カテゴリ:日本の政治と政治史
クロニクル 三木内閣発足
1974(昭和49)年12月9日 42年前のこの日、三木武夫内閣が発足しました。首相の金脈問題で、田中内閣が総辞職した後、次期自民党総裁を巡って、福田・大平の両雄対決の様相が日ごとに強まっていました。 ここに三木・中曽根の2人も参加しての総裁戦となれば、金脈批判を浴びた自民党が、再び金権選挙をやっていると、世間の指弾を受けるのは確実でした。そこから総裁公選を回避しようという動きが強まり、総裁選に出馬意欲を持たない椎名副総裁に、後継選びを一任しようという気運が高まりました。 4候補もこの案を受け入れたため、椎名氏は12月2日に、「後継総裁に三木武夫君を推す」とした有名な椎名裁定を発表しました。 「福田君、大平君のどちらを推しても、しこりが残って将来に禍根を残すし、中曽根君はまだ力不足であるから、ここは残る三木君でいくしかないと考えた。」と、後に椎名氏自身が語っています。 しかし、本当にそれだけの理由だったのでしょうか? もっと浦に何かあったのではないか、そんな気が今でもぬぐえずにいます。昭和政治史の謎の一つのような気がしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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