クロニクル 軍部大臣現役武官制復活
1936(昭和11)年5月18日
76年前の話です。この日陸・海軍省官制の改正が公布され、陸軍・海軍大臣及び同次官の現役武官制が復活しました。
復活の直接的原因は2・26事件にありました。事件後陸軍の主導権を握った統制派は、
粛清されて現役を退き、予備役に編入された皇道派勢力が、予備役でも務めることが出きる、大臣や次官として復活する道を封じる狙いで、軍部大臣の現役武官制の復活を求めたのです。
陸・海軍大臣は、大正2(1913)年に憲政擁護運動の成果として、官制の改正を経た上で、予備役の将軍でも就任できることになっていたのです。軍部はこの大正デモクラシー運動の成果を否定し、その廃止を要求してきたのです。
皇道派の息の根を止めるためという大義名分をかざしての要求に、内閣も議会もそしてマスコミも、なるほどそれならばと簡単に軍の要求を認めてしまったのです。
その結果、陸・海軍大臣は現役の大将・中将から、同次官は現役の中・少将からと定められました。ここに軍部は自らの意に添わない内閣には、大臣の派遣を拒否することで、
その存亡を左右することが出来ることになったのです。
大臣の派遣拒否というこの作戦は、翌1932年の宇垣一成内閣の流産、及び1940(昭和15)年の米内光政内閣の総辞職という形で効力を発揮し、東条英樹による軍部独裁政権の誕生に繋がったのです。