地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

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アガルタ

2006.12.15
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カテゴリ:アガルタ
 

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく






     彩雲75%.jpg
Bhavesh(C)2006






 アガルタ関連を見ていくと、虹の都アガルタとか、虹の国アガルタ、などという表現にぶつかる。そしてアガルタは地底都市ということになっている。さて、アガルタと虹はどんな関係なのだろう。アガルタが地底都市なら、虹と地底とは、直接なにかで繋がっているのだろうか。

 過去のSNSの自分の日記の書き込みをみていて、ふと思った。そういえば昨年2005年7月某日、私の自宅から南方方向に彩雲を見ることができた。最初、変わった虹だナァ、と家人が騒ぎ出し、二階のベランダから私が撮影したのが、上の写真である。虹ではない。彩雲(さいうん)なのである。NHKの全国ニュースでもやったくらいだ。聖書にもでている吉祥ということであった。

 非常にまれに見る現象らしいが、まったくないものでもないらしい。ときたまあちこちで見られるらしい。この時、私はちょっと不吉な予感がした。地震雲ではないだろうか、と直感でそう思ったのだ。直接関係あるかどうかは分からないが、これから数週間後、私の地方は深度6の直下型地震に見舞われた。私の周囲は大事には入らなかったが、各地の被害は報告された。こちらは
ニュースなどでながされた画像。



   彩雲ビル.jpg





 下はその時に、倒れた我が家の廊下のビディオたちである。


     地震縮小.jpg






Last updated  2009.03.31 13:18:06
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カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



「アガルタの凱旋」マイルス・デビス 1974 

 74年の日本でのライブ「アガルタの凱旋」。ジャケットデザインは横尾忠則。昔からこのLPがあることは知っているが、聞いたことはない。知人が実家に所蔵しているらしいので、近々聞かせてもらいたいものだと思っている。ネットで聞けないかナァ、と検索中でもある。

 思えば、石ノ森章太郎のアガルタも70年代中盤だった。このLPも74年。この頃に流行したものだったのだろうか。そういえば、横尾忠則の版画シリーズ「アガルタ」もこの年代である。その後、そのシリーズは「シャンバラ」シリーズへと変遷していく。

 最近では「アガルタ通信」というバンドがあるらしい。そのほか、一説には、宮下冨美夫や喜多郎がいたファーイーストのLPの題名になったことがあるとのことだが、未確認。

後日談へ続く







Last updated  2009.03.31 13:17:14
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カテゴリ:アガルタ

「星の伝説 アガルタ」
石ノ森章太郎 2006/8 角川書店

 アガルタものは、ありそうでなかなかない。この漫画も本来1976年1月に朝日ソノラマからサンコミックスの一冊として出たものを、今年になって復刊されたものだ。二冊とも、ネット上で画像を探すこともなかなかできない。

 もともとアガルタものは少ない。少ないうえに本当にこちらが欲しいと思う情報はあまり取得できない。それはどうしてなのかと考えてみると、もともとアガルタ自体がマイナーな言葉なのかもしれないし、なんらかの事情により秘されているのかも分からない。

 このほかに現代でも版を重ねている連載ものもあるし、かつてはあの水木しげるも
「虹の国アガルタ」いう作品を書いている。そのくらいだから、ごく一般に普及していそうなものだが、なかなかその真なる部分の全体像が見えてこないのが、アガルタへの旅だ。

 私はこの石ノ森章太郎の作品を、近くの図書館で好運にも読むことができた。私はもともと漫画読みでもないし、図書館に漫画を読みに行ったこともない。しかしながら、パソコンで検索したらこの作品があったのでリクエストしたら、館内閲覧だけが可能だった。館内閲覧というだけではなく、奥まった部屋に通され、閲覧する机まで指定されるという重大なシステムである。ここまでして漫画を読んだのは初めてだ。

アガルタ.JPG

 マンガについては以前にもこのブログで書いたが、そういえば、石ノ森章太郎の「マンガの書き方」という本を読んで、中学校時代に一応マンガを書いていたのだった。もう40年も前の話だ。あのマンガの技術とこのアガルタのストーリーが合体すると、こういうマンガ本になるのか。なるほど・・・。

 このマンガ自体には、特段の特筆すべきことはない。稀有なマンガ家がこういう稀有な題材をすでに30年前に取り上げていた、という事実に圧倒されるが、このマンガを読んで、ある思いは強くなったが、このマンガを読んだから解決した、ということにはならなかった。ある思いとは、なんなのか。書いていくうちに自分でもだんだん分かってくるだろう。






