました。
原作は塩野七生さんの「ローマ人の物語」の中のカエサルがルビコン川を渡る前と後のお話です。 齋藤雅文さんが脚本を書き、栗山民也さんが演出していました。 カエサル(松本幸四郎)の力強い弁舌を聞いて、民衆からカエサルへの熱狂的な支持が生まれ、その魅力的な言葉は、共和制の主体である市民から、理性による判断を奪っていきます。 松本幸四郎の存在感は、別格でした。 カエサル・・・・松本幸四郎 クラッスス・・・勝部演之 ポンペイウス・・・瑳川哲郎 キケロ・・・・・・渡辺いっけい セルヴィーリナ・・高橋惠子 アリス・・・・・・水野美紀 ブルータス・・・小澤征悦 クレオパトラ・・・小島聖 オクタヴィヌス・・・小西遼生 「寛容」とは何か、「争いのない世界」とは、「平等」とは、「安定」とは、「独裁者のいない世界」とは、「責任ある市民」とは、「法」とは、とさまざまなことを問いかけてきます。 台詞を聞きながら何とかついていかなければなりません。 歴史の場面場面を頭に描きながら展開を観なければなりません。 でもクレオパトラ役の小島聖さんは同じところに住んでおりましたので子供のころから知っているのです。ちよっと気になります。 別の意味で舞台の緊張感が漂ってきます。 アリスの水野美紀の狂言回し的な役どころに共感を覚えました。 キケロの渡辺いっけいもさすがです。 ただカエサルを『借金王』で『女たらし』と描いて、人間カエサルを表現したいのでしょうがあまり強調すぎると引いてしまうのです。 『賽は投げられた』という苦渋の選択が感じられなかったのはなぜなのだろうか。 舞台では嘘がつけません、役者の価値は一瞬でわかってしまうのです。舞台というのは恐ろしいところなのですよ。 安西節雄 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.25 09:18:10
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