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カテゴリ:ヨガ
9月xx日の日記。 そうです、9月の日記なんだから、別におととい(というのは12月8日だ。ジョン~!…太平洋戦争開戦日というべきでしたかごめんなさい)、辛いことがあったから とはいえ、積み重なる下書きの中からこれを取り出したということには、 …ともあれ、この9月というのは春と並んでヨガのイベントが多い時期らしく、 そういう来日中の先生のひとりにマーク・ウィットウェルさんという方がいて、 市の公民館だがなかなかいいところで、昔ながらの民家風。 さすがオージー(あれ、ニュージーランドだったかな?違ってたらすみません)、でかい。 通訳でサントーシマ香さんが同行してらした。この方も、顔とお名前は存じておりましたが、実際に目の前で見るのは初めてである。おお。いきなりミーハーが入り込む。 ベタに言ってしまえばきれいな方、だが、きりりとした、品のある美しさ。 そういう眼ヂカラ・コンビによるクラスでありました。染みいる活力(念のため言っておくと、これは引用です。確か爆風スランプ…ごめんね古くていつもっ)。 先生は会場の奥に作られたステージのうえに乗っかり、その端に腰をおろして、脚をぶらぶらさせながらお話をはじめた。目は鋭いが話しぶりはやさしい。 Obssesiveになるな、と先生はおっしゃるのであった。 ヨガを義務にしないこと。がんばりすぎないこと。ヨガは誰でもできるもの。 ヨガは間違った形で伝わってしまっている(という先生はとっても多い。そういう気持ちは、素人の私にも非常によくわかる気がする。素人でももどかしく思うことがしばしばなのだから、先生たちはさぞやと思う)。 会場いっぱい参加者だったが、男性は3人。 やがて出てきたのが、この Pain is the healing. であった。 痛いところがあると、当然「やだな」「つらいな」と思い、それをかばおうとするものだけれど、 そう、そこで休めってことかもしれないし。 休めで思い出したが、トシ先生(も、サーファーだよねえ。サーフィンとヨガは通じ合うのね、ほんと)も、よくそれに似たことをおっしゃる。 結果も想定せず原因となる行動も考えず自爆するワタシとしては、 だが衝突大破を繰り返すおかげで「気づき」だけはいろいろ得られました。 話を戻す。 PAINというのは肉体的苦痛だけではないわけで、心の痛み、精神的苦痛というのはあとを引く。 これについてはずいぶん前に、子供が鬱病になってしまった知人のことで書いた記憶があるのだが… 専門家ではないからそんなに詳しくはないけれど、カウンセリング療法として過去をたどるというもの、あれは必ずしも効果を生むとは限らないのではないか。 それで母と娘が納得し、了解し、先に進められるならいい。 そこから恨みが生まれて、親のほうには罪悪感が生まれて。 一時期ほどこういう「親のせい」風潮はない気がするが、そこから派生した影響は漂っている気がする。。。べつに親がすべての責任を負うことはないんじゃないか。 再び話を戻す。 先生は、「許さなくては始まらない」とおっしゃった(正確な表現じゃないかもよ、しつこいですが)。 そう、そうですよね・・・ ! 親のせい、親がこうしろと言ったから、と、ずっとそれを抱えていると、 もちろん親に限ったことじゃなく、誰かが自分にこうした、とか、自分はあいつのせいでこうなった、とか、そういうことばかり考えてても、何も生まれない。 そうだよね。 これも随分前に書いた記憶があるが、あの「Mama~Do you remember~」うたった人(すいません、”ジョーなんとか"だったことしかいま思い出せないの~あ、ジョー山中だ! よかった、まだ固有名詞が出る)が、人に騙されてお金なくなっちゃって、でも恨んでないという話、 そうやって乗り越えた人たちは(実際、すごいよね…)、いつまでも恨みにこだわってはいないわけだ。 何事も、こだわっちゃいけない。 話が時間空間ともあっちこっち飛びましたが、とにかくいい日でありました。 そう、先生の著書がようやく日本語訳発行の運びとなった、とのことであった… 恨みは忘れるべきだが、忘れていけないこともあるね。
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Last updated
2009.12.11 10:51:10
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