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上生的幻想

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2004/11/20
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カテゴリ:ブルゴーニュ 白
目の前に広がり、波打つ黄金色のコート(丘陵)。かすかにバラ色に染まる黎明が柔らかくコートをつつんでいる・・・その光は、新古典派のアングルような硬い光でもなく、印象派のように澄み切った明るい光でもない。点描画のスーラのような、さまざまな細かい色彩の粒子が混ざることなくまざりあって醸しだすぼんやりとやわらかいほのかな黎明の光・・・
その心地よい、そしてどことなく懐かしいコートの起伏をゆっくり目で楽しみながらたどると、やがて人の住んでいる集落が見えてくる。まだ産声を上げたばかりの「都市」。だが、その「都市」は自然に抱かれて、その自然とともに懐の深い情景を形作っている。それは、都市と田舎、都市と田園、都市と郊外という格差や対立概念がまだ成立していない、都市と自然がなだらかに地続きになっている、都市化・近代化以前の牧歌的な情景・・・このワインを口に含むと、そんなのどかでおおらかな、都市と自然との融合した牧歌的なある日の黎明が思い浮かぶ・・・・
近代化・都市化することで失われてしまった、美質や静けさ、おおらかさなどがそのエッセンスであるようなワイン。
今は失われてしまった、古き良きブルゴーニュというイメージを引き寄せるワイン。
 
あるいは、音のない打ち上げ花火。回想の情景のような静寂の闇の中で、大輪の花火が、音もなく花開いては散っていく・・・
 
砂糖などのそれではなく、小麦粉そのものの甘みがにじみ出ているみたいな上質なパンの香り。さらに、ヴァニラ、水仙のような小さな白い花を集めた盛り花から漂ってくる香り・・・熟れた桃をイメージさせる風味ととろりとした口あたり、その底にプリンのようなコク、酸味がとろけるほどに熟れたグレープフルーツなどの柑橘類、梅酒、パン。若いマコンほどいきいきとしてはいないが、コート・ドールのものほどくすんでもいないし、クリーミーでもない。
長い余韻は、さっきからの上質なパン、紫蘇、プリンのコク、バター。
時間が経つと、香りには複雑味が増し、上質なパン、白い花の盛り花にくわえて、バター、ナッツ、ソテーしたバナナなどの香りも。風味も、よく熟れた桃・柑橘類、とてもデリケートでエレガントな梅酒(砂糖など加えないで完熟梅の甘みで醸したような・・・なんて梅酒は実際にはないけど)にくわえて、紫蘇、リンゴ、蜂蜜、パイナップル・・・・余韻には、あのテランテスのマデイラのような繊細でエレガントな酸味、パン、そしてかすかに炭・・・
だがもっと注意深く味わえば、鼻と口のなかで、パン系、白い花系、ナッツ系、完熟柑橘系、ソテーしたバナナ系、と言い表すしかないような、それぞれの風味の中で微妙な差異が連続する味わいが、その微妙な差異のひとつひとつを繊細な弦に移したハープがかき鳴らされていることに、しかも静かにかしがましくなく控えめにかき鳴らされていることに気付くだろう・・・
かき鳴らされては、打ち上げ花火のように花開いて、心地よい余韻を残して闇の中に消えていくそれらの風味にはなんの曇りもなく、たしかにルフレーヴのような燦々たる輝きこそないが、まぎれもないブルゴーニュの白であることにも揺るぎがない・・・
 
 
 BOURGOGNE COTE CHALONNAISE LES CLOUS 1995 A.ET P.DE VILLAINE
 
メモ)白ワインということで、ルフレーヴを引き合いに出したが、実は、ルロワおばさんを引き合いに出すべきなのかも知れない。何故なら、両家は、ロマネ・コンティの共同経営者でもあるから。
ルロワおばさんのワインは、まったく対照的な感じがした。それは、近代的なスパルタ英才教育という感じだった。だから、並の上ぐらいのブドウではそのスパルタぶりに負けてしまって、結局、なんとかルロワ家の一員としての礼儀作法、身のこなしは身につけて面目は保っているものの、いつも姑の叱咤激励にピリピリ・ビクビクしながら畏まっている一方、なんとかワンランク上の大学に合格したものの、こころは燃え尽きて伸びきったゴムのようになっている学生さながらの、娘婿のようだった。ルロワおばさんの近代的スパルタ英才教育は、氏素性もよければ血統書も間違いない、超一流の素質を秘めたブドウに対してはその才能を余すところなく開花させることが出来るが、そうでないブドウからはブドウ本来の人格や闊達さを奪ってしまう感じがした。「もうちょっとこのブドウの言い分も聞いてやってもいいだろうに・・・たとえこいつがせいぜい並の上程度のブドウであっても・・・」(なんせ、飲んだのがブルゴーニュ・ルージュだから・・・^_^;)
とにかく、自分のカタにはめてしまう、という感じのルロワおばさん。だから生半可なブドウだと、そのカタに嵌め込まれて一生才能を開花できない。並の上程度のもってうまれた才能なんかより、私の近代的スパルタ英才教育の方がキラリってかがやくのよ☆ じゃないけど、そういう意味で、ルロワおばさんのブルゴーニュ・ルージュ98には、「フィネス」があった。もっとも、フランス語ではなく、英語の「finesse」、つまりルロワおばさんの「らつ腕ぶり」・・・(;^_^A アセアセ…
 
このヴィレーヌは、そういうルロワおばさんとは対照的なワインだった。
しかも、それは、「古典的」ではない。「古典的」と言われるためには、「現代」にも通じる何かを持っていなければならない。だが、この白には、そういうものではなく、「近代以降」が失ってしまった何かを持っている、という感だった。だが、それは、「近代以降」とは隔絶してしまったが、しかし、それが「近代」の「黎明」のひとつであることには違いない、という印象。何かの偶然で、ただ、たまたま途絶えてしまったスタイル、とでも言うか。生命の系統樹にたとえるなら、「近代の黎明期」に色々に枝分かれした、そのなかのあるひとつのスタイル、といった印象。
途絶えた、という言い方はおかしい、のかも知れない。現に、ここにあるのだから。だが、それが途絶えたというのは、その当時のスタイルそのまま、ここにある、から。つまり、時間が止まってしまっているのだ。
 
ワインの系統樹、あるいは、ワイン史というものを考えるのも、面白いかも知れない。それは、社会的な事件や進歩や変化と、ワインを関連づけるものではない。ワインのスタイルといった、ワインの「内面」にかかわるものだ。その「内面」がどのように変遷をたどってきたか・・・消えたもの、発展したもの、進化をやめたもの・・・・(2004/12/07)


字数制限の関係で、メモのつづきは、
11/22に。





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Last updated  2004/12/08 09:15:20 PM
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