カテゴリ:私のこと
はんらは3人姉妹の長女だ。
子供の頃に妹と喧嘩すると、母親から 「お姉ちゃんのくせに」 と叱られて悔しくて悲しかった。 誰も長女に産んでくれなんて頼んでないのに。 妹たちは、いつもお姉ちゃんだけ新しい服を買ってもらえてずるい! 私たちはお姉ちゃんのお古ばかりなのに! と憤慨していた。 そしてよく喧嘩していた。 大人になった今は、もう喧嘩はしない。 上に書いたようなことも今では笑い話として話す。 今、はんらは2人の息子のお母さんだ。 息子たちが2人とも同じように可愛いか? というと、これが、それぞれに対する気持ちが全く違うのだ。 上の子は、はんらにとっては 最初の味方であり、身内であり、仲間だという気持ちが強い。 他人(=ノギさん)と結婚し、見も知らない人たちが義家族となった。 義家族の中で孤独なことも多かった。 特に国際結婚なんかしちゃったものだから、 いろんな点で理解し合えないことも多かった。 そんな中で、初めて味方ができた!という気持ちになったのが長男の誕生だった。 まだ貧しく、はんらも韓国語ができず、 そんな中で「子はかすがい」となってくれてたのが長男だ。 3人で小さな借家に住んで、軽自動車に乗っていた。 次男が産まれた頃には、もっといろんなことがスムーズになっていた。 親子3人+1人の生活も順調になっていたし、 夫の収入も増えて安定していた。 はんらも韓国生活に慣れて、韓国社会で仕事をしていた。 自家用車ももう軽自動車ではなかったし、 次男が産まれる頃に持ち家を買った。 義家族との付き合いにも慣れてきていた。 そんな安定した生活の中で産まれた次男は、 そのまま無条件に「可愛い」と思えた。 今でも長男は、心の支えのように思えたりする。 次男は、ただ可愛い。 可愛い可愛いと甘やかして育ててしまった。 甘やかされて育ってしまった甘いヤツだが、それでも可愛いものだ。 家の片づけをしていたら、育児日記が出てきた。 1993年から1999年までのコーちゃんの成長記録がギッシリ。 毎日のように成長ぶりが細かく記されている。 2000年に、よしくんが生まれた。 よしくんの育児日記は・・・ 2000年の妊娠した時からの日記! 7年ぶりだったので、まさに待ち望んで生まれてきてくれたんだよねぇ。 でも育児日記は2004年3月まで。 ちと短いわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
たくさんの育児日記、素晴らしいですね。
どちらも日本語で書かれているのでしょうか。 (2024/05/16 06:41:50 PM)
maki5417さんへ
基本は日本語ですが、人名や地名、その他いろいろハングルも混じってます。 息子の名前も韓国名で書いてます。 (コーちゃん、よしくんというのは日本名です) (2024/05/16 06:50:38 PM)
私は、アルバムに、一枚一枚コメントを入れています。
やはり上の娘の方が写真が多いです。 下の息子は中学生くらいで写真を嫌がりましたしね。 私はどちらが可愛いというより、無事に成人まで育てる親の使命感があったような、、笑 (2024/05/16 07:42:06 PM)
私の子育てしての感じとしては、同じ環境で、同じように育てたのに、どうして性格が違ってくるの?と思ったりして。持って生まれた物なのでしょうか?
