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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 51-60件目)

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マルチチュード

2007.03.11
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カテゴリ:マルチチュード

 

「がんばれマルチチュード」 ああ21世紀 
荒岱介・編 2003/4 実践社



 あちこちの著作に散見されたマルチチュードをいう単語を追いかけても、それほどの情報量があるわけではない。日本語でこの単語を用いた本のタイトルは、本家のネグリ&ハート以外には、この本くらいしかないのだろうか? この本は、60人からの作文集によって成り立っている。

 もっと目線を下げた、ありきたりの人が等身大のところから職場を見ており、社会を見ている労働者の話はないのか。ふつうの人のふつうの営みの中にある喜怒哀楽に出会えないのか。
 そんな編者らの期待にこたえてくれたのが、小さな業界新聞の「職場から」などの欄に掲載されていた投稿原稿の数々だった。人権と環境をテーマとするNGO集団の発行する新聞だが、もともとは極左過激派集団の機関紙である。それがヨーロッパはソ連での社会主義の体制的転覆を経て変遷し、いまのスタイルにおちついた。
p4

 なんと、自らが「極左過激派集団」などと表現する時代になったのかい、と検索してみると、
「荒岱介のページ」とか「荒岱介」などの情報がすぐでてくる。しかし便利な時代なものだ。この人、ブント(共産主義者同盟)の関係者だったのね。

 共産主義の20世紀的変遷の果てに、その「止揚」された概念としてのマルチチュードであるが、本体の共産主義自体の息の根がとまっているかに見えるので、どうもこちらのマルチチュードという概念も、はでな動きはないと見える。この本に書かれている60人の人たちの「職場から」のレポートだ。

 このいくつもの体験記については、だから「がんばれマルチチュード」としか言えない。私たちの世代のように階級的対立から考えるなんてことは、これっぽっちも指向していない人達の文言である。だからそれはどう読んでも「がんばれマルチチュード」なのだ。p5

 まぁ、しかしながら、書いている人たち自身「マルチチュード」とも思っていまい。ひとりひとりの職場からの体験記は興味深い。胸にぐっと来るものがおおい。なんとも言えず共感してしまうが、60人の人々の「悩み」を一手に引き受けるほど、こちらもタフな心理状態ではないので、つい目に蓋をしたくなる部分もある。

 私は個人的には、「マルチチュード」という概念はすごく面白いと思っているのだが、そのルーツや扱われ方によって、どうも荒岱介が言うような「ふつうの人のふつうの営みの中にある喜怒哀楽」の中で出会えるような言葉や概念にはなりそうにない。将来的には大化けするかもしれないが、今はマイナーな細い水脈というところだろうか。

 帯
宮台真司が推薦言を書いている。「有象無象の若者の中にこそ次世代のパワーがある」







Last updated  2009.02.09 21:37:58
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カテゴリ:マルチチュード
「この国を支配/管理する者たち」 諜報から見た闇の権力 中丸薫+菅沼光弘 2006/2 徳間書店

 書店でチラッと見かけた時は、ああ、この手の本はいまでも闊歩しているのだなぁ、と想う程度であったが、公立図書館にも何冊かは入っているようなので、戯れに借りてきてみた。中丸薫という女性については、ネットに情報が溢れているようなので、私が認識不足であった、ということなのだろう。今まで知らなかった。

 しかし、彼女が展開しているような論旨は、彼女の「出自」以外に関しては、特に目新しいものではなく、ある意味、すべてはある種のパターンの焼き直しであり、情報のモザイク張りということになる。一口に言ってしまえば、彼女は否定するかも知れないが、いわゆる「陰謀論」である。この陰謀論は、90年代初めにも、盛んに書店をにぎわしていた。これらの陰謀論が、裏に表に、麻原集団を暴走に駆り立てた一つの要因であることは間違いない。

 陰謀論にも、いくつかのパターンがあり、日本とユダヤの流れに注目した日ユ同祖論、すべての悪を一元化しようとするユダヤ禍的視点、国際金融や人脈からその闇を追っていく人脈的手法など、さまざまあれど、中丸は、それらをすべてモザイク状に張り合わせて、一つの世界観をつくりあげていく。

 その中にどれだけの「真実」や「真理」があるのかは、にわかには判断できないが、かつての「陰謀論」にふれた限りは、私はいつも徒労に終わり、重い疲労感だけが残るという体験をしてきた。なにか、回転檻に入れられた実験用ラットが、永遠に走り続けているような、終わりのない「脱走」を強いられているような感想がつねに残る。

 この本においては、9.11などの裏側の「真相」を追求しようとするが、その視点には注目すべき視点は当然あるわけだが、その視点の根拠となるものの提示のされ方が、私にはどうも納得感がない。同じテーマについては、このブログでも次第に探究していくつもりだが、アプローチの仕方や方向は、また別個なものになるだろう。

 ネグリ&ハートにおける
「<帝国>」「マルチチュード」という対峙の中でみようとすれば、この闇の権力というものは<帝国>ということになるだろうが、ネットワーク化し流動化する世界権力というネグリのその範疇に対して、中丸の場合は、具体的な事例や人物を列挙するだけ、一見、説得力を増しているかに見えるが、実は煩雑さを助長しているだけで、物事の本質が次第に見えなくなってしまっている。

