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上生的幻想

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2008/07/24
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カテゴリ:展覧会など
 
 文化庁・地方公共団体から補助金の交付をうけ、会員・講師の人たちの援助による、若手養成の会。
 入場無料。
 奥さんはすでに二度ほど見に行っている。
 僕は今日が初めて。
 
 感想・印象
 まず、若い人たちが一所懸命やっている姿というのは、見ていてとても気持ちがいい。
 ふつうの能の会だと、すべてプロ。ここに登場するのは、というか、ここの主役は、能楽師のタマゴ。
 小学生から二十代半ばくらいまでだろうか。
 普通の能の会では絶対見ることが出来ない若手が見られて楽しい。
 
 笛   森田浩平  たぶん小学生。 音色は能の笛の音色にまだなっていないが、「小袖曽我」の舞囃子を途切れることなくあれだけ吹けるというのは、なかなかでは。旋律になっていたし。
     杉信太朗  養成会よりもよかった。柔らかい音もでていたし。養成会の時はやっぱりちょっと力んでたかな?
 小鼓  古田知英  二十代前半くらい? 手堅い感じ。
     林大輝  中学生くらい。 何事もなく、やすやすと演奏しているように見えた。だから特に目立ってはないけど。
 大鼓  河村裕一郎  中学生くらい? この子も何事もなく、普通に演奏していた。
     河村凛太郎  小学生くらい。 とてもリズム感がいいと思った。このリズム感を磨いていったら、なかなかすごいかも。
 太鼓  前川光範  養成会の時よりも、艶やか、華やかな音色だった。ただ、やはり、乾き気味。気候のせいなのだろうか? また、音色にもう少し力強さのようなものがあるといいかも。
 
 狂言  口真似   千五郎家の若手。太郎冠者 島田洋海  主 山下守之  客 増田浩紀
   忠三郎家と演出の点で所々違ったところがあった。
   耳を引っ張ったり、突き飛ばしたり、突き飛ばされて倒れたり、というところが、まだ煮詰まってない感じ。自然さがなかった。
   また、主が「某は、一杯飲めば(「刀を」)一寸抜き、二杯飲めば二寸抜き・・・」というところで、「太刀を」か「刀を」という言葉を言わなかったのは、忠三郎家と千五郎家の違いなのか、それとも間違ったのかわからないが、ここは、「太刀」なり「刀」を入れた方が、客にはわかりやすく、笑いがとれるところ。
 
 能  清経   「能」とあるのでどんなのが、と思ったら、紋付き・袴という仕舞の時の格好。
       シテ  大江広祐
       ツレ  梅田嘉宏
       大鼓  河村大(河村凛太郎くんのお父さん)
       小鼓  古田知英
       笛   杉信太朗
       地謡  河村浩太郎 大江泰正 武田大志(以上若手)
           大江信行 味方玄 分林道治(以上中堅)
 
 相変わらず、大江広祐、すごいというか、いい。鏡の間から橋掛かりをわたってくるのが、まるで、清経の幽霊そのものといったはこび(もちろん、幽霊なんて実際見たことないので、もしいたらこんな感じかなっていうことだけど)。すぅ~と音もなく移動していく。謡、声もいい。最初の謡で曲の雰囲気、どんな人物としてとらえているか、どう演じようとしているか、などが明確に示される。孤独な、雅な、若い武者、というより、公達。また、自害のいきさつを語るところで鬘桶に腰掛けるが、その座り姿も堂々としていて美しい。
 舞はどうか・・と思っていたけど、今回は、なかなか。甲冑の重みではなく、考え深い性格からくる重み、のようなものが出ていた。清経の内面を捉えた舞だったということ。ただ、太刀を抜くところ、あそこはどうなんだろう? 太刀というのはかなり重くて、太刀の重心が、斬った後抜けるようになっている、つまり何かを斬るのにとても扱いやすい、斬りやすい重心になっていると思うけど、そういう物を扱っている感じは出ていなかった。
 演じ終わって、橋掛かりを帰っていく後ろ姿に、清経の孤独が漂っていた。
 世をはかなんで自害したというより、雅だからこそ、清経は自害したと、そんな印象を受けた。自害する時も、有明の月影のもと、ひとり船端に出て笛を吹き、いまようを朗唱し、入水して孤独に死んでいったが、死後も、だが、その雅な心は、妻にさえ理解されない。
 修羅物、ぼちぼち観たけど、ここまで孤独な死というのもなかったような。変な考えかも知れないけど、昔は戦場で死ぬのは、ある意味孤独ではなかった。討たれても、討った相手がいる。自害しても、戦の最中、敵の目の前でなら、その様を目撃している者がいる。あるいは、そうでなくてもお供の者がいる。しかし、清経はとことん孤独。月が供、笛・今様が辞世。そして自害の様子を語るのは、自分自身。相手は妻。だから、敵ながらあっぱれ、ともならない。孤独な雅な心をもった若者の自死を誰も理解などしない。妻でさえ。
 若いシテだからこそ、このような孤独感を描き出せるのだろう。
 
 ツレもちょっと演技が硬いかな、という感じがしないでもなかったけど、なかなか、よかったのでは。
 
 また、ちょっと気づいたことに、シテにはしての格があり、ワキにはワキの格がある、というようなこと。
 大江信行がワキ方の代わりをしていたけど、その台詞の調子は、シテ方のそれだった。それで、シテ方にはして方の、ワキ方にはワキ方の、調子というか、格というか、そういうものがあるんだろなと気づいた次第。
 
 養成会の「箙」はもうひとつだったけど、今回の「清経」はよかった。
 面、装束はなかったけど、なかなか観応えがあった。一番観たような満足感・充実感もあった。
 
 (敬称略)





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Last updated  2008/07/24 08:14:23 PM
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