Last updated  2009.02.08 13:16:29
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2006.12.02
カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



 

「瞑想と悟り」 チベット仏教の教え 
ダライ・ラマ14世著 柴田裕之 1997/7 NHK出版  原著 THE WAY TO FREEDOM Core Teaching of Tibetan Buddism 1995



 ダライ・ラマの本は平易で分かりやすい。あまりに分かりやすいため、チベット仏教がもっている神秘性が犠牲になっているのではないか、などとおせっかいを焼きたくなる。実際、この本に書かれている仏教観はほとんど今まで日本に紹介されている仏教観とほとんど変わりがないのではないか、と思えるくらいだ。これはある意味、当然のことなのだが。

 しかし
「仏教発見!」ににあったように、、日本の仏教は「戒律の修行が少ないようだ。自分の宗派の経典だけではなく、もっとさまざまな経典を読むといい」というダライラマの印象の通り、この本では「戒律の修行」の重要さが強調されている。この戒律というのは実は、ゾルバ・ザ・ブッタを説いたOshoの世界には、ない、と言ってもいい。私などは、その違いに少し戸惑う。

 また、チベット仏教の生死観は、日本仏教の生死観に類似はしているが、はるかに精緻に表現されている。

 人は死ぬと、中有[バルド]という中間状態に入ります。(中略)中有は7日間続きます。一週間後、中有にある者が自分とふさわしい境遇とめぐり会うと、自分にふさわしい世界に生まれ変わります。p85
 
 日本の
仏教界では、霊の存在はおろか、転生輪廻を認めるかどうか一様ではない。さまざまな解釈がされており、ゴータマ・ブッタは、それらについては明言しなかった、というのが定説である。

 チベット仏教には、ニンマ派、サキャ派、ゲルク派、カギュー派の四派があります。そのうちどれかひとつがほかにまさっていると決めつけるのは、大きな誤りです。四派とも、釈尊を師と仰ぎ、顕教と密教の両体系を一体化しています。わたしは、この四派すべてを心から信じ敬う気持ちを育てようとしています。p30

 ダライ・ラマ14世はゲルク派の最高位に位置する存在だが、チベット仏教全体を代表して、「チベットの死者の書」に書かれているこの転生システムを公言する。この辺がチベット仏教がチベット仏教たるゆえんである。しかし、また謙遜することもわすれない。

 チベット仏教がほかの国の仏教よりすぐれていると考えてもいけません。タイやビルマ(ミャンマー)やスリランカの僧は、出家者としての修行に心底から打ち込んでいますし、チベットの僧とちがって、2500年前に釈尊とその弟子たちが行なった托鉢の行を、いまだに習慣として続けています。p30

 いずれにせよ、このブログでは、チベットの死生観を根底に据えていこうと思っている。それはOshoの死生観に連なるところでもあるし、また、私がこのブログで展開しようとするアガルタへの旅は、この考え方がなくては、前にすすまないからだ。死生観という限り、死に際するシステムとおなじように、生に際するシステムも明確に言及する。

 両親が交わって絶頂に達すると、濃厚な精☆が1、2滴、卵子と混ざり、沸騰した牛乳の表面のようにクリーム状になるそうです。その瞬間、中有にある者としての意識が途絶えて、その混合物のなかに入ります。こうして胎内に宿るのです。p87(楽天倫理による伏せ字☆は液)

 日本の仏教書の中で、大真面目でこのような表現を書く宗教家はどれだけいるだろうか。せいぜい、「チベット仏教ではそういわれているそうですが・・・・」程度の表現となろう。いずれにせよ、この辺は、科学的に証明されようがされまいが、ダライラマの独壇場だ。

 輪廻の苦しみを味わうことと、人間界より下等な世界に落ちることへの恐れが動機となって、仏法僧の三宝に帰依する人は、誰でも仏教徒と呼べます。三宝とは、仏と、ダルマ(仏法、すなわち仏の教え)と、サンガ(僧伽、すなわち仏教の修行者たちの集団)のこと、帰依とはこうしたものを深く信仰し、それに従い、すがることです。p104

 三宝の考え方はまったく同じことだが、サンガについては、こうも言っている。

 一般的に言って、かつてチベットで見られたような大きな僧侶の共同体はかならずしも必要ないとわたしは思っています。たとえ小さな共同体であっても、ほんとうに高潔な僧からなるもののほうがよいのではないでしょうか。p111

