美しい石造りのアーチ橋、諫早の眼鏡橋
諫早公園内で美しい姿を見せる眼鏡橋です。その佇まいには、なんとも言えない風情がありますね。眼鏡橋は天保10年(1839年)に建造された石造りのアーチ橋です。アーチ組み立て石は一個一個、短い鎖でつないで強度を増し中央基礎に有明海の潟土を置き「柔構造」にすることで地震の衝撃に備えました。全長49,25メートル。幅員5,5メートル。存在感を感じる橋ですね。この眼鏡橋はもともとは、本明川に架けられていました。かつて本明川の橋は、大洪水のたびに流されていました。この眼鏡橋は江戸時代に、当時の人々の『永久不壊の石橋を』との強い願いから生まれました。多くの人々が協力して、大変丈夫に築かれました。・・・人々の永久不壊の願い、思いがこの眼鏡橋の光と影を作ることになります。かつて洪水のたびに橋が流されるため人々は川に石を置き、飛び石として渡ることを余儀なくされていました。余談ですが、この飛び石、今でも諫早公園の近くの川で見ることが出来ます。記念に私も♪ウサギ気分でぴょんぴょんと、川を渡りました。眼鏡橋の誕生で、大洪水のたびに橋が流されるという事もなくめでたし、めでたし・・・・の筈だったのですが。昭和32年に、かつてないほどの大洪水がおきました。人々の永久不壊の願いが篭った眼鏡橋。さすがに丈夫です、この大水害でも流されませんでした。・・・ところが、そのことが違う悲劇をもたらしました。大洪水で倒壊た家屋の木材が、本明川に流れ込み眼鏡橋へと、凄い勢いで押し寄せます。堅牢な眼鏡橋は押し寄せる木材を、堰き止めてしまいます。当時の新聞の写真を見ました。まるで眼鏡橋が、ダムのようになってしまっています。そうして、流れをせき止められた水は溢れ出しものすごい勢いで人々を、家を、家畜を襲ったのでした。この大水害で亡くなられた方は、500名を超えているということです。なんということでしょう。眼鏡橋が流されれば、倒壊すれば、これほどの被害にならなかったのかも知れません。が、しかし、長崎の人々の眼鏡橋への思いは強く昭和36年に、諫早公園に移築復元されました。また、眼鏡橋は昭和33年に日本の石橋の中で初めて国の重要文化財に指定されました。私もお兄様と一緒に眼鏡橋を渡ってみました。穏やかな天気で、空が美しく池には錦鯉が優雅にゆったりと泳いでいます。こうした事を踏まえて眼鏡橋を渡るとなんとも言えない感慨に浸ってしまいます。よろしかったら愛の一押しをお願いします→→