地球人スピリット・ジャーナル1.0

Keyword Search

▼キーワード検索

Recent Posts

Calendar

Free Space

2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 11 >

マルチチュード

2007.07.30
XML
カテゴリ:マルチチュード

<1>よりつづく

ゾルバ.jpg

「その男ゾルバ」 <2>
ニコス・カザンザキス (著), 秋山 健 (訳) 1967/08 恒文社 単行本 387ページ
★★★★★


 
小田実亡くなった。享年75歳。ご冥福をお祈りいたします。合掌

 近年の活動はあまり知らなかったが、ググってみればパブリック・ジャーナリズムなどにかかわっていたようで、まぁある意味当然だろうな、という感じがする。このあたりは、このブログでも今後、もうすこし追跡して検討してみようと思っている。

 小田実、70年春、沖縄反戦デーに彼が来て講演をした。その後、お決まりのフランス・デモ。私は16歳の高校生。初めての街頭デビューだった。思えば、あの時、小田も38歳。ああ、みんなまだまだ若かったんだなぁ、としみじみ思う。

 「その男ゾルバ」の巻末で、小田実は「私の作品論」を10ページにわたって書いている。ゾルバー小田実ーパブリック・ジャーナリズムとつながり、また、この本で「マルチチュード」カテゴリが108に達するのも何かの縁だろう。映画
「その男ゾルバ」はYouTubeでもその片鱗を見ることができる。

 今後は、このつながりの中から何か見えてくるものがあるかもしれないと期待することにする。

<3>につづく







Last updated  2010.02.12 22:30:40
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:マルチチュード


「ネットは新聞を殺すのか」変貌するマスメディア
青木日照 /湯川鶴章 2003/09 NTT出版 227p
★★☆☆☆


 「サイバージャーナリズム論」07歌川版関連で読んでみた。湯川鶴章共著者として名前を連ねている。この本はすでに発行後4年が経過しているので、情報もかなり古いものになっている。しかし、そのことを差しひいたとしても、タイトルが示しているように、「新聞」側の人間が危機感を感じて書いている本ということだろう。「ネット」そのものは「新聞」をどうのこうのしようとしているとは必ずしもいえないだろう。

 自動車が発達すれば、馬車は減る。ケータイが発達すれば、固定電話は減る。ネットが発達すれば、旧来メディアになんらかの変化がでるのは当然のことだが、自動車は馬車を殺すために登場したのでもないし、ケータイは固定電話を殺すために登場したのでもない。それぞれに必要があり必然があって登場してきただけなのだ。別に何かを「殺す」意思を持ってきたのではないはずだ。いわゆる旧来の「新聞」人たちが危機感を持っているのはわかるが、「ネット」を凶悪な殺人者のごとくに表現するのだけはやめてほしい。表現者として卑劣だ。

 昨日もNHKで関連のスペシャル番組を放映していた。私も強い関心をもって見た。しかし、視点は、あくまで旧来の「新聞」側にあって、「ネット」側にない。まだまだ、この話題は続くだろうし、本質的に大きく変貌をとげる時がくるような感じがする。







Last updated  2009.02.02 22:50:25
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:マルチチュード

「投資信託にだまされるな!」 
竹川美奈子 2007/04 ダイヤモンド社 単行本 154p
★★★☆☆

 
「ウェブ仮想社会『セカンドライフ』」 によれば、セカンドライフに参加するには、「英語力」「財務力」「ITスキル」そして「創造力」が必要ということだった。だが、このブログでは、なかなか財務力というカテゴリをうまく取り入れることに成功しているとはいえない。「英語力」=「表現力」=「ジャーナリズム」と拡大解釈し、「ITスキル」=「プログラミング」、あるいは「想像力」=「意識」と解釈したとしても、「財務力」をどのようにしたらうまくとりいえれられるか、これからも試行錯誤がつづく。

 だから、こんな本が新刊本コーナーにあると、つい手が伸びて、ひととおり目を通すことになる。この本はどうやら人気図書のようだ。私のあとにすでに2名のウェイティング・リストができていた。この著者が人気者なのだろうか、それとも、投資信託そのものが売れているのか。すくなくとも、IT関係と似て、ファイナンシャル情報は、古いものはなかなか役立たない。情報は新しいほどいいに決まっている。