 ネグリ&ハートにおける「マルチチュード」という概念も、必ずしも十分に書ききれた実在性のあるものになっていないが、中丸においては、このマルチチュード的視点がない。中丸達は煽るだけ煽って、「迷える羊」たちを、あちらこちらに追い散らしているだけのようだ。出口のない恐怖を撒き散らしている。このブログにおいては、様々な哲学や陰謀論などがあることを認知しつつも、それらから、「個人」としての自立した、一人の地球人としての精神の在り方、とは何かを追求していこうと思っている。

 さまざまな言説があれど、「科学」「芸術」「宗教」のバランスのよい三位一体の視点とライフスタイルを探究しようとするこのブログとしては、いたずらに恐怖を煽るような陰謀論は、深入りしたくない領域である。この辺が、このブログでの展開での限界である。






Last updated  2009.01.21 18:35:43
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2007.03.03
カテゴリ:マルチチュード

 

「メディア・コントロール」  正義なき民主主義と国際社会 
ノーム・チョムスキー 鈴木主税・訳 2003/4 集英社新書

 チョムスキーについては、このブログでも何冊か読んできた。

「覇権か、生存か」 --アメリカの世界戦略と人類の未来 2003 原書 HEGEMONY OR SURVIVAL America's Quest for Global Dominance 2002

「G8 ってナンですか?」 15人との共著 2005

「チョムスキー、民意と人権を語る」 レイコ突撃インタビュー 2005 岡崎玲子との共著

 
エイヴラム・ノーム・チョムスキーAvram Noam Chomsky, 1928年12月7日 - )は、マサチューセッツ工科大学教授。言語学者、思想家。多面的な活動を長期に渡ってくりかえしてきた人を、数冊の著書から計り知ることは至難の業だ。だから、時に他の掲示板や友人のブログなどに彼の話がでてくると、私なりに注意して読んでいるつもりだ。ただ、言語学者としての彼については、ほとんど知らない。言語学者としての彼の側面については、例えば他のいくつかの本でも突然でてきてびっくりするときがある。

 彼のそちらの「本業」での成功をきちんと評価しないことには、反戦運動家や、「アメリカの良心」と言われるチョムスキーの真実の顔を知ることはあたわないであろう。ただ、私は私なりにメディアというものについての信憑性や歪曲性、というものを敏感に感じてきたつもりだ。民主主義というものについても、それこそ「私なりに」という限定つきだが、考えもし、行動もしてきた。さらには、ネット社会における新たな可能性について、模索段階ではあるが、このブログでも実験中と言えるだろう。

 そういう意味全体から見て、チョムスキーには、良き現代アメリカ人的なオープンな人柄も感じるが、また、ユダヤ人(かどうか私には断定できない)的な明瞭さ、透徹さを感じることも、間違いない。しかし、それでいいのか、それが最終ポイントなのか、と問われると、私にはそうだ、と断言する気にはなれない。

 対置的に考えれば、東洋人的な清濁併せ呑む度量や、神秘的な孤高の世界に遊ぶ大人性など、チョムスキーには求められない世界も確かにあるのである。言ってみれば、非常な高潔な青年的老人、それがチョムスキー、というところか。辺見庸との対談で、チョムスキーは次のように述べている。(2002年2月15日、米国マサチューセッツ工科大学にて)

チョムスキー この50年を含む前の世紀には、日本が記憶に留めておくべきことが数多くあります。何度もいうようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。日本の人たちがいましなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。 p162

 話のはずみか、それとも、明確に言っているのか。「日本の人たちがいましなければならないのは、東京を見ること」と言っているが、「日本」ではなくて「東京」なのだろうか。「沖縄」ではなくて「東京」なのだろうか。やや疑問の残る対談の結末である。







Last updated  2009.02.09 21:44:44
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カテゴリ:マルチチュード

 

「極秘捜査」 警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」 
麻生幾 1997/1 文藝春秋



 図書館の一般開架式本棚に並んでい資料は、決して一級資料とはいえない。誰でもが簡単に見れる資料に「極秘情報」など、あるわけはない、と思うのが常識だろう。だから、この本がでた1997年1月とは言え、そうそう簡単に「極秘」情報が一般に出回ることはなかったはずだ。だから、この本に書かれていることはたぶん事実だとしても、ここに書かれなかった「極秘」の事実は山ほどあるに違いない。

 それは、当然ながら捜査側にもあるだろうし、その捜査対象になった麻原集団側にもあったにちがいない。だから、これをもって決定版であるとか、全てを知りえたなんてことにはならない。しかしながら、あまり一般的に語られることがなかったK察やJ隊の活動というものが、大体のところどういうものか、ということは、この本を読み進めていくと、おぼろげながらわかってくる。著者は一番最後「エピローグ」にこう述べて閉じている。

 史上最悪の犯罪集団に対して、わが国の治安機関は、血を出し、傷つきながらも何とか勝利を収めることが出来た。だが、シャンバラ帝国という”悪の帝国”を築こうとしたカルト集団たちの野望は、警察、自衛隊の必死の攻防で、実はギリギリのところで防がれていたという事実は、忘れてはいけない。そこには、決して表には出ないが、警察や自衛隊の、名もなき男たちの全てを犠牲にした血と汗にまみれた姿があったことも是非、記録に留めておきたい。p379

