対話と圧力。
そのあたりの見知らぬ人といきなり対話しますか?まずしません。しかし、誰かから苦情を言われたらどうでしょう? 相手の言い分を聞き、必死になって解決しようと言葉を探すでしょう。相手の誤解かもしれない、こちらが気がつかなかったかもしれない、どうやって相手の怒りを収めようか、とにかく、前頭葉レッドゾーンで危機を乗り切ろうとするはずです。対話か圧力かなんてそもそもありえない。対話には圧力が必ずセットでついてくるものなのです。そう思いません?圧力なくして対話なし。対話をしたければまず相手にどう圧力をかけるか考えるところから始まります。そのことを最近の教育の風景では忘れ去られています。やれ、人権だ権利だ義務だとか言って、自分のエゴを固くガードして、人からの圧力を嫌う、だから自分も相手に圧力をかけないようにする。それで平和に人間関係が築けると考える。これはうそです。人からの圧力こそ対話の原点です。女性差別結構!人種差別結構!経済的格差結構!近所迷惑結構!差別され圧力をかけられていることは対話のチャンスなのです。そう考えると他人の不愉快な言動でヒステリーを起こさなくてすむ。相手が自分の思うように動いてくれなくても平気になれます。説得するのでない。圧力をかけるのです。あ、圧力とは暴力ではありません。このごろコミュニケーションの能力が落ちてるなんて言われますが、あれは他人に対する圧力のかけ方がへたくそになっただけのことです。誰かの口の利き方が悪ければすぐに圧力をかけましょう。すると陰惨な事件にはなりません。誰かが無礼なことをしたらすぐ圧力をかけましょう。するとだんまりしていた多くの人が助かります。圧力とは無言で相手のテリトリーに進入することです。あえて目をにらむ必要はありません。相手のテリトリーの中でじっと沈黙を保つだけでいいのです。女性からこれをやられたら男性なんていちころです。「おれに気があるな、ほれてるな」って結構本気で勘違いします。本当に好きなら相手の懐に飛び込んで沈黙してください。絶対効果が現れます。圧力のかけ方を間違うと暴力沙汰になる。言葉だけのやり取りは感情を破壊します。国家同士なら戦争です。今の日本人、下手になったでしょう、圧力のかけ方。だから陰惨ないじめや体罰、虐待がはびこっているのです。むかしからスマートでかっこいい人のことを“粋な人”っていうけどあれは、圧力のかけ方に芸のある人のことですよ。本当の芸人はそこを知っている。今はそういう人、減りました。対話をしたいなら、圧力をかけましょう。