 投資信託という商品の性格をよく理解して購入している層もいるのだろうが、逆に金融機関の窓口で勧められるまま疑わずに購入しているとしたら、それは不味いと、本書は言う。パンフレットや契約書をよく見て、よく考えれば、なるほど、おかしいと気づくのだが、よく読まずに口車に乗ってしまっていることもありそうだ。

 この本は、タイトルの割りには、なかなか面白い。このように噛んで含んで教えてもらうと、なるほど、と納得感は高まる。この本の人気が高いのもわかる感じがする。






Last updated  2009.02.02 22:51:48
コメント(0) | コメントを書く
2007.07.29
カテゴリ:マルチチュード

「ヘンプ読本」 麻でエコ生活のススメ
赤星栄志 2006/08 築地書館 単行本 268p
★★☆☆☆

 ヘンプ(Hemp)とは麻の英語名で、アサ科の一年生植物、大麻草のことである。大麻草というと誤解されがちだが、いわゆる大麻は、法律上、花穂と葉のことで、ヘンプは、種子と茎からできた素材のことをいう。 p3

 著者は1974生まれ、なんでここまでヘンプにこだわるかなぁ、とちょっと疑問。それぞれに出会いというものがあるのだろうが、この人はこれに出会ってしまったんだろうな。

 日本文化と麻、ヘンプを着る、麻の実を食べる、ヘンプオイルで美しくなる!、ヘンプでつくる癒しの空間、ヘンプハウスに住みたい、ヘンプ紙で森を守る、ヘンプでプラスチックを作る試み、ヘンプエネルギーで車が走る、ヘンプから医薬品をつくる、ヘンプの可能性に挑戦する、などなど、ごもっとものような感じがするが、どこか強引さが残るのではないだろうか。

 やっぱり、大麻はマリファナでしょう。使い方はいろいろあるだろうが、自由に手に入る、という状況になれば、吸引する人がでてくるのは確実だと思う。もちろん、その薬効もあり、その扱いもなかなか難しいところだが、なんでここまでこだわるかは、私にはわからない。






Last updated  2009.02.02 22:53:19
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:マルチチュード


「人生を変える80対20の法則」
リチャード・コッチ /仁平和夫 1998/06 TBSブリタニカ 単行本 283p
★★★☆☆


 2005/10に出た「楽して、儲けて、楽しむ『80対20の法則』」前編ともいうべき一冊。結構真面目に書いてあって、圧倒される。

 
わたしにとって80対20の法則はどのように役立ったか わたしがオックスフォード大学の学生だったとき、学生主事から次のようになことを言われた。
「本はその気になれば、いくらでも速く読める。しかし、楽しみのための読書は別にして、最初から最後まで本を読んではいけない。勉強するときは、本を全部読まずに、その言わんとするところをすばやくつかめ。まず結論を読み、次に序論を読み、それから結論を読み返し、あとは面白いところだけ拾い読みしろ」
 その主事が言いたかったのは、こういうことだったと思う。本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中にみつけることができる。だから、通読する時間の20%で、本の価値の80%を吸収できる。
 p34

 まぁ、著者にいわれる前にすでに、このブログでは、この方式を採用しているのであった。このほか50対50の法則とか、50対5の法則とか紹介されているが、圧倒的に支持を受けそうなのが、80対20の法則だ。
「金持ち父さん貧乏父さん」ロバート・キヨサキを読んでいると、この数字は95対5くらいにあがってしまうが、考え方は同じことだ。

 この法則があることに気がつくと、ほんとに目から鱗がおちるような感動がある。しかし、80対20の法則を積極的に自分の生活に取り入れようとすると、これが実際はなかなか難しい。ましてや95対5の法則など、私のライフスタイルでは無理だな。著者は、この法則を紹介しながら、多方面の活用法を展開する。

 
幸福になる七つの習慣
1)運動をする。
2)頭の体操をする。
3)こころを刺激する(あるいはこころを癒す)。
4)他人に親切にする。
5)友人と楽しいひとときを過ごす。
6)自分をもてなす。
7)自分を祝福する。

 この辺なら、なんとかやれそうだ。だが、やっぱり実際に実行して維持しようとすると、なかなか困難もあるのだった。まぁとにかく、いろいろな格言や法則はあるだろうが、自分にあったものを見つけて、自分なりに実行してみるだけだな、と思った次第。