 K察やJ隊が「活躍」したことは間違いないし、麻原集団の「野望」が彼らの活躍により、規制され解除される方向に向かったことは確かなことだ。だから、サリン事件の被害者や、麻原集団への出家者を抱える家族などの視点とともに、K察やJ隊の視点というものも忘れてはいけないだろう。ただ、「史上最悪の犯罪集団」とか、「悪の帝国」「カルト集団の野望」と、断定的に言ってしまうところに、著者の視点がある。このくらいの強い思い込みがなければ、このような一冊をまとめることは不可能だろう。

 
警察庁警備局のカルト・チームを指揮していた公安第一課長のT(実名)は、対オウム捜査極秘オペレーションのコードネーム(暗号)を密かに命名していた。
「○S--マルエス」
 オウム真理教の”真理教”の頭文字「S」を取ったに過ぎないが、この瞬間から警備局が作成した「執務資料」から初めて、コードネーム「○S」が使われることになった。
p53

 なるほど、意外と簡単な暗号化だ。

 
<√5---ルートファイブ>
 中学2~3年の数学の時間に暗記させられる、√5の答え(2.2360679)フジサンロクニオームナク、をもじったものだった。コードネームの存在も、厳重な緘口令が敷かれた。オウム突入作戦は指揮官意外にはまったく知らされなかった。ただ、誰がこのコードネームを最初に付けたのかに関しては、どの警視庁のスタッフに聞いても、いまだハッキリと答えられる人はいない。
p90

 なんともジョークともユーモアともつかないエピソードである。ひとつひとつの局面において、検証したり新たな推理をすることを今はしないが、もし、将来的に事件を取り巻く全体を再検証しようとするなら、こちらの資料からの突き合せも必要となるだろう。







Last updated  2009.02.09 21:46:38
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2007.03.02
カテゴリ:マルチチュード
「『オウム事件』をどう読むか」 
文藝春秋編 1995/10 文藝春秋

 図書館のコーナーにあった本をとりあえず一通り読んでみる、という意味では、確認の一冊ということになる。この本には95年の5~8月号の文芸誌の記事が一冊にまとめてある。「諸君!」「中央公論」「文藝春秋」「潮」「世界」「新潮45!」などなどの雑誌群である。5~8月号と言っても事件が起きた3月20日の直後の記事となるのは、5月号か6月号だろう。本当に事件直後の報道と言っていい。

 出てくるひとびとも中沢新一、浅田彰、養老猛司、山折哲雄、野田正彰、なだいだなだ、溝口敦、内藤国夫・他、と言った有名どころ。だから、ある意味、面白く、ある意味面白くない。評論家達はそれぞれに事件を面白く解説してみせる。しかし、その解説から、本当に解決したことはどれくらいあっただろう。この当時、私も必死になって情報を追っていた。かなりの量のマスメディアに目を通していたことになる。だから、当時の論調はだいたいわかる。であるがゆえに、この本は、確認の一冊ということにはなるが、現在の私にとっては、目新しい発見はほぼなにもない。

 浅田彰と中沢新一の対談の一部だけをピックアップして引用しておく。

 
浅田 だから、ぼくは、宗教はある程度形骸化したって、習俗として社会の中で一つの機能を果たしていけばいいと思うんですよ。しかしそれに加えて、なにかマッドなもの、ストレンジなものが、宗教の中にはあるわけで、そういうものを排除すべきではない。それはもう宗教という形をとらないのかもしれないけれど。

 中沢 宗教じゃないんじゃないかなぁ。だから20世紀の宗教思想家としてはともにインドから出て、西欧にも大きな影響力をもったクリシュナムルティやバグワン・シュリ・ラジニーシなどの方向性は正しいと思う。ラジニーシはあらゆる宗教に反対する、と言い出した。これまで自分はとりあえず宗教という言葉を使わなければ、自分が考えている思想を語れなかったから宗教という言葉を使ったが、今、私はあらゆる宗教に反対すると宣言した。宗教をすべて否定する宗教家というような言い方をしている。クリシュナムルティも、宗教は自分が求めている霊性の探究にとっては不必要な形式である、と言っている。しかし彼らは宗教を否定しているわけではない。反宗教ではないんです。むしろさっきいったような「90度の転向」、宗教から峻立する形で宗教を突き抜けようとしている。
p39

 浅田には浅田のダンディズムがあり、中沢には中沢のロマンティシズムがある。「宗教学者・中沢新一は死んだ」と宣言した直後の中沢である。このポジションから「アースダイバー」を経て、現在
「芸術人類学」にいたるまでの彼の経緯もなかなか興味深い。浅田は、私のサイドからはなかなかとらえにくい人だが、どこかで「マルチチュード」あたりと絡んできてくれるとうれしいかも。






Last updated  2009.02.09 21:48:12
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2007.03.01
カテゴリ:マルチチュード

 

「連合赤軍とオウム」 わが内なるアルカイダ 
田原総一朗 2004/9 集英社



 原総一郎は終戦当時、国民学校5年生だった。当時は「爆弾を抱えてアメリカ軍の戦車の下に飛び込もうと思っていた」p25という。それを持って、9.11の首謀者を引き合いに出し「私はモハメド・アタになろうとしていたのだ。」と関連づける。私はすなおにそのことには頷けない。確かに、世にテロリストというスティグマを張られて闇に葬りさられようとするものたち、例えば、オウムや連合赤軍やアルカイダなどに、親近感をしめして、新たなる再検討を加えたい、という「ジャーナリスト」の意気込みを感じないわけではない。しかし、それはちょっとカッコつけすぎだと思う。

