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2010.06.08
全108件 (108件中 1-10件目) マルチチュード
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<1>よりつづく
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2010.02.12 22:30:40
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2009.02.02 22:50:25
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![]() 「投資信託にだまされるな!」 竹川美奈子 2007/04 ダイヤモンド社 単行本 154p ★★★☆☆ 「ウェブ仮想社会『セカンドライフ』」 によれば、セカンドライフに参加するには、「英語力」「財務力」「ITスキル」そして「創造力」が必要ということだった。だが、このブログでは、なかなか財務力というカテゴリをうまく取り入れることに成功しているとはいえない。「英語力」=「表現力」=「ジャーナリズム」と拡大解釈し、「ITスキル」=「プログラミング」、あるいは「想像力」=「意識」と解釈したとしても、「財務力」をどのようにしたらうまくとりいえれられるか、これからも試行錯誤がつづく。 だから、こんな本が新刊本コーナーにあると、つい手が伸びて、ひととおり目を通すことになる。この本はどうやら人気図書のようだ。私のあとにすでに2名のウェイティング・リストができていた。この著者が人気者なのだろうか、それとも、投資信託そのものが売れているのか。すくなくとも、IT関係と似て、ファイナンシャル情報は、古いものはなかなか役立たない。情報は新しいほどいいに決まっている。 投資信託という商品の性格をよく理解して購入している層もいるのだろうが、逆に金融機関の窓口で勧められるまま疑わずに購入しているとしたら、それは不味いと、本書は言う。パンフレットや契約書をよく見て、よく考えれば、なるほど、おかしいと気づくのだが、よく読まずに口車に乗ってしまっていることもありそうだ。 この本は、タイトルの割りには、なかなか面白い。このように噛んで含んで教えてもらうと、なるほど、と納得感は高まる。この本の人気が高いのもわかる感じがする。
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2009.02.02 22:51:48
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2007.07.29
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![]() 「ヘンプ読本」 麻でエコ生活のススメ 赤星栄志 2006/08 築地書館 単行本 268p ★★☆☆☆ ヘンプ(Hemp)とは麻の英語名で、アサ科の一年生植物、大麻草のことである。大麻草というと誤解されがちだが、いわゆる大麻は、法律上、花穂と葉のことで、ヘンプは、種子と茎からできた素材のことをいう。 p3 著者は1974生まれ、なんでここまでヘンプにこだわるかなぁ、とちょっと疑問。それぞれに出会いというものがあるのだろうが、この人はこれに出会ってしまったんだろうな。 日本文化と麻、ヘンプを着る、麻の実を食べる、ヘンプオイルで美しくなる!、ヘンプでつくる癒しの空間、ヘンプハウスに住みたい、ヘンプ紙で森を守る、ヘンプでプラスチックを作る試み、ヘンプエネルギーで車が走る、ヘンプから医薬品をつくる、ヘンプの可能性に挑戦する、などなど、ごもっとものような感じがするが、どこか強引さが残るのではないだろうか。 やっぱり、大麻はマリファナでしょう。使い方はいろいろあるだろうが、自由に手に入る、という状況になれば、吸引する人がでてくるのは確実だと思う。もちろん、その薬効もあり、その扱いもなかなか難しいところだが、なんでここまでこだわるかは、私にはわからない。
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2009.02.02 22:53:19
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2009.02.02 22:56:18
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2007.07.28