Last updated  2009.02.02 22:56:18
コメント(0) | コメントを書く
2007.07.28
カテゴリ:マルチチュード

「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」 
酒巻久 2005/07 祥伝社 単行本 239p 
★★★☆☆

 タイトルを見た時は、またまた受け狙いのタイトルをつけて、実際はどんなことを書いているやら、と斜に構えて読み出した。いざ読み出してみて、実はこのタイトルは文字通り受け取るべきである、とわかって、正直青ざめた。この方、キャノンという電子機器メーカーに長く勤務し、80年代にはパソコン「NAVI」を設計した人だ。

 ワープロ、電話、ファックスのついた「傑作マシン」(本人いわく)で、私も記憶ある。たしかにカッコよかった。大きな家具センターなどにいくと、机の上に、このパソコンが誇らしげに飾ってあったりしたものだ。若いときにはアップルのスティーブ・ジョブスなどと一緒にホストコンピュータを共同開発したという。でも商業的には失敗。会社に与えた損害は数百億円になったという。

 だから、というわけでもあるまいが、彼は赤字部門の担当にまわされ、そこからいかに黒字をつくるかを編み出した。そこで「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」となるわけである。ほんとにマジだ。そして、関連会社のキャノン電子のトップとして、利益を上げた。会議も3時間でも4時間でも「たったまま」でやる、というのだから、唖然とする。パソコン使用も、会社での個人使用は絶対禁止。なるほど、考え方としては徹底している。

 思えば、確かにキャノンはパソコンから撤退したあとは、一時アップル・コンピュータの日本の販売代理店を兼ねていたこともあったような記憶がある。ハイリスク・ハイリターンの世界である。パソコン開発の途上においては、さまざまな成功談と、さまざまな失敗談がある。その先人達の努力の結果、現在のインターネット社会が生まれ、Web2.0などという世界が形成され、3Dバーチャル仮想社会などに戯れることができるようになったのだった。

 ただ、私はこの社長のもとでは働けないだろうな、と思う。というより、私はもともと会社人間ではないのだ。ほとんど組織に属さず仕事をやってきた。このような、ある意味、工業化社会に逆戻りするような仕事場、あるいは、ちょっと言葉は悪いが軍隊式経営法には、ついていけない。会社は伸びるかもしれないが、個人はつぶされる。

 椅子とパソコンをなくさなくても、伸びる会社は伸びる。キャノン電子では、業務用パソコンが仕事中に、仕事以外に使われる割合が相当高かったという。それをなくした。そして利益を上げた。つまり「無駄」をなくしたのだ。それはそれで、短期的経営者としては、賞賛されてしかるべきなのだろう。この人、偶然だが、
鳥越俊太郎と同じ年齢だった。このほか、著者には「キヤノンの仕事術」などがある。






Last updated  2009.02.08 13:24:36
コメント(0) | コメントを書く
2007.07.27
カテゴリ:マルチチュード

「ニュースの職人」  「真実」をどう伝えるか
鳥越俊太郎 2001/10 PHP研究所 新書 217p
★★★★☆

 単に比較の問題だが、やはり私
「ネット王子 ケータイ姫」香山リカや森健などよりは、この鳥越俊太郎のほうに近いものを感じる。偶然だが、鳥越は私より14歳上、そして森健は私より14歳年下。この二人のちょうど真ん中にいながら、すでに老境にはいらんか、としている鳥越に、より共感をもつとは一体どうしたことなのだろう。確かに私にはやや耳年増なところもあるが、また、幼い未熟なものもある。だが、やっぱり鳥越のほうが私の感覚にはあっている。思えば私も、10の位を四捨五入すると、すでに100歳になっているのだった。

 新聞記者、週刊誌編集長、テレビ・キャスター、そしてそのあとに、2000年、鳥越60歳になって、初めて到達した心境「ニュースの職人」。その人生のスタイルに、かっこいいなぁ、と私は思う。なんでかっこいいのだろう。あのヘアスタイルにもだまされているかもしれない。ちょっと低音の渋い九州なまり(と本人はいう)のある声がなかなか素敵だからかな。あるいは3月うまれ(うお座だが)というところに近しいものを感じるのだろうか。

 ジャーナリストとして、権力に食らいつく「強い」彼と、父親や自分の少年時代を語ったりする時の「弱い」彼、その強弱のあり方に、私は共感しているようなのだ。少なくとも、自分の思い描いている「人間像」の範囲にうまくはまってくれている。それは彼の旺盛なサービス精神があってこそ、こちらで把握していることであり、まんまと乗せられている、という可能性もないではない。