 私は、このブログのなかで、ネット上のサンガを夢見ている。どこかの国にあるコミューンという形態も素晴らしいと思うが、今、地球上の
アセンションを考える時、高山にある人里はなれた僧院より、ネット上にあるブローバルなサンガのほうがより本質的な仕事をする可能性があるのではないか、そのような可能性を模索している。

 「四種の悪行と四種の善行」の中で、こういう。

 第四の悪行は、良心の呵責も感じずに他者を欺くことです。それも、自分の欠点を隠し、高い次元の悟りを開いているふりをするのは、なおさら大きな悪行です。p195

 ダライ・ラマはどこまでも謙虚だ。20世紀においては、クリシュナムルティが救世主の立場を降りたり、昭和天皇が人間宣言したりと、人間主義が拡大された時代だった。

 わたしが、師へ傾倒することや師が仏だと気づくことが大切だと述べたからといって自分が仏であるとほのめかしているなどとは誤解しないでください。そんなことはないのです。自分が仏でないことは承知しています。ほめそやされようと、とがめられようと、わたしはただの仏教僧であることは変わりはありません。わたしは僧です。p50

 ラマとは
活仏として認められているのだが、ダライ・ラマがこのような言葉を明言するからノーベル賞をもらったのかもなぁ。この辺は、Oshoがサニヤシン達を一万人のブッタたちに見立て、ブッタとして生きなさい、といったセンスとは大いに違う。その他、ミラレパやナーガルジュナ、アティーシャなどについての言及がある。ダライラマの他の本もいろいろ読んでみたい。 







Last updated  2009.03.31 13:18:36
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カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



「フォトン・ベルトの真相」
 2012年12月22日のためのアセンション エハン・デラヴィ著 愛知ソニア訳 2003/5 三五館

 著者はスコットランド生まれで書かれた言語は英語らしいが、最初から日本での発行のために書かれた本を妻の訳者が翻訳したということらしい。
フォトン・ベルトについては諸説あり、私にはにわかにその真偽について触れることはできない。

 しかし、いくら惑星上のほぼ確定的な規則的な運行上の予測であったとしても、そこから未来の一日を指定して予言めいたことが流布され、その影響下にある場合は、よほど注意しないと、必要以上に雑事や他所事に巻き込まれてしまう可能性がある。

 そのフォトン・ベルトに起因する終末的な出来事を回避するために、
地球と人類のアセンションの必要性が説かれるわけである。

 ノストラダムスの「1999年に地球に恐怖の大王が降ってくる」という予言は結局はずれたが、それは「予言」を聞いた私たちの「予言を現実化させたくない」という思いが無意識のうちに集まって、それが現実を動かした、つまり未来を変えてしまったとも考えられるのではないだろうか。p112

 いわんとすることはわからないでもないが、予言にたずさわる人間達は過去においてこの手口でいつもエクスキューズしてきた。「この世に終わりがやってくる。悔い改めよ」とイエス・キリストは2000年前から叫び続けている。

 「インディゴ」とよばれる新しいタイプの子どもたちは、オールド・パラダイムのなかで、まさに「はりつけ状態」を体現しているといえよう。アセンションを可能にするためには「はりつけ」という通過儀礼が必要だからといって、誰だって喜んで意識的に「はりつけ」にあおうとはしないものである。それをインディゴたちは、大変な苦しみにもかかわらず、進んでこの時代に生まれることを選んだ魂をもつ子どもたちだと思えて仕方がない。p144

 この部分は当然、著者の妻であり
「インディゴ・チルドレン」の翻訳者である愛知ソニアとの連動があろうだろう。このインディゴ・チルドレンについては、このブログでももうすこし後で考えてみたいと思っている。

 意識に目覚めた「独立個人」たちが作り上げていくリアリティーことが、私が数年前より提唱している「リアルエイジ」の実体である。もちろんこれは、理想ばかり膨らんで実際のところはさほど変化は来たせなかった「ニューエイジ」時代にとって代わるものとして提唱した。p158

 独立個人、そしてスピリチュアルな生き方として、著者は「この大宇宙と調和的な関係を持ちながら、内なる平和と愛、感謝に基づいた生き方をすることである。」p154と述べているが、その内容自体は特に目新しいものでもなく、また旧聞だからといっておろそかにされてよい考え方でもない。

 私には、
玉川信明がOshoに見たものや、心理学的な探求が続く「トランスパーソナル」な動き、あるいは哲学や思想といわれる分野での「マルチチュード」という思索。これらの鋭意のかなりの部分がオーバーラップしているのを感じる。

