「うさがやびら」「くゎっちいさびら」「食まいい」
「うさがやびら」「くゎっちいさびら」「食(か)まいい」 あるしょううちなあぐちさあやる友(どぅし)からぬ訊(ち)ち事(ぐとぅ)どぅやいびいる。 「んじ、むぬ食(か)むる前(めえ)ぬ言(ゆ)る言葉(くとぅば)んかい、『いただちゃびら』んでぃん、あたがやあ」 テレビんじ、言ちょおたんでぃぬ事(くとぅ)やいびいん。聞(ち)ちばっぺえんあらん風儀(ふうじ)やいびいたん。我(わ)んにん、「いただちゃびら」んでぃぬ言葉あ聞ちぇえなあびらん。 確かに、近頃(ちかぐる)お、日本語からぬ直訳調うちなあぐちぬまんでぃ、とぅぬうまぬうする事んあいびいん。異風(いふう)なあや、やいびいしが、やくとぅんでぃち、うんな言葉、使(ちか)ゆる人(ちゅ)んかいばっぺえとおんでぃち、怖気(うじ)らあすしやか、新語(みいくとぅば)んでぃ思(うみ)やあに、伸(ぬ)びてぃ取(とぅ)らすしえましえあいびらに。言葉あ使いねえ、使ゆるさく、変(か)わてぃ行(い)ちゅるむぬやい…。追記:やてぃん、無(ね)えらん語(くとぅば)やれえ、うぬまあまあ、語、借(か)てぃ使(ちか)てぃん済(し)まびいしが、昔(んかし)からある語あ、使え続(ちぢ)けえゆしせえましんやいびいしがどぅ…。参考1 日本語ぬ「頂く」や、大概(てえげえ)「拝(うが、をぅが)むん」でぃん言(いゃ)びいしが、実(じゅん)ねえ、食(か)み物(むぬ)んかいや言(い)らんでぃ思(うむ)やびいん。参考2 芝居(しばや)ぬ「泊阿嘉」んじぬ乳母(ちいあん)ぬ言葉(くとぅば)なかい、「親(うや)がなしからぬ暇(いとぅま)ん、拝(をが)まびたい」ぬあいびいん。うぬ日本語しぬちむええや「親御さんからのお休みも、頂いたし」やいびん。註:「食ま+いい」ぬ「食ま」や「食むん、食ぬん」ぬ未然形、「いい」や感嘆詞、「い」やてぃん済むまびいん。 琉歌茶(ちゃあ)や二(たあ)ち茶食(かむ)し腹八分(わたはちぶ)やてぃどぅ肝(ちむ)体(からた)また勝(まさ)ゆる筆:比嘉 清【語句、訳】「(食べ物を)いただきます」「ご馳走になります」「食べようね」 ある沖縄語のネイティヴ話者である友からの質問です。 「あのさ、食べ物を召し上がる前に言う言葉に、『いただちゃびら』というのがあったけな」 テレビでそう言っていたとの事です。聞き違いでもなさそうでした。私も「いただちゃびら」との言葉は聞いたことがありません。 確かに、最近は、日本語からの直訳調沖縄語が増えて、戸惑う事もあります。変ではありますが、だからといって、そういう言葉を使う人に間違っていると言って、萎縮させるより、新語ぐらいに思って大目にみるべきでしょうか。言葉は使えば使うほど、変化していくものでもあるし…。追記:それでも、沖縄語に無い単語であれば、そのまま、借用語を使ってもよいですが、伝統的に存在する語は、それを使い続ける方が良いと思いますが…。参考1 日本語の「頂く」は多くは「拝(う、をぅが)むん」という語になる事がありますが、それでも食べ物には言わないと思いますが…。参考2 沖縄芝居の「泊阿嘉」で乳母のセリフに、「親がなしからぬ暇ん、拝まびたい」というのがあります。その日本語の意味は「親御さんから、お休みも、頂いたし」です。註:「食ま+いい」の「食ま」は「食むん、食ぬん(首里語)」の未然形、「いい」は「~ね」等を表す感嘆詞で、「い」でもよいです。 琉歌茶を飲むなら二杯を食べ物は腹八分でそれこそがまた心身を健康にさせる註:沖縄には「一ち茶や飲まんむん」という教訓言葉があります。「他所ではお茶は一杯だけで済まさすな」という意味で、どんなに急いでも二杯は飲むべしという意味です。そうすることによって、心の落ち着きを取り戻し、同時に、お茶を出してくれた相手に対しても失礼にならないという意味合があります。筆:比嘉 清