中国人にも親日家はいる!!
かなり前に,バンコク「竹亭」さん(クリックでジャンプ)に,中国人について聞かれたことがある。その答えにもなる。すごい間が開きましたが… 以前のをリニューアルしてUPする。全てVTRからのキャプチャ画像だ。 ’99年8月,海南島北部の海口から南部の三亞に行こうと思い,ホテルに相談すると,なぜか中国人のローカルツアーに入ることになってしまった。当然中国語オンリー。ガイドはもちろん,20名近くの客も英語は一切ない。弟と2人で参加した。 途中のどっかの街で見た,バイクタクシー。 どっかの小さな動物園の趣の施設に寄った。わざわざ寄る意味がわからなかった…何かめずらしい動物でもいたのだろうか?このツキノワグマ?気は荒かった。 このおじさん,ハルピンの交通局に勤めているという。マラソンの選手もしているということであった。また,南京大虐殺について(諸説あるが)熱く語っていた。「日本人は大好きだが,昔の日本軍がしたことは許せない。」らしい。「はい!はい!はい!」と日本軍のかけ声?を,いつも真似して言っていた。でも親日家なのだ。 どっかの植物の研究施設?の敷地で。妙な薬がいっぱい置いてあった。左が新疆ウイグル自治区の兄ちゃんで,右がハルピンのおっちゃんだ。私と弟を加えたガイド泣かせの勝手な行動ばかりする迷惑4人組だった。全く話を聞かずに,いつも勝手にあっちへフラフラこっちへフラフラ行っていた。それでも他の客は一切怒らず,みんな寛大だった。 途中で昼食だ。何テーブルかに分かれた。なお,中華テーブルは,昭和初期に日本在住の華僑が考案し,逆に中国にも広がったようだ。 いろいろな料理が出てくる。得体の知れなものもあるが,だいたいはおいしい。 海口~三亞まで途中の町で1泊し,2日間一緒だったので,食事も同じだ。見ていると,骨や殻,食べられないものは,みんな次から次へとテーブルの上に捨てていた。食後はこの通りだ!もっと汚くなることも多かった。でも,これが普通のようで,テーブルクロスは店員が食後に客が去ってから毎回ふつうに取り替えてた。 バスは,山中に入った。どこか,さっぱりわからない。 インドネシア村らしい。中部の山中に,いきなりあった。ミャオ族だとか猫苗族だとか,よくわからなかった。私たちが,どこまで正しく認識できたか定かでない。はっきりとわかるのは,観光スポットらしいことだけ。妙な帽子を被せられての撮影だ。左が私で右が弟だ。 猫苗族(ミャオ族?)と書いてあったような気がするが,ハッキリしない。以前はネットで調べてもわからなかったが,少し前に調べてみると,三亜から120キロで海口からは220キロに位置する,万寧市の興隆町にあるらしいことがわかった。 民族の伝統的な踊りだろう。 闘鶏もあった コブラ!?もいる。合図に合わせて動いている。 さらに,鼻からふつうのヘビを入れて,口から出すというショーもあったが,やってる本人は,えずきっぱなしで見ていられなかった… 村全体が,公開されている感じだ。撮影も自由だ。 民族衣装? 説明があるのだが,言葉が全くわからない… 三亞の西40kmにある南山寺にある仏像。この寺は,奈良時代に律宗を日本にもたらし唐招提寺で晩年を過ごした,かの鑑真が5度の渡日に失敗し流れ着いた際に建てたという。 鑑真に関係があるということを,後日,初めて知った… 仲間?になった,中国人2人。ハルピンの交通局のおじさんと新疆ウィグル自治区で石油を掘っている青年だ。私と弟を加えたガイド泣かせの言うことを聞かない迷惑4人組だ! この都合4名,ガイドの後をゾロゾロついていくのがイヤで,あっちへフラフラこっちへフラフラ行っては,他のみんなに探され,迷惑をかけまくっていた。それでも,他の客は怒らず,みんな寛大だった。 このときは,途中で1泊したホテルの部屋へ遊びに来ていたのだ。ホテルは,エコノミー~中級の3段階あったようで,それぞれの場所は離れていた。私と弟は,グループの中では1番いいホテルのようだった。距離が離れたホテルに泊まっていた中国人2人は,わざわざタクシーか何かでやって来たのだ。 言葉は,ほんのわずかの英語とあとは筆談。 天涯海角。浜辺に多くの奇石があるのだ。岩に文字が彫られている。海南島は,以前は流刑地だったそうだ。じつは,ここで以前にサントリーの烏龍茶のCM撮影が行われ,放送されていたらしい。'99年のようなので,ちょうど行った頃になるかも。 迷惑4人組に女性が1人加わって,記念撮影。私は右端,弟は左から2番目。 三亞のビーチ。たいへん青くてきれいだった。 キティちゃんの傘を差して,海に入る!! さて,そうこうしているうちに三亞に着いた。他の客はというと,さんざん迷惑をかけたにもかかわらず,親切にしてくれた。みんな,別れを惜しみながらのサヨナラだった。降りる場所は,それぞれに違ったのだ。ホテルごとに降りたのだ。 今後,中国へ行くことはしばらくはないと思うが,このときは楽しい思い出として残っているのだ!