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カテゴリ:マルチチュード
「金持ち父さん貧乏父さん」アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2000/11 筑摩書房 280p 20もちょっとだけ過ぎた頃、叔父の造園会社でアルバイトをしていたことがある。その時、自分の人生をいろいろ考えていた。人生で一番大切なものはなんだろう。その質問を、当時まもなく50歳になる叔父にしてみたところ、「誠実さ、だろう」という。学生時代にもそう教わったし、人生もそのように生きてきた。誠実な自分の生き方に誇りを持つし、そのように生きている人は信頼できるという。 同じ質問を、まもなく80になろうとしていた祖父に聞いてみた。祖父は一笑すると、「なんだ、そんなこともわからないのか! 人生で一番大切なことは、自未得渡、先渡他」であるという。つまり、お釈迦さまの前世のたとえ話をだし、自らが渡る前に、まず他の人々を渡す、という菩薩の道が最高の生き方だ、というのだ。若くから参禅し、さまざまな仏籍を読みこなした在家の居士らしい一言だった。 さらに、母にも同じ質問をしてみた。夢にようなことを追いかけ、まともに社会と面とむきあわないで(と彼女には見えていたのかもしれない)、定職にもつこうとしない息子に対して、「何言ってんの、金よ、金、金がなければ何にもはじまらない」と言った。うむ、それは確かだ。旅に出るにしても、レコードを買うにしても、金は必要だ。だからアルバイトしていたのだが・・・。一番下卑てはいたが、一番現実的で、「息子想い」の言葉だったかもしれない。 三者三様、このうち二者はすでに故人となり、私自身もすでにセカンドライフを考えなくてはならない年頃になっても、実は、この三つのうちのいずれが正しい答えであったかは、いまだに判断がつかない。うろうろしている20の若者に対する答えとしては、三つが三つとも正しいような気がする。 ロバート・キヨサキの一連の著作を横目でみながら、まともにこの人の本を開いたことはなかった。このブログを書きながら、苦手なものも苦手なものとして、読んでみようという趣旨のブログであるだけに、ようやくこの人の本を読んでみた、というところだ。「年収300万円時代を生き抜く経済学」(個人的にはこちらのほうが共感したがw)などというちょっと身につまされる話の横行する日本において、ロバート・キヨサキの本はブームを呼んだ。 体験談を多く引用した、きわめて内容のある本だが、つまりは、心構えの違いを強くしているところにこの著者の特徴があるのだろう。 二人の兄のうち、どちらかというと著者のいう金持ち父さんに似ているほうの兄は、著者のような「教師」的才能はないが、たしかに資産を増やし続けている。寅年の獅子座生まれでライオンズ・クラブのガバナーとやらをやっている。先日も、夫婦で米国での大会に参加してきた。 もうひとりの兄は、どちらかというと貧乏父さんの方だろう。実直なサラリーマンだ。でも、著者のアドバイスのように、スタートが早かったので、それなりの人生を築きあげた。二人の子供を医者にしたので、彼の人生はそれなりに形が整ったことになるが、うん、たしかに、まだ「豊か」になったわけではない。家も二軒買ったので、ローンもかなり残っているはずだ。 ふたりの兄に比較されるのもいやだが、私の人生は、またまったく違った価値観で進んできてしまった。貧乏といえば、なるほど、そうとしかいえないが、金持ちとはいえないまでも、満足しようと思えば、soso満足できないわけでもない。私なりの苦肉の金銭哲学として「収入はちょっと足らないほうがいい」という考え方については、すこし再検討が必要かも。Oshoに触れて以来、内面も外面も豊かな人間になろう、と努めてきたはずだが、そのどちらも、実はまだまだおぼつかないのではないか。 この本を読んでそんなことを感じていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.08 21:22:48
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