 例えばの話だが、私が小学校5年の時に行なわれた東京オリンピックのマラソン選手・円谷幸喜にあこがれて、ボクも大きくなったら、マラソン選手になるぞ、と思ったからと言って、マラソン選手になれるわけでもない。円谷幸喜の立場になれるのは、ごくごく限られた存在だ。オウムにせよ、連赤にせよ9.11関連にせよ、その立場になる可能性のあったものはたくさんいるだろうが、実際にその立場になってしまった者は、ごくごく限られている。

 田原が本当にそう思っていたら、すでに自決するなり、ハイジャック犯なり、ヴァジラヤーナの殺人犯になっていたはずである。なにをどう言いくるめようと、田原は、客観的な第三者でしかない。だから、この本だって、そのようにフィードアウトして読まないと、田原の似非ヒロイズムがやたらと鼻につくことになる。

 の本は「ほぼひと月という突貫作業」p384で作られたという。プロ集団によって作られたとはいえ、田原ひとりの名前が冠された本なのであり、田原ひとりが作ったのか、と誤解を招くのではないか。実際には、この本は、ほとんどがインタビューの対談形式で埋められている。思いつきは面白かろうが、私には失敗作に思える。この本ならでは、というところがない。しかも、オウム---連合赤軍----アルカイダ、というラインも、きわめて思いつき的であり、十分こなれているとは思えない。

 似たような企画で私は読んできた本には、島田裕巳の
「オウムと9.11」や小浜逸郎の「オウムと全共闘」などがある。それらひとつひとつの発想はわかるし、誠実なもののとらえ方をしようというのはわかるが、安易なアナロジーを使って、事件を引き寄せ、自らに親近感を持たせようとしているようだが、私は、どことなく、かなりの欺瞞性を感じる。

 リンとゾウさんの共通項は何か、それは「どちらも体のどこかが長い」といわれているようで気色わるい。確かにキリンの「首は長い」し、ゾウの「鼻は長い」。だけど、本当にそうか。足も4本あるし、どちらも日本の自然界では生息していない。もちろん差異はやまほどある。だから、安易にそのテロリストというカテゴリで何らかの共通項をもとめようとしたこの本は、私は失敗作だとおもう。少なくとも、その事件ひとつひとつについて「被害者」や「犠牲者」の側に立った人々にとっては何の救いもない。その視点がまったく欠けている。

 麻原集団関連で、ぼくらの島田裕巳センセイも32ページに渡って対談している。写真もでているが、この当時、彼は体調をくずしていた言われ(自著によるとバセドー氏病らしい)、てのひらで自分のほほあたりを隠しているp170のが、ちょっと痛々しいかな。ここにおいても、特に目新しいことはなかったが、彼が麻原集団に関心を持ち始めたのは89年当時p171であり、危険な団体だとは、地下鉄サリン事件まだは思わなかったp193という。

 日の新聞の報道では、現在の麻原集団から、上祐グループが脱会した、ということであるが、今後の動きがどうの、ということについては、本当のことを言うと、私はあまり関心がない。教祖、教義、教団、と言ったかたちの似非スピリチュアリティは、このブログのテーマには無縁だからである。とかく、余人の注目があつまる事件性のたかいテーマだけを拾って、何事かの注釈を加えている田原には、そろそろ引退されてはいかがですか、と進言申し上げたい。







Last updated  2009.02.09 21:49:56
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2007.02.28
カテゴリ:マルチチュード

 

「私にとってオウムとは何だったのか」 
早川紀代秀 川村邦光 2005/3



 の本で語られるテーマや、この本の持っている意味について、そのあまりの重要性により、乱雑に書き進められる私のブログのようなところで、総括的に書かれてはいけないと思う。ゆえに、この本を読んだ、という記録とともに、忘備録として、気になる数ポイントを箇条書きにメモしておくことにとどめる。

 この本は、林郁夫の
「オウムと私」 とともに、麻原集団「元・幹部」によって書かれた数少ない本とされている。とすると、林の本は98年にでていて、私にとってはやや早すぎた「反省」のように思えたが、こちらの早川の本は、やや「遅すぎた」本、という感じもする。80年代中半からの麻原集団の形成過程については、林の本とそれほど大きな差異はない。ただ、前々日まで地下鉄サリン散布実行を知らされていなかった林や、幾多の凶悪犯罪に手を染めたにせよ、サリン散布に実行犯として参加しなかった早川のこの二冊を読む限りにおいて、まだまだ麻原集団の核心に迫れた、という思いはない。

 このような葛藤から、伊東乾がかつての同級生であり、地下鉄サリン実行犯のひとりである豊田亨への呼びかけ
「さよなら、サイレント・ネイビー」を書きたくなる心境というものもわからないではない。実行犯ひとりひとりの心境というものを編集なしにダイレクトに知ることはかなわないまでも、せめて早川がこのような本を残したことは、記憶にとどめておく必要があると思う。

