先日記した「従軍慰安婦」問題もそうですが、日本政府と与党特に自民党主流派は、疑わしきは証拠がないと否定し、くさいものに蓋をすることで、戦前・戦中の軍部の行為を美化しようとしています。新装版の皇国史観復活を意図しているように見えます。この点に私は強い危機感を抱いています。 本日沖縄タイムスの7月6日号に次ぎの記事があるのを見つけましたので、ブログに転載します。 集団自決への軍関与を巡っては、軍が記した文書が出てこない限り、いくつ証言を集めても、それは伝聞に過ぎず証拠と認めないという,言い逃れで文部科学省は、教科書への記述を全て訂正させています。軍の口頭司令が絶対命令だった当時の事情を、ほぼ完璧に無視するこうした無法が罷り通っているのが、現在の日本の現実である事を、皆さんにお伝えしておきます。 「軍命受けた」助役明言/妹2人が初めて証言 座間味「集団自決」45年3月25日夜 沖縄戦時下、座間味村で起きた「集団自決(強制集団死)」で、当時の助役が「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と話していたことが、助役の妹二人の証言で六日までに分かった。当事者が初めて証言した。「集団自決」の軍関与が教科書検定で削除され、軍命の有無をめぐる裁判が進む中、日本軍の軍命を示す新証言として注目される。(編集委員・謝花直美) 証言したのは「集団自決」で亡くなった当時の座間味村助役の宮里盛秀さんの妹・宮平春子さん(80)=座間味村=と宮村トキ子さん(75)=沖縄市。 座間味島への米軍上陸が目前となった一九四五年三月二十五日夜。春子さんら家族と親族計三十人が避難する座間味集落内の家族壕に、盛秀さんが来た。父・盛永さんに対し「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するよう言われている。間違いなく上陸になる。国の命令だから、潔く一緒に自決しましょう」というのを春子さんが聞いた。午後十一時半に忠魂碑前に集合することになったことも伝えた。 集合時間が近づき、壕から出る際、トキ子さんの目前で、盛永さんは盛秀さんを引き留めようとした。盛秀さんは「お父さん、軍から命令が来ているんです。もう、いよいよですよ」と答えた。 その後、盛秀さんは産業組合壕へ移動。同壕の「集団自決」で盛秀さんら家族を含め六十七人が亡くなった。 当時、盛秀さんは防衛隊長も兼ね、軍の命令が村や住民に出されるときには、盛秀さんを通した。 春子さんもトキ子さんも、沖縄県史や座間味村史の編集作業が行われた七〇-八〇年代に同島におらず、証言の機会がなかった。 座間味島の「集団自決」の軍命を巡り、岩波書店と大江健三郎さんが名誉棄損で訴えられた「集団自決」訴訟では、元戦隊長が、助役が軍命を出したと主張。さらに訴訟資料を参考に文科省の教科書検定で、「集団自決」記述に修正意見がつき、日本軍関与が削除されている。 |