誕生日を選んだ子
お正月があけてから、少しずつ物置になっている和室の整理をしている。あたしは見覚えのないものを確認すると、そのままそれに見入ってしまうのでとても時間がかかってしまう。特に本の整理なんて最悪だ。もう一度読み返したい本を大量にベッドサイドに積んでしまうので、整理なのか荷物を広げているのか分からなくなってしまう。そんな整理中、見慣れない袋を見つけた。中を開けてみると、子ども用のセーターがたくさん出てきた。みんな、ほとんど出来上がっていて、あとは糸の始末をすれば着れる。左下のものはゴム編みをつけずにステッチで仕上げたのであっという間に出来上がった。ベアの編み込みセーターは余り糸を使って作ったのもなので編み込みの糸が夏糸だったりする。かろうじて、健三には間に合ったようだが、これは無理だな・・このベビードレスは、健三の出産で入院していたときに編んだものだ。結局編んだだけで、一度も使っていない。もたつきやはぎを極力減らす為に前身頃と後身頃をすべて一緒に編んである。裾から1目ゴム編み、脇のところで減らし目をしてAラインに仕上げたもの。胸元は、スモッキングをして、袖口も飾り編み。宗二・健三とも、予定日を過ぎても兆しがなかったので管理入院していた。やることといえば、NST(ノンストレステスト:胎児心音陣痛図)というモニターをお腹にまきつけ、朝から夕方まで陣痛促進剤の点滴をするだけ。途中で昼食をとるかトイレへ行くくらいしかやることがなかったのだ。買い込んでおいた本は読みつくしてしまったし、雑誌はつまらない。それで編み上げたベビードレスだった。宗二は、予定日が12月16日だったのに、全然出てこなかった。そこで、入院して毎日促進剤を点滴したが、陣痛のじの字もやってこない。はじめは「クリスマスと一緒だったら楽でいいな」などと思っていたのだが、クリスマスには、1人で病院食のチキンレッグとケーキを食べた。このころからあせりだしたが、まだ兆しはない。さすがに大晦日に陣痛が来ても困ると先生も思ったのだろう、外泊の許可と一緒に、点滴を外してもらった。この点滴の針が太くてとても痛い。腕は太いくせに血管は細いので、なかなか刺すことができないのだ。(肉に圧迫されているから血管が細い、のかもしれない)あたしの腕には、左右あわせて4箇所に小さな丸いぽっちがある。うまく刺せなくて場所を変えたので4箇所も跡が残ってしまった。これが、出産の時の勲章だ。そんなわけで、外泊をもらって年越しは自宅で過ごしたのだが、朝10時には病院に戻らなくてはならない。簡単に朝食を済ませ、神社に初詣をした。もちろん、このときの願い事は「早く陣痛が来ますように。」「無事出産できますように」ではなく、それ以前の問題だったのだ。神社を後にして、病院に着いたとき、陣痛がやってきた。ドカン、とやってきたのでそりゃあもう痛かった。じゃあ、そろそろ産もうね、という段階になってからはあっという間のことで、助産師さんたちが割烹着のような術着を着る間もなく、一回いきんだだけで足まで出てきた。「あ、足を支えて!」という言葉に反応した旦那はあたしの両足を真正面から抱えたので、宗二が出てくるところを一番近いところで見たのは助産師さんではなく、旦那だった。処置が終わって5分ほどで、連絡をもらった先生がやってきた。開口一番、「いや~、アダムスさん、お屠蘇でビール飲んできちゃいました」「うわ、あたしも早く飲みたい。先生ばっかりずるい!」みんなで大爆笑だった。それにしても、促進剤をやめた翌日に陣痛が来て、予定日を半月過ぎて元旦に生まれるなんて・・・本当に宗二は大物になると思う。公立の病院だったので、毎日2~3人の子どもが生まれるのだが、この日、生まれたのは宗二ただ1人だった。ちなみに宗二の「宗」の字は、「おおもと」とか「一番初め」という意味からもらった文字だ。あんなに小さかったんだよな~と、新生児のころの子どもたちのことを反芻した。夕食は●鳥だんご鍋 鳥のひき肉にしょうが・塩コショウ・卵を入れて 混ぜ合わせたもの。 あとは白菜・ナメコ・豆腐・水菜・わけぎ・くずきり・ニンジン 鶏胸肉としょうが・昆布でだしをとっておいたものに入れて。 旦那はポン酢で食べたが、 あたしは岩塩と粗挽きコショウを挽いて、 柚子コショウとあさつきをのせて。 ●雑炊 子どもたちも、雑炊にはまってしまったようで この日もまた卵雑炊。そういえば、あたしが作ったのってセーターだけじゃなかったよな、と押入れの中をかき回すと、子供用に作った布団も出てきた。真綿を芯にして、パッチワークとキルティングしたもの。おくるみも共布で作ったよな・・と、また探したが、出てこない。気付くと整理していたはずの和室は何もやらないときよりも乱雑になっていた。