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![]() 「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」 酒巻久 2005/07 祥伝社 単行本 239p ★★★☆☆ タイトルを見た時は、またまた受け狙いのタイトルをつけて、実際はどんなことを書いているやら、と斜に構えて読み出した。いざ読み出してみて、実はこのタイトルは文字通り受け取るべきである、とわかって、正直青ざめた。この方、キャノンという電子機器メーカーに長く勤務し、80年代にはパソコン「NAVI」を設計した人だ。 ワープロ、電話、ファックスのついた「傑作マシン」(本人いわく)で、私も記憶ある。たしかにカッコよかった。大きな家具センターなどにいくと、机の上に、このパソコンが誇らしげに飾ってあったりしたものだ。若いときにはアップルのスティーブ・ジョブスなどと一緒にホストコンピュータを共同開発したという。でも商業的には失敗。会社に与えた損害は数百億円になったという。 だから、というわけでもあるまいが、彼は赤字部門の担当にまわされ、そこからいかに黒字をつくるかを編み出した。そこで「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」となるわけである。ほんとにマジだ。そして、関連会社のキャノン電子のトップとして、利益を上げた。会議も3時間でも4時間でも「たったまま」でやる、というのだから、唖然とする。パソコン使用も、会社での個人使用は絶対禁止。なるほど、考え方としては徹底している。 思えば、確かにキャノンはパソコンから撤退したあとは、一時アップル・コンピュータの日本の販売代理店を兼ねていたこともあったような記憶がある。ハイリスク・ハイリターンの世界である。パソコン開発の途上においては、さまざまな成功談と、さまざまな失敗談がある。その先人達の努力の結果、現在のインターネット社会が生まれ、Web2.0などという世界が形成され、3Dバーチャル仮想社会などに戯れることができるようになったのだった。 ただ、私はこの社長のもとでは働けないだろうな、と思う。というより、私はもともと会社人間ではないのだ。ほとんど組織に属さず仕事をやってきた。このような、ある意味、工業化社会に逆戻りするような仕事場、あるいは、ちょっと言葉は悪いが軍隊式経営法には、ついていけない。会社は伸びるかもしれないが、個人はつぶされる。 椅子とパソコンをなくさなくても、伸びる会社は伸びる。キャノン電子では、業務用パソコンが仕事中に、仕事以外に使われる割合が相当高かったという。それをなくした。そして利益を上げた。つまり「無駄」をなくしたのだ。それはそれで、短期的経営者としては、賞賛されてしかるべきなのだろう。この人、偶然だが、鳥越俊太郎と同じ年齢だった。このほか、著者には「キヤノンの仕事術」などがある。
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2009.02.08 13:24:36
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2007.07.27
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![]() 「ニュースの職人」 「真実」をどう伝えるか 鳥越俊太郎 2001/10 PHP研究所 新書 217p ★★★★☆ 単に比較の問題だが、やはり私は「ネット王子 ケータイ姫」の香山リカや森健などよりは、この鳥越俊太郎のほうに近いものを感じる。偶然だが、鳥越は私より14歳上、そして森健は私より14歳年下。この二人のちょうど真ん中にいながら、すでに老境にはいらんか、としている鳥越に、より共感をもつとは一体どうしたことなのだろう。確かに私にはやや耳年増なところもあるが、また、幼い未熟なものもある。だが、やっぱり鳥越のほうが私の感覚にはあっている。思えば私も、10の位を四捨五入すると、すでに100歳になっているのだった。 新聞記者、週刊誌編集長、テレビ・キャスター、そしてそのあとに、2000年、鳥越60歳になって、初めて到達した心境「ニュースの職人」。その人生のスタイルに、かっこいいなぁ、と私は思う。なんでかっこいいのだろう。あのヘアスタイルにもだまされているかもしれない。ちょっと低音の渋い九州なまり(と本人はいう)のある声がなかなか素敵だからかな。あるいは3月うまれ(うお座だが)というところに近しいものを感じるのだろうか。 ジャーナリストとして、権力に食らいつく「強い」彼と、父親や自分の少年時代を語ったりする時の「弱い」彼、その強弱のあり方に、私は共感しているようなのだ。少なくとも、自分の思い描いている「人間像」の範囲にうまくはまってくれている。それは彼の旺盛なサービス精神があってこそ、こちらで把握していることであり、まんまと乗せられている、という可能性もないではない。 もともと活字メディア出身の私は、実はテレビの世界で10年の経験を経てもまだ、どこかに”駆け出し”の感覚を拭うことができないでいた。それはきっと、キャスターとは”テレビの職人”であって”ニュースの職人”ではないからなのだった。 そのことに、ネットの世界に足を突っ込んで初めて、ハタと気がついたのだ。そうだ、私は”ニュースの職人”だったのだ。p216 さあ、そのネットの話題、「オーマイニュース」の初代編集長に就任したはずの鳥越は、半年を経て、そのポジションを辞してしまったという。何があったのだろうか。今後、この辺もすこし探ってみよう。すくなくとも、鳥越も、「鳥ジィ」にでもなって、すこし顧問職に退く時代になってしまったのかもしれない。「ネット」は、すでに何世代も進化してしまっている可能性がある。 この本、「報道は欠陥商品と疑え」 や「人間力の磨き方」と、内容的にかなりカブっている。というか、この本が一番最初にでたのだから、他の本のほうが、この本の焼き直し、ということになろう。
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2009.02.08 13:27:04
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2010.09.11 18:26:42
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2007.07.26
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![]() 「サイバージャーナリズム論」 インターネットによって変容する報道 前川徹 /中野潔 2003/10 東京電機大学出版局 単行本 247p ★★★★★ 「サイバージャーナリズム論」07歌川版と読み比べてみた。実に面白い。03年にあっては、2ちゃんねる全盛時代であり、P2P、ウェブログ(まだブログという言葉が定着していなかった)がようやく到着したか、という段階。Gogle、SNS、mixi、YouTube、Second Life、ライブドア、Web2.0、市民記者、パブリック・ジャーナリスト、などなどの単語が出てこない。わずか3年半の間にたくさんのことが起きたことをを、あらためて確認。 しかし、サイバージャーナリズム論としては、真っ当な一冊。むしろ07歌川版で噴出している問題点をすでに見透かしていたかのような冷徹さがある。歌川たちも、この本に当然目を通していたことだろう。07歌川版が、文系の「ジャーナリスト」たちによって各論が展開されたとしたら、03前川版は、理科系の技術者たちによって総論が語られていた、という感じで対比できる。 1、語尾の長音符号「-」について (1)その言葉が4音節以下の場合には、語尾に長音符号をつける。 例えば、サーバー、ユーザーなど (2)その言葉が5音節以上の場合は、語尾の長音符号をつけない。 例えば、プロバイダ、コンピュータ、など (3)英語のつづりが”y”で終わる言葉には、語尾に長音符号をつける。 例えば、リテラシー、プライバシー、など 2、二つ以上を組み合わせた言葉の区切りの中黒「・」について (1)英文で空白で区切られているものには入れる。 例えば、デジタル・コンテンツ、デジタル・モデルなど (2)空白で区切る表記もされるが、一つの単語として表記されることもあるものや、 ハイフンで区切られることがあるものについては入れない。 例えば、ウェブサイト、ウェブページ、など 巻頭より これが文系07歌川組からでた言葉ではなくて、理系03前川組からでてきたのは、面白い。まるで、プログラミングのアルゴリズムの定義を確定しているかのごとくだ。今後は、このブログでも、このアルゴリズムを採用していこうと思う。ということは、サイバージャーナリズム、とは、一つの単語として見られるか、その二つの単語の間に空白がないことが多いようだ。つまり、CyberJournalism. ちなみに、このブログ名「地球人スピリット・ジャーナル」の場合、「地球人」と「スピリット」の間に空間がないので、一つの単語としてとらえ、「ジャーナル」は単独の言葉となるか。仮に「スピリットジャーナル」という表記があり得るとすれば、それは「チャネリング」とか「霊界通信」と同義なんてことになっちゃうかな。でも、それもありか・・? ジャーナリズムの定義を無条件に拡大してしまうと、ジャーナリズムの本質が見えなくなってしまう。ここでは「時事問題の報道・解説・批評活動」であるとしておく。p2 うん、これでいいだろう。このブログでも、当面はこれで行ってみよう。さて、あとは「地球人」とは、「スピリット」とは・・?ということになるが・・・。 事実と真実の違いについてはさまざまなとらえ方があるだろうが、次の二つの見方が的確ではないだろうか。 まず、一つ目は、ニュースを報道するときによくいわれる5W1HのうちWhen、Where、Who、What、Howは誰がみてもほぼ変わらないものであるのに対して、Whyは変わりうるものであるという見方である。日本で活躍する米国人ジャーナリストのブライアン・コバートは同志社大学の講演の中で「事実と真実の違いについていうならば、いわゆる5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」ということについていうのは時事です。しかし表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということなのです。これはとても大きな違いです。真実を追究するというのは、あらゆる事件や問題の背後にあるなぜ物事がそうなのか、またどのようにそうなのかを見つけることなのです」と述べている。p87 なるほど、先日「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」を読んだとき、日本はなぜ「日本はなぜ」がすきなのだろう、と思ったけど、それは日本が真実を追究することが好きだ、ってことなのね。まずはそういうことにしておこう。 マクルーハンの「地球村」 インターネットが世界中を覆うネットワークに発達するはるか以前、1962年にカナダのメディア研究者マクルーハンは、その著書「グーテンベルグの銀河系」の中で「電子技術による新しい相互依存は、世界を地球村のイメージで創りかえる」と述べた。マクルーハンの主張は「電磁気をめぐる諸発見が、すべての人間活動に同時的『場』を再創造し、そのために人間家族はいまやひとつの『地球村』とでもいうべき状態のもとに存在している」というものである。p236 ああ、いいなぁ、このオプティミズム。理科系の人間がジャーナリズムに意味を与え、文系の人間がIT技術に意味を与えている。素晴らしい。
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<9>よりつづく
![]() 「サイバージャーナリズム論」<10> さて、この項、ちょっと長くなりすぎた。取り急ぎまとめに入ろう。 第四章 グーグルにあらずんば情報にあらず ---WWWを駆け巡る検索エンジン--- 森健 p116 このブログでも、このほか、「Google誕生」 、「Googleのすべて」 、「グーグルGoogle―既存のビジネスを破壊する」 やGoogle関連については読んできた。「サイバージャーナリズム論」のこの本のなかで、ダイジェスト的に繰り返して読む必要はあまり感じなかった。ある意味、適当にネットから情報を集めてきて、適当に切り貼りすれば、誰にでも作れそうなページのように感じた。情報も必ずしも新しくないし、インサイダー情報もない。ただ、いままで、自分が書きとめてきた部分と、これらの文章を比較して、なるほど、自分がどんなことに関心をもっているのかな、というところが逆にあぶりだされてきた感じだ。 第五章 ウェブがもたらす「偏向」と「格差」 --「ハブ」と「べき法則」のリテラシー 森健 -- p149 ここはおおいに関心のあるところだが、今回は流し読みにし、この部分の著者の他書を読みながら再読することにする。この辺はジャーナリスト魂というより、技術的なことが優先されており、結局はコンテンツよりコンテナーが優先して語られているにすぎない。「『みんなの意見』は案外正しい」のジェームズ・スロウィッキーの言葉を引用して、最後のまとめとしている。 意見の多様性(各人が持つ独自の私的情報)、独立性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として判断に集約するメカニズムの存在)だ。これらの四条件が揃わないと「群集の叡智」が正しい解に至らない。p180 多様性、独立性はマルチチュードの必要不可欠な要素だ。分散性、集約性は、シンギュラリティの特性ということになろう。 第六章 メディアとはコミュニティである --マイスペース、ユーチューブ、そしてセカンドライフ--- 湯川鶴章 p181 SNSについてはこのブログでも、いろいろ読み込んできた。日本語に限らず、さまざまなところに体験的に出没してみている。ユーチューブについても、まぁ気づいていない側面も多々ありそうだが、利用者が急増しているという意味では、もう誰もが知っているサービスだ。セカンドライフについても、このブログでは一つのカテゴリとして、それぞれ読み込んでみているところだ。これらをソーシャルメディアと呼ぼうとテクノロジー・コミュニティと呼ぼうと、どうしてもコンテナー的側面に視点が傾いている感じがする。 これらを利用してこそのコンテンツ、そしてこれらからだけしか生み出されないもの、そのような特性についての言及が弱い感じがする。というか、私はその辺を知りたい。 最後に歌川令三と公文俊平の対談があり、それぞれに、アダルトにジェントルにまとめあげている。しかしながら、結局は、サイバージャーナリズムというものが、はっきりと明確に見えた、とは思えなかった。 私はこのブログで、科学、芸術、意識の三つのジャンルの融合を試みているのであり、このブログにおいては、ジャーナリズムは「芸術」の一分野、というとらえ方をしている。歌を歌える人は歌を唄えばいい。絵を描ける人は絵を描けばいい。そういう表現形態のひとつとしての「ジャーナリズム」を想定している。ヘアーアーティストとか、マーシャルアーツ、というときの「アート」、その一存在様式として、「ジャーナル・アート」的ジャンルととらえている。 であればこそ、「ジャーナル・アート」は科学への目もたなければならないし、意識への融合も試みなくてはならない。あるいは、「ジャーナル・アート」は科学や意識からの援助をおおいに受け入れて、独立性を保ちながらも、多様性を受け入れ、分散性の中にいながら、集約性を高める、一個の人間として存在できる可能性を探っていかなくてはならない。 (敬称略) この項おわり このブログでよく読まれている記事
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