 早川の述懐「消えない足跡」の最終部分「現在の心境」からの抜書き。

 
害者やご遺族の方々に対しては、お詫びの言葉もありません。
 私達の与えた苦しみは、決して今生だけで償いきれるものではないと思っています。
 当時、グルの指示なら、殺生も救済になると信じていましたが、己を知らない思い上がりでした。
中略)
 死刑が確定すれば、死んでお詫びをいたしますが、今はただ、自分達のしたことを直視し、ひたすら許しを乞うとともに、少しでも被害者やご遺族の方々の苦しみが和らぐようにと日々祈るしかありません。私が事件のことを供述しだしたのは、それが一つの償いとなると思ったからでした。しかしそれが、ご遺族の方々が持っておられたわずかな望みを打ち砕くものであったと知ったとき、そういうことに思いいたらなかった自分を恥ずかしく思いました。また事件を明らかにしていくなかで、ご遺族の方々が不快に思われることがあったとしたら、それもお詫びしなければなりません。本当に申しわけありませんでした。(後略)p215

 早川には92年の段階ででた
「市民ユートピアの原理―ルソーから真理へ (上)」オウム刊という本があるらしい。今はあまり読みたいとは思わないが、今回の本と読み比べてみる価値はあるかもしれない。

 91年9月ごろ、ある人物からソビエト政府がオウムに興味を持ち、そのころからオウムが全国の劇場で上演していた「死と転生」というミュージカルをボリショイ劇場で上演するほか、グル麻原にモスクワ大学などで講演してほしいという要望を持っているが、教団としてはどうかというような話を持ちかけられ、これに興味を示したグル麻原が、新實に交渉をさせていました。しかし、どうも話がうますぎると思ったグル麻原は、91年10月ごろ私に、新實に一緒に交渉に参加し、この話が本当かどうか確かめるようにと指示しました。p176

 林にせよ、早川にせよ、一橋 文哉
「オウム帝国の正体」に書かれたような裏世界との接触はほぼなにも書いていないが、この辺の「ある人物」と称される部分から、なんらかの新たなる推測が生れるのは避けられないことであるが、ここでは深追いしない。

 
リーメーソンについては、私はグル麻原から88年ごろに初めて聞かされ、そういう団体があることを知ったのですが、この時の話では、グル麻原の前世がフリーメーソンで、アメリカの独立にかかわったというものでした。ですからフリーメーソンを別に敵視はしていませんでした。それが91年ごろには、敵の代名詞としてフリーメーソンが語られるようになりました。この点について、グル麻原は次のようなことを言っていました。
 「近代フリーメーソンは私が創ったものなのだよ。そしてアメリカ独立戦争のときも私はフリーメーソンのリーダーとして生れている。このころまでのフリーメーソンは激しい修行もし、霊性も高くよかったんだよ。ところがその後、物質主義にとりつかれて退廃していったんだよ。そして今のフリーメーソンは際限のない欲望を肯定する悪の勢力に与(くみ)してしまっている」と。そしてメーソン国家であるアメリカ合衆国軍隊とオウムは近い将来戦うことになると言われました。
(後略)p182

 
「オウムと9.11」2006/7で島田裕巳は、「この考え方を麻原に吹き込んだのは井上と早川で、その点は中川の法廷での証言などで裏付けられている」としている。また「麻原もそうした書物に影響された弟子たちから吹き込まれ、フリーメーソンを唱えるようになったわけである。」と書いている。島田は、この早川の本を読んだ(筈だ)後に、「オウムと9.11」を書いた筈であり、この部分の齟齬は一体、どう説明すればいいのだろう。早川が自らの裁判を睨みながら、極力自らを「善人」にみせようとしているのか。あるいは島田が麻原を擁護するために、意図的に「井上や早川」たちから「吹き込まれた」としているのか。いずれにしても、島田の論理的な煮詰め方は少なからず「甘い」と再び思わざるを得ない。

 早川の本の中にはほとんど林の件はでてこない。一箇所だけでてくるのは93~94年ごろになってからのことである。

 (前略)はそれを聞いて、グル麻原が少し前ごろから林郁夫のスパイチェックをいたく信用するようになっていたのを思い出し、「そうかスパイチェックか、それはどんなもんか知らんけど間違いないんやろ・・・・。えらいもんがでてきたな・・・」つぶやいたものの、それ以上は何も言えなくなりました。p192

 各個人による十分ではない書き込みを、あまり腰が入っていない私が十分ではない読み込みをしているので、ますます明瞭ではないが、この辺を読む限り、麻原集団、とはいうものの、麻原を同心円状に取り巻きながら、それぞれの「幹部」クラスの弟子であっても、横の連絡が密ではなかったイメージがある。逆に、林や早川レベルでは、事件の全体像を見ていなかったということになるのか。だとするなら、全体を見ていたのは誰か。殺害された村井か、あるいは他の幹部か、麻原本人か。いや、これらの人々も「全体」を見ることはなかったのではないか。

 中に書籍を差し入れてもらえるようになってからは、妻や弁護士さんから、ヨーガやチベット密教をはじめ精神世界に関する様々な本を差し入れてもらっては、むさぼるように読みました。そして、考え、瞑想し、オウムの教義や活動について必死に内省しました。オウムに入信してからは、オウムの本以外はいかなる精神世界の本も読んではいけないことになっていましたから読んでいませんでしたし、入信前も宗教関係の本はほとんど読んでいませんでしたので、こうした読書は、私にとって、オウムの教義や活動、自分達のしたことを冷静に見つめ直すよい機会となりました。読み出してから2年ほどで7~800冊の本を読んでいました。p203

 2年ほどで7~800冊、ということは、ほぼ一日に一冊。ジャンルも読み方も違うだろうが、現在での私のブログでの読み込みとほぼ同じくらいと言える。なお
「チベット密教」の共著者、正木晃は、早川の弁護人側として裁判の証人になっている。現在(2005年当時)の早川は「麻原への帰依は揺らぎ、断絶するにいたったが、それでもブッタ・シャカムニへの信仰心により平静さを取り戻したという。」p316