 しかし、著者と私の感覚の違いは、「理想ばかり膨らんで実際のところはさほど変化は来たせなかった『ニューエイジ』時代」、という風に私は切り捨てることはしないし、さらにそれ以前からもずっと、すでに「進化」した存在はあったと感じるとことだ。そして、時間をくぎったある時期にすべてが「完了」するなどということはなく、それからもさらに「進化」は続くということだ。

 アセンションという言葉は扱い方がむずかしいが、著者のいわんとする真意はつかんであげたい。

 






Last updated  2009.03.31 13:19:02
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2006.12.01
カテゴリ:アガルタ

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「ソウルメイト」 「運命の人」についての7つの考察 飯田史彦 2005/9 PHP研究所 

 こまかい説明はともかく、ソウルメイトという意味は直感的にわかる。一つは魂の存在を認めることであり、その魂が転生してくることを認めること。さらには、その魂はグループで存在しているのであり、なんどもなんども姿や役割を変えてこの世にやってくるのである。

 私も自分の転生についてはいくつのことか知っているし、いわゆるグループとして転生しつづけている仲間がいることは知っている。それは誰かも知っている。なぜかも知っている。そして、それは私には、苦しみより楽しみを与えてくれる。人生の意味も教えてくれる。

 著者についてはこの本が初めてだけれど、書き方が、一般の女性向きに書いているのか、これまでこの本で読んできたネットワークや哲学、社会学の本などとはちょっと赴きを異にする。私にはすこし違和感があるけれど、こういう本もあっていいのだろう。

 ソウルメイト(soulmate)という概念は、「人間の本質は、肉体を超えて存在する何かである」という大前提、つまり「トランスパーソナルな人間観」を認めることによって、はじめて成立します。
 そして、その「肉体を超えて存在する何か」のことを、仮に、学術的用語として「意識」(あるいは意識体)と読んだり、もう少し一般的な用語として、俗にいう「魂」(soul)と呼ぶことができます。
 このように、「人間の本質は、肉体を超えて存在する魂である」と前提することによって、その「魂」が肉体を超えてつながっている相手のことを、魂の友人、つまり「ソウルメイト」と名づけることができるのです。
p34

 まぁ、この手の本は、文字面を追わずに行間を読んで、感性を豊かにすることのほうがたいせつですね。






Last updated  2009.03.31 13:19:28
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2006.11.30
カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



「人類と地球のアセンション」 だからこれからこう生きよう 船井幸雄 2006/1 徳間書店

 このブログの「地球人スピリット」カテゴリー100番目の記事として、この本がでてくるのは、単に偶然だと思うけれど、偶然というものはこの世にないとしたら、それなりに何かの意味があるかも知れない。深読みしてもいいし、さらっと通り過ぎてもいい。重要なのか、重要じゃないのか、まさに、この本は私にとっては、そのような本だ。

 この本、一度は出版直後に書店で立ち読みしている。そして、今回はリクエストして図書館から借りてきた。すこしはゆっくり読んだが、ほとんど読後の感想は同じ印象であった。あまり良いことは書けないので、この記事はあまり長く書かない。

 経営コンサルタントとしては40年のキャリアであり、テーマは「アセンション」、この本のどこに私は違和感を感じるのだろう。一つは、どうしようもない、「本物」、「先見性」、「第一線」、「最先端」、「プロ」、などを多言する船井ワールドに対する食傷感である。彼の本を読んでいると、何事かに共感する、というより、彼からなにかを売りこまれている、という感じがする。

 フーテンの寅の街頭でのケンカバイなら、多少、そのモノが怪しくても、その台詞があまりにも見事なので、いいや、ニセモノでもこの程度なら騙されてもいいかな、と思うところがある。もちろん、商品が本物だったら、なおいい訳だが。

 ところが船井ワールドでは、どうしてもその「売り込み」の姿が、私には透けて見えるのである。仮に彼が「本物」商品を扱っていたとしても、どうも彼の世界以上のものに見えてこない。この本のテーマはテーマとして、本当は、私のこのブログでの一番の根幹となるテーマと言ってもいい。しかし、この本での扱いのように換骨奪胎されて、戯画化されてしまうと、もともとそこにあったスピリチュアリティというものが、かき消されてしまうような感じがするのである。

 彼が「売り込み」をかけているものは、目に見えない世界だ。それがコンサルティングというものであろうと、精神世界であろうと、体一つで売り込まなくてはならない。この世界に40年も生きてきた船井には、彼なりに身につけてしまっている商売のコツというものがある。彼は「客」を「第一線」、「最先端」、「プロ」などとおだててはいるが、彼の言葉からは、人間本来の本質に対する心からの敬愛の念がどうも見えてこない。

