カテゴリ:日本の政治と政治史
クロニクル 指揮権発動
1954(昭和29)年4月21日 62年前のことです。この日、吉田茂内閣の犬養健法相は、造船疑獄との関連がかねてから噂されていた、佐藤栄作自由党幹事長に対する検察庁からの逮捕許諾請求に対し、法相の検察に対する指揮権を発動し、佐藤逮捕を阻止しました。 汚職事件に連座した与党の有力政治家の罪を握り潰したとして、世論とマスコミは強く反発、翌日22日には、犬養法相は自発的に辞任して、幕引きを目指したのですが、世論は納得しませんでした。 佐藤幹事長が池田勇人氏と並ぶ、吉田門下生であったことから、指揮権発動には、総理の意向が強く働いていたに違いないと、国民は考えたため、吉田内閣の支持率は急落、1部の自由党議員は、政党再編に動き出しました。 ここに鳩山一郎・岸信介・石橋湛山氏等と改進党の重光葵氏らは、民主党を結成して、吉田内閣不信任案を可決成立させます。ここに、同年12月7日、吉田内閣は総辞職のやむなきに至ります。指揮権発動で子飼いの部下を救済したがために、逆に政権の命脈は尽きたのでした。 ただし、指揮権発動の結果、造船疑獄事件に対する検察の調べは、中途半端に終りを迎え、疑獄事件の追及は政治の壁に阻まれて頓挫し、事件の真相は闇に葬られてしまいました。 ところで造船疑獄とは、当時の日本政府が戦争で打撃を受けた海運業界の再建を図るために、造船業界をも巻き込んで、新船の建造を計画的に進めるため(計画造船)に、政府が計画に従う企業に低利の融資を行い、同時に一定額まで海運業界に借り入れ金の利子補給を行うという政策をとっていたのですが、この法案の制定、及び低利融資を受けるために、運輸省幹部や政治家に対する収賄工作が幅広く行われたことを指します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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