 読書からは、色々な本から数多くのことを得ましたが、なかでも、デビット・ニールの「チベット魔法の書」という本からは大きな衝撃を受けました。この本は、チベットに入った初めての西洋人女性によって、チベット密教が本格的に紹介された古典的名著の和訳本ですが、この本の中では、呪殺する能力があっても、生き返らせる能力がないかぎり、呪殺してはいけないとはっきり述べられていました。p204

 なお、私はこの本において、村上春樹が
「約束された場所でーunderground 2 」という本で、オウム信者たちへのインタビューをまとめているということを初めて知った。







Last updated  2009.02.09 21:54:35
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2007.02.26
カテゴリ:マルチチュード

 

「日本人の神はどこにいるか」 
島田裕巳 2002/6



 がトルコ人青年と結婚することによって、イスラム世界に目が開かれた著者の前に、展開された世界的事件が、2001年の9月11日に起きた事件だった。いみじくも著者は、直前
「『オウム』なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」という大冊を上梓している。そこで予期せぬ大事件9.11が発生したわけであるが、その時の感慨を含めて島田は緊急にこの一冊を書いたともいえる。

 しかし内容的には9.11への言及は極力控えられ、いわゆる島田的「宗教学」の確立をいそいでいるかのような様相を呈している。その島田的「宗教学」の後ろ盾として援用してくるのがルーマニア生まれの宗教学者ミルチア・エリアーデだ。

 リアーデは宗教学者---かれ自身の言い方では「宗教史家」---であるとともに、小説家であった。近年では、小説家としてのエリアーデへの評価が高まり、日本でもいくつかの小説が翻訳されている。しかしエリアーデの偉大さは、やはり包括的で壮大な宗教史研究にある。p061

 エリアーデは、「世界宗教史」で歴史的、通時的な記述をめざし、「宗教百科事典」で横断的、共時的な記述をめざした。これから、エリアーデに匹敵するような気宇壮大な試みに乗り出す学者は、そう簡単に出てこないだろう。わたしたちが一貫した宗教理解の枠組みを求めるとするなら、これからもエリアーデを出発点としていかなければならないのだ。p064 

 エリアーデは「ルネサンス哲学の試論」という卒業論文を書いて、ブカレスト大学文学哲学部を卒業したあと、東洋の宗教への関心を深め、21歳でインドにわたった。かれはインドに3年間滞在し、カルカッタ大学のスレーンドラナート・ダスグプタ教授のもとに学んだ。エリアーデはヨーガに関心をもち、寺院を訪れるとともに、ヒマラヤのアシュラムですごしたこともあった。p065

 
エリアーデはインドから帰国後、かれの師であるナエ・イヨネスクのもとブカレスト大学で教えるようになり、ヨーガや錬金術関係の著作を次々と発表していった。しかし、かれは小説家にも、宗教史家にも収まりきれないものをもっていた。
 政治的な運動ともかかわり、キリスト教的なファシスト集団「大天使ミカエル軍団」に接近し、当局に身柄を拘束されたことさえあった。これは、かれを故国ルーマニアから引き離すことに結びつく。
p066

 あ、引用すればキリがないので、そのうちエリアーデの生涯について詳しいという奥山倫男「エリアーデ宗教学の展開」(刀水書房)を参照することにしよう。島田はこのあと、世界宗教といわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教などをめぐり、一神教と多神教の区別について述べる。日本の神として、柳田國男の仕事に思いをめぐらし、天皇制や、農村や都市における共同体(性)の在り方に言及する。また天理教などのケースを引いて、「教義」と「信徒」の在り方について述べ、最終的に本書の「日本人の神はどこにいるか」をあぶりだそうとする。

 私は島田を時系列に並べることなく、95年当時の彼の「醜態」のイメージをもったまま、ここ最近手当たり次第にランダムに読んでしまったので、この一冊の位置する部分を正確に言い当てることはできない。ただ、エリアーデについて以外の部分は、私にとってはあまり目新しいことはなかった。島田は宗教学者としての激しい葛藤の中にいて、みずからの依って立つべきポイントを必死に探しているように見える。もちろん、それは冷やかしとしてではなく、とりあえず、その動向をよしと想うことはできる。

 
究者が研究テーマを選ぶとき、そこにはもちろん知的な好奇心が働いている。何か興味をひくこと、何か重要だと思われることをテーマとして選んでいく。
 しかし、知的な好奇心というものは、かならずしも長続きはしない。好奇心で選んだテーマにある程度の見通しが立ってしまうと、とたんに興味を失ってしまうことになりやすい。中年の働き盛りになって、研究テーマを見失ってしまう研究者も少なくない。
p067

 さて、これは、島田自身において考える場合、どのようなことになるだろう。「好奇心で選んだテーマ」として、ヤマギシ会や麻原集団や創価学会があったのだろうか。島田の内的な葛藤としての探求が、どのような形で形づくられていくのか、私はまだ見いだしていないし、予想もできていない。だが、どうも彼は、一つの世界を「閉じた世界観」として書きたがっているように感じる。そして、閉じよう、閉じようとするのだが、すでに開かれてしまった世界は、当然のことながら、一向に閉じようとしないのである。ここに島田の本質的な喜劇性があるように思える。