 ものごとが本質的な部分にくると、「と言われている」、「そうだ」、「告げている」、「はずです」、「ようです」、と語尾を濁す。それは、日本的な謙譲の美徳で、曖昧化することで、より「客」との距離感を縮めようという彼の苦肉のスタイルなのかもしれないが、どうも釈然としない。「了解」の「核」となるものがない。

 テーマそのものはとても興味深いことなので、それを「先見的」に取り上げて一冊の本をつくる彼の力は相当なものだが、彼の世界では踊りたくても踊れない私がいる。






Last updated  2009.03.31 13:19:59
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2006.10.17
カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



 

 

ポンペイ最後の日 エドワード=ブルワー・リットン 1834

 



 私の元に夢のように言葉としてやってきたアガータという言葉がアガルタを意味しているとは、まだ断定はできない。しかし、経緯から推理していくと、あたらず遠からずのところにあるらしい。そして、「来るべき種族」という不思議なキーワードもついている。

 この夢の謎を解くのは、まずブルワー・リットンから始めるしかあるまい。「アガルタ」という小説は、彼が書いたということになっていて、その粗筋はなんとなく知っているが、それを本として読むことができるかどうかは、これからの調査にかかっている。それで、手始めに、彼の一番有名な小説「ポンペイ最後の日」を読むことになったのである。

 小説と言っても、これは講談社の青い鳥文庫の中の一冊。小学中級から、ということで、総ルビが振ってある。小説やファンタジーを読むのが苦手な私にはちょうどよい具合である。なるほど、こういうストーリーか、とまずは納得。

 さてリットンは1803年に生まれ、この「ポンペイ最後の日」は31才の時に書いたとされている。世界中で大評判となったとか。さて、高名な小説家となったリットンが「来るべき種族」を書いたのはいつか、当時、どんな読まれた方をしたのか、そしてさらに後年、どのような影響を世界にあたえたのか、そんなことを、きままな散歩気分で、これから探索にでるのである。

 これで、このブログは、ようやく形が見えてきた私的
「地球人スピリット」というコンセプトと、ネグリ=ハートに始まる社会的変革の主体である「マルチチュード」という哲学と、そして「アガルタ」というファンタージーの系譜と、三本の道筋がでてきたことになる。

 これらは全て、いまだ実態を伴っていない架空のものである。しかし、この三つの道筋が一つのものに編まれて行くとき、このエクリチュールからどのようなテクストが生まれてくるのか。(って、最近おぼえたての単語を使ってみたが、こんな使いかたでいいのかしらん)

 とにかく、ここまでやってきた。さて、これからの展開や、いかに。

夢のように言葉としてやってきたアガータという言葉がアガルタを意味しているとは、まだ断定はできない。しかし、経緯から推理していくと、あたらず遠からずのところにあるらしい。そして、「来るべき種族」という不思議なキーワードもついている。

 この夢の謎を解くのは、まずブルワー・リットンから始めるしかあるまい。「アガルタ」という小説は、彼が書いたということになっていて、その粗筋はなんとなく知っているが、それを本として読むことができるかどうかは、これからの調査にかかっている。それで、手始めに、彼の一番有名な小説「ポンペイ最後の日」を読むことになったのである。

 小説と言っても、これは講談社の青い鳥文庫の中の一冊。小学中級から、ということで、総ルビが振ってある。小説やファンタジーを読むのが苦手な私にはちょうどよい具合である。なるほど、こういうストーリーか、とまずは納得。

 さてリットンは1803年に生まれ、この「ポンペイ最後の日」は31才の時に書いたとされている。世界中で大評判となったとか。さて、高名な小説家となったリットンが「来るべき種族」を書いたのはいつか、当時、どんな読まれた方をしたのか、そしてさらに後年、どのような影響を世界にあたえたのか、そんなことを、きままな散歩気分で、これから探索にでるのである。

 これで、このブログは、ようやく形が見えてきた私的
「地球人スピリット」というコンセプトと、ネグリ=ハートに始まる社会的変革の主体である「マルチチュード」という哲学と、そして「アガルタ」というファンタージーの系譜と、三本の道筋がでてきたことになる。

 これらは全て、いまだ実態を伴っていない架空のものである。しかし、この三つの道筋が一つのものに編まれて行くとき、このエクリチュールからどのようなテクストが生まれてくるのか。(って、最近おぼえたての単語を使ってみたが、こんな使いかたでいいのかしらん)

 とにかく、ここまでやってきた。さて、これからの展開や、いかに。






Last updated  2009.03.31 13:20:27
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