カテゴリ:日本の政治と政治史
クロニクル 三里塚で第2次強制代執行
1971(昭和46)年9月16日 新東京国際空港(成田空港)の建設を巡っては、激しい反対運動が続けられていました。そうした睨み合いの中、46年前のこの日、建設予定地に残る反対派の4ヶ所の拠点に対して、第2次の強制代執行が行われました。 同年2月22日から3月25日にかけて行われた第1次強制代執行でも、逮捕者487人、負傷者700人を出すなど、反対同盟の激しい抵抗にあったのですが、この日も同じでした。 三里塚・芝山空港建設反対同盟の農民や支援の学生・労働者ら3千人以上が、代執行の対象となった団結小屋に立て籠もり、空港周辺ではゲリラ活動を展開して、5千人を超える機動隊と各所で衝突するなど、早朝から騒然たる空気が漲っていました。 代執行の開始直後、角材や火炎瓶などの攻撃を受け、機動隊員3人が死亡、重軽傷者115人を出すなど、成田闘争最大の惨事となり、結局代執行は翌日以降に持ち越されました。 政府の閣議決定の仕方から、地元への丁寧な説明の欠如など、政治の対応のまずさが、反対運動の活発化を招き、結局71年春の開港予定は、7年も遅れて1978年5月となったのですが、それでも横風用の滑走路の長さを、大幅に短縮するなど、長期に渡って日本のハブ空港としては、機能が不十分の空港となり、アジアのハブ空港としての地位は、韓国の仁川空港に奪われるなど、政治の失敗のツケは大きかったと言わざるをえません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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