Last updated  2009.02.09 22:16:43
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2007.02.25
カテゴリ:マルチチュード

 

「創価学会」 
島田裕巳 2004/6 新潮新書



 リチョフ・カプラの「タオ自然学」の共訳者として登場していらい、島田裕巳という人物には、紆余曲折の人生があり、毀誉褒貶の波風があった。「宗教学者」として自らのイメージを固めることがなかなかできないでいたように想うが、ここに来て、創価学会をターゲットにして、どことなく水を得た魚の如く、生命力を取りもどしているかのようでもある。この2004年の本に続き、2006年8月には大冊
「創価学会の実力」出している。

 般の人たちが、創価学会のことを毛嫌いするのは、創価学会が日本の戦後社会が戯画だからではないだろうか。自分たちとまったく無縁なものであるとするなら、毛嫌いする必要もない。ただ無視していればいいはずだ。しかし、創価学会の悪口を言う人は少なくないし、創価学会や池田大作のスキャンダルに対して、決して無関心ではないのである。p186

 島田がニアミスを起こして集中攻撃を受けた麻原集団については、「おわりに」でこう触れている。

 
1995年に起こったオウム真理教の事件を通して、筆者が専門とする宗教学のあり方が問われた。とくに、研究対象との距離の取り方が問題になった。現実に存在する生きた宗教に対していかなる距離を取るのかは難しい問題で、その距離が近すぎれば教団寄りと見なされ、逆に遠すぎれば、本質的にとらえることが困難になってくる。
 本書は、その困難な問題に対する一つの回答の試みでもある。けっきょくは、客観的であることをつねに意識しながら、対象に対して果敢に肉薄していくしかないのではないだろうか。
p191

 100歩譲って、島田の言やよし、と認めることにしよう。しかし、それは、「死」についての問題と同じく、「宗教」については、「客観的」に「肉薄」することで得られることなど、ほとんどないのである。宗教学者としての島田は、自らの立場や身分、業績を形作ることに急であるが、彼自身が、宗教人であり、魂の探求者である、ということにはならないのである。

 田は昨日の自分のブログで「
『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』刊行のお知らせ」をした。 麻原集団被害者の会(笑)の仲間である二人が、ここに来て、互いの位置関係を計り、未来に向けての地球人スピリットに益する「学問的成果」を挙げてくれることを期待する。

 本書とは直接関係ないが、私の立場は、ブッタの2500年サイクルの法輪は、すでにインドに帰ったのであり、いま新たな形で、次の2500年サイクルが始まってしまった、というものだ。日本社会における創価学会をはじめとする立正佼成会や霊友会などの日蓮ゆかりの流れが隆盛したことと、インド度社会において、
アードベンガルや、それを継ぐところの佐々井秀嶺代弁されるような新仏教徒運動が、インド大陸で大きな波を起こしていることと無関係ではないと見る。

 私はどんなに間違いがあったにせよ、麻原集団の試行錯誤を裏で支えてしまったかもしれない、新しい潮流が、すでに始まっていると見る。グローバルな視点が叫ばれるが、やはりまだまだ地球は広い。交通や情報が発達しても、一個の生身の人間の体をもつ存在としては、一つの思想や宗教性が、地球全体を覆うには、それなりの時間がかかるだろうと思われる。

 れは、1年や2年ではないだろう。ましてや10年20年サイクルでもちょっと無理なようだ。ただ100年200年はかからないのではない。少なくとも人間の世代で3代、80年から90年もあれば、地球人のスピリットは大きく変わるだろう。それこそ、22世紀あたりには、仏教やキリスト教やイスラム教を超えた地球人スピリットが大勢を占めることになるはずだ。

 ということは、まだまだいまから「終わりの始まり」の作業につく潮流もあるだろうが、中堅どころではすでに「始まりの始まり」が始まってしまっているのである。なぜ、そう言えるかというと、最先端部分では、すでに「始まりの終わり」を迎えているからである。

 島田の復活を私は同時代人として大いに喜ぶ。島田には島田にしかできない仕事がある。今後も注目していきたい。しかし、ゆめゆめ、「日本」や「教団」という視点にとらわれてしまって、「地球人」や「スピリット」という原点を忘れないでもらいたいと思う。そして、客観的に見るとともに、直感する魂をすてないで欲しいと願う。







Last updated  2009.02.09 22:18:55
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2007.02.24
カテゴリ:マルチチュード

 

「オウムと私」 
林 郁夫 1998/9 文藝春秋 



 この本を読んで、何を書いたらいいだろうか。ここだけは抜書きしておきたいというところは最後のところ。まずは、ここを転記しておこう。

 
もし時間を戻せたら、もし殺し、傷つけてしまった方々を元どおりにしてあげることができたらと、いつの間にか考えている自分に、ふと気づくことがあります。償いのかなわないことをしてしまいました。悲しみと苦しみを与えてしまった高橋さん、菱沼さんとその遺族の方々、そして多くの方々に、私の全身全霊をあげてお詫び申し上げます。そして、亡くならせてしまった方々のご冥福と傷を負わせてしまった方々の回復を日々願い、心から祈っています。
 
 魂というものがあるのならば、私のやったことと多くの方々の悲しみと苦しみを忘れないようにとその魂に刻みつけ、二度と繰り返すことがないように、毎日祈りをかけています。償うすべのない行為でした。「忘れないこと」、それのみがこのような罪を犯した私にできることなのだと、いまは思っています。