ちょっとした日常の対応の違いで変わって来るのでしょうね。 日記、色んな思いや喜び苦しみが詰まっているのでしょうね。 読み返す事ありますか? 子供達にプレゼントするのも良いかも。 今は日記書いていないの? (2024/05/16 07:53:50 PM)
ちーこ♪3510さんへ
うちは下の子の方が圧倒的に写真が多いです。 上の子が小さかった時はフィルムカメラだったので、あまり写真を撮らなかったし、現像も写真館にフィルムを持って行かなければならなかったのであまり現像しなかったように思います。 (2024/05/16 08:26:41 PM)
下に弟がいて『おねえちゃん何だから』とよく言われました。
子供の時、言われて嫌な言葉だったので、自分の子には絶対に言わないことを必須ミッションにしました。 弟とわけもなくひいきされ悲しかったです。母は、弟を名前にちゃん付けで必ず呼び、わたしは常にお前でした。やはり悲しかったので、三人おなじように名前で呼んだり、三人おなじようにお前と呼んだりしたつもりです。 (2024/05/16 08:33:26 PM)
nik-oさんへ
今回、2回引っ越しをしたので日記帳を発見しました。笑。 子供達にプレゼントしても日本語があまり読めません。 日本語って、漢字とひらがなとカタカナ全部が読み書きできないと読みこなせないので、なかなかハードルが高いんですよ。 日本では小中学校の義務教育で常用漢字2千字強を学びますが、それを韓国の学校の勉強と並行して独学で学ばせるのは大変なことです。 そこまで日本語力を付けさせるのは、なかなかできないです。 (2024/05/16 08:33:31 PM)
わかります、わかります~
私も全く同じです! ただ、かわいいだけの下のこと違って、上の子は韓国に来て一人ぼっちだった私にとって、小さな赤ちゃんの時から心の支えであり生きていく糧です。今でも無意識のうちに精神的に頼りにしていると思います。 なので、今回交換留学に行くことになり、初めて数ヶ月も離れることになったので、空港で見送る時、悲しくなっちゃったらどうしようと心配しました。 私は育児日記は上の子も下の子も3歳まで書きました。その後は個人的な日記を書いています。育児日記は子供たちにそれぞれ渡しました。私も結婚して韓国に来る時、母が書いていた私の育児日記を持たせてくれました。 (2024/05/16 08:34:45 PM)
朝葉晴瑠砂922さんへ
私も長男に 「お兄ちゃんのくせに」 って言ったことはないです。 やはり自分が言われて悲しかったからです。 でも長男が何かをやり遂げた時などは 「さすが、お兄ちゃん! カッコいいなぁ」 と言ったりはしています。 うちのよしくんはお兄ちゃんをとってもリスペクトしています。 (2024/05/16 08:36:05 PM)
faithさんへ
お母様が書いていらした育児日記を持たせてくださったなんて~ 素敵ですねぇ うちの両親も何か書いてたような気がしますが、日の目を見ないまま、消え失せてしまったようです。 妹たちが見るには見たのかも? (2024/05/16 08:38:52 PM)
上の子を育てるのは 何もかも初めてなので印象深いけど、下の子を育てるのはいつか来た道だから珍しくないのですね。
3番目になるとまたかわいいものです。 (2024/05/16 09:00:50 PM)
三河の住人さんへ
うちは上の子が歩き始めるのが早くて(9ヶ月で歩き始め、10ヶ月で走ってました)天才を産んだかと舞いあがり、その後、言葉が遅くて障害児を産んだかと落ち込みました。 下の子は歩き始めるのも言葉も遅かったですが 「いつか歩くしいつかしゃべるでしょー。可愛いからいいのよ」 と気にならなかったです。 (2024/05/16 09:05:51 PM)
私も第一子長女だったので、お姉ちゃんだから、お姉ちゃんなのにと言われ続けて育った気持ちでした。両親も自営業でお店をやっていたから、いろいろ忙しく今は親の事情も理解はできますが、それでも子供にとっては納得いかない言葉ですよね。
なので、私も上の子にお兄ちゃんだから、という言葉はかけたことはありません。 でも、3兄弟次男で育った夫は、何かと息子にそう言ってた気がします。ーー; 私は育児日記がブログが育児日記の一部でした。 ちょうど息子が100日の時から始めたのですが、今思えば、紙で残せば良かったなとか、もっと早くから書いてればよかったとかいろいろ思うことがあります。 (2024/05/17 12:21:08 AM)
すみつばめさんへ
私も紙の日記は2004年3月までですが、その後、2004年8月からは楽天日記を書いていて、楽天日記も最初の方は育児日記のようなものです。 紙の方は、完全に記録、レポートのような感じで、楽天日記とは全く違いましたが。 (2024/05/17 08:37:19 AM)
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