 
もともと活字メディア出身の私は、実はテレビの世界で10年の経験を経てもまだ、どこかに”駆け出し”の感覚を拭うことができないでいた。それはきっと、キャスターとは”テレビの職人”であって”ニュースの職人”ではないからなのだった。
 そのことに、ネットの世界に足を突っ込んで初めて、ハタと気がついたのだ。そうだ、私は”ニュースの職人”だったのだ。
p216
 
 さあ、そのネットの話題、「オーマイニュース」の初代編集長に就任したはずの鳥越は、半年を経て、そのポジションを辞してしまったという。何があったのだろうか。今後、この辺もすこし探ってみよう。すくなくとも、鳥越も、「鳥ジィ」にでもなって、すこし顧問職に退く時代になってしまったのかもしれない。「ネット」は、すでに何世代も進化してしまっている可能性がある。

 この本
「報道は欠陥商品と疑え」「人間力の磨き方」と、内容的にかなりカブっている。というか、この本が一番最初にでたのだから、他の本のほうが、この本の焼き直し、ということになろう。






Last updated  2009.02.08 13:27:04
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:マルチチュード


「ネット王子とケータイ姫」 <1>悲劇を防ぐための知恵 
香山リカ /森健 2004/11 中央公論新社 新書 190p
★★☆☆☆


 07歌川版「サイバージャーナリズム論」の中でスポンタ中村と対談していた森健という人物をもっとよく知りたいと思ったので、とりあえず目を通してみた。これは香山リカとの共著であり、いままでも背表紙は見ていたが、なかなか手は伸びなかった一冊。香山については、 「テレビの罠」を読んで、あまりにその内容の薄さに唖然として、それ以降は手をつけていなかったようだ「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」なんて本も記憶があるので、ちょっと表紙ぐらいは眺めた記憶があるのだが、自分でも、どこに書き留めたのか探しきれない(汗。

 で、森健という人と香山リカがどのような関係があるのか知らないが、まずは共著という限りはどこか波長があうところがあるのだろう。この本は、どこからどこまでがどちらが担当しているのかわからないので、ここでは一蓮托生ふたりまとめて、感想を書いておこう。
 
 なにがどう気が食わないのだろう、といろいろ考えてみた。思いついた言葉は「カメラ視線」。目立ちたがり屋、ともちょっと違う。自分がカメラに映されていることを、必要以上に意識している。いや、それだけのパフォーマンスがあれば、それはそれでカメラのフラッシュを浴びるのは当然のことだろう。しかし、どうも彼女は中身のなさに比して、自らがカメラ(というか大衆の注目)の前に立ちたがる傾向があるような感じがするのだ。

 犬が人が噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる、という定式がある。犬や人、という素材はごくありふれている。噛む、という行為そのものもそれほど珍しいことでもない。しかし、そのありふれた素材の、順番を組み替えるとそれは、ニュースとなる。香山が扱っている素材はごくありふれたものが多い。しかし、それを組み替えている。あるいは、組み換えが起こって注目が集まりそうなところに、速やかに自らの身を移動し、なるべくカメラへの露出度を高めているような気がするのだ。

 どこかにどっしりと腰をすえて構えている風に見えない。感性といえば感性、才能といえば才能といえるかもしれないが、私にはどうもちゃらちゃらしている風にしか見えない。これが女性タレントとか、女子大生風のレポーターだとかしたら、わりと気にならないのだろうけど、その彼女が常にまずは「精神科医」という肩書きを表に出してくるところに、私はカチンと来ているのかもしれない。

 精神科医、という職業の実態は、それほど快活で軽薄なものではない筈だ。語られぬ暗い深い部分があるはずだ。彼女は「精神科医」として勤務しているのだろうか。実際のひとりひとりの人間やクライエントに立ち向かい、時間をかけ、互いの人間性をさらけ出しあい、真っ当に人間対人間のふれあいを試みているのだろうか。もし彼女にそのような営みがあるのなら、その体験からにじみ出てくる叡智のようなものがあるはずだ、と、どこかで大きく期待してしまう、こちらの態度に問題があるのだろうか。

 この本も、タイトルの軽薄さはともかくとして、扱っているテーマは、切り口いかんによっては、深く鋭い視点と言ってもいい。ただ、どうも上滑りしている感じがずっとしてしまうのだ。それは、「なぜ」なのだろう。

 私が某心理電話相談に加わったのは30代の半ばの頃だった。まだ、自分自身が幼児や10代だった頃の体験をまざまざと記憶していたし、すぐ身近に小さな幼子たちを抱えての生活だった。だから、電話の相談者の話にも、割と共感を持って聴き話すことができたように思っている。

 ところが当時の相談員訓練の希望者は年齢制限があった。58歳まで。つまり、訓練終了時に60歳以上になっていると、若い年代の気持ちがつかめなくなるので、60歳以上の方はご遠慮願いたい、ということなのだ。これは某電話では、いまでもそのシステムをとっているかもしれない。

 さてさて、それからはるかに時間がすぎ、そんな私が、その年齢制限にさしかかりつつある年代になっているのである。つまり、私は、若い年代、特に小学生や中学生などの心は、もう読めなくなっているのかもしれない。すくなくとも期待されるべきみずみずしい感性など、期待されなくなってしまっているのかもしれないのだ。

 考えてみれば悲しいことだが、それも仕方ない。自分の子供達が、乳児の頃や、幼稚園時代から、私は私なりに子供達の視線で、いっしょに遊んできた。町内会活動や小学校の「父親の会」、あるいは中高のPTAなど、あるいはそれ以降も、なんやかんやと子供や次世代の人間達の成長に関する会議やら活動に参加させてもらってきた。まぁ、すくなくともひとり分の活動としては平均値をクリアはしているだろう。

 だが、それももう子供達が成人してしまったので、もう私の仕事ではないのだろう。今現在の小学生や中学生の問題は、その周囲の人たちが考えればいいのだ。いつまでも「先輩」面して、よけいなことはもうおしゃべりしないほうがいいのだろう・・か。

 私が学校に紹介し、長いこと「心の教室相談員」を勤めていた同年輩の女性の友人が、最近、その職を辞した。臨床心理士の資格をもつ若い20代の女性に、その任をバトンタッチしたのだ。本来、人間経験のある年配のほうが味のある相談を受けることができるのではないか、とも考えてみるのだが、いや、たしかに論理も感性も、年齢とともに、磨耗してくることもあるかもしれないなぁ、と思うようになった。いやいや、それは彼女のことではなくて、私自身のことだが。

 だから、まず、この本において、書き手たちに共感できず、テーマにおいても共感できかねる私には、この本をどのように読めばいいのか、図りかねたところがある。世代論でかたづけたくはないが、どうも、このテーマは私が追求すべきものではないようだ。思えば、
モバイルゲームタウン(だっけ)なども、ニュースになる分には関心をもっているのだが、今の10代の感性につきあっていく体力も気力も、だんだん失ってきている。

 だから、私はもう、ネット王子のことも、ケータイ姫のことも、想いをめぐらせるのはやめようと思う。そして、「パソコン爺い」でもやっていこうかな。本当は
セカンドライフども、年寄りの冷や水(といったって、今の人にはわからんかも)なのだが、まぁ、私なりに、最後の最後まで、無駄な抵抗はしようと思っている。それでも駄目なら、やはり、撤退だな。

 森健については、この本でもわからなかった。それは森健に問題があるというより、私の側の問題意識の持ち方についての変化があるせいかもしれない。今後もすこしはこの問題を考えてみよう。

<2>につづく







Last updated  2010.09.11 18:26:42
コメント(0) | コメントを書く
2007.07.26
カテゴリ:マルチチュード

「サイバージャーナリズム論」 インターネットによって変容する報道 前川徹 /中野潔 2003/10 東京電機大学出版局 単行本 247p
★★★★★


 
「サイバージャーナリズム論」07歌川版と読み比べてみた。実に面白い。03年にあっては、2ちゃんねる全盛時代であり、P2P、ウェブログ(まだブログという言葉が定着していなかった)がようやく到着したか、という段階。Gogle、SNS、mixi、YouTube、Second Life、ライブドア、Web2.0、市民記者、パブリック・ジャーナリスト、などなどの単語が出てこない。わずか3年半の間にたくさんのことが起きたことをを、あらためて確認。

 しかし、サイバージャーナリズム論としては、真っ当な一冊。むしろ07歌川版で噴出している問題点をすでに見透かしていたかのような冷徹さがある。