 このようないい方をするのは不遜でありますが、私が今生で死ぬ前にせめてこのような人間らしい気持ちだけでも取り戻せたのは、そのきっかけを与えてくださった高橋さん、菱沼さんのおかげだと思っております。
 p494

 ほぼ500ページになんなんとする筆者の述懐に、読んでいる私はほとんど言葉を失ってしまう。事件からすでに12年、この本がでてからですら、すでに8年半が経過している。私はこんな本なんか読むもんかと思っていた。私の心もそうとう頑なだった。ほんとは読みたくなかった。だけど、ごくごく最近になって、ようやく読んでみようかな、と思い始めた。

 許せない。どうしても許せない。絶対だめだ。私はあの地下鉄サリン事件が一段落したあとは、ずっとインターネットやネット社会のほうに「逃げて」いたと思う。できるだけ話題をそらしたかった。彼らのことなんか、忘れてしまいたかった。なかったことにしたかった。

 でも、やっぱり事実は事実としてあって、消えてしまうものではない。インターネットやネット社会の動向も面白い。そのようなインフラとしての拡大と膨張をつづけていくWeb2.0はいよいよ本格化してきた。もう後戻りしないところまで来てしまった。そういう確信が湧き始めている。ああ、そういう今だからこそ、あの事件のことをもう一回思い出してみようかな、と思い始めたのかもしれない。

 だとしても、林郁夫の本など読むもんか、と思っていた。ひどすぎる。やったことはあまりにひどい。有りえない。絶対許さない。彼のことは大体知っていると思っていた。麻原集団の幹部としての医師であり、地下鉄サリン事件の実行犯のひとりだ。逃亡のすえ逮捕され、実行犯の中では、自白に近い形で一番最初に事件の全貌を語り、ほとんどが死刑宣告を受けたのに、ただひとり無期懲役に逃れた。

 だいたいのアウトラインは知っている。そして、それ以上、私が彼に関心などをもつ必要などない。何の関心もない。そう思ってきた。ひたすら無視してきた。だけど、どうやら、それは無理なようだ。私はあの事件を忘れることはできない。許すか許さないか、というより、直視はしなくてはならない、と最近、思うようになった。いや、直視なんかできるもんか。事件の全貌なんてわかりはしない。私のわかる部分なんてどうせ限定された範囲に限られている。まぁ、せめて視野狭窄にならず、目に触れたものは、ごく自然体に手を触れていくしかないのかな、というところだろう。

 この林郁夫の本が98年にでていることに、私は本音を言えば、ちょっと早すぎるのではないか、と思った。そんなに2年や3年で、「反省」なんてできるもんか。自らの減刑嘆願のためのパフォーマンスかもな、とさえチラッと思った。でも、どうやらそうではない、ということはページをめくるごとにわかってきた。

 この人は、あの年の3月19日までは、自分がそのような立場になるなんてことは、思いもつかなかったのだ。彼の「素直さ」「純朴さ」が使われたのだ。彼にはスキがあった。それもまた彼が持ち運んできてしまった因縁としかいいようのないものだろう。

 彼は1947年に生れたが、学生時代は自分でいっているように「ノンポリ」だった。私は、もともと団塊の世代の「ノンポリ」はどうも許せない性分のところがある。やるべき時になにもしなかったことを許せないのだ。私は逆に、遅れてきた世代なのに、すこし先走りすぎたのだが。

 林郁夫は、桐山靖雄のもとで10年ほど過ごしている。実は、私は、これも気に食わない。私が桐山を知ったのはたぶん71年頃。「密教食」というものを知人から紹介された時だった。その時から、いかがわしい奴だナァ、という印象は消えない。その後、アーガマだろうが阿含だろうが、心は許すことはない。年代を追っていくと、林は、私より7歳年上だが、精神世界の旅路では、たしかにやや遅れている。耳年増の私にとっては、おいおい、そのころあなたはそんなことしていたのかね、とすこし冷やかしたくもなるときがある。

 しかし桐山のもとを離れて麻原のもとに行ったあとにおいても、彼の「素直」さは、ある意味、魂の「幼さ」さえ感じる。カルロス・カスタネダの本を毎回毎回楽しみにしているくだりなど、同世代としては、いちいち自分のことを思い出してしまって、親近感をもつ。でも、それとてもなにか幼いナァ、と思ってしまう。麻原が林に対してどのような評価を与えていたのかは、この本だけでは正確にはわからないが、次第にこの林という人の性格や人格がだんだんと浮き彫りになってくる。

 しかし、間違いは間違いだ。私は人間を裁く立場ではないので、彼の量刑がどれだけであるのが正しいか、なんてことはわからない。そして、人間は間違いを犯しうる。間違いを犯すからこそ人間だとも言える。98年にこのような心境であったということは、それから10年近い年月が経過して、現在はどのような気持ちなのだろうか、と、ふと思った。

 最近、早川紀代秀
「私にとってオウムとは何だったのか」なんて本もでているようだ。こちらもそのうち機会があったら読んでみようと思った。

 今、林の魂はどこにいるだろう。まさか桐山のところに戻ったわけではないだろう。まして、これだけ「依存性」の高い彼は、ひとり歩む、なんてことはできていないかも知れない、と思ったりする。事件がよくも悪くも提起してしまった問題は、深い。やはり忘れることはできない。







Last updated  2009.02.09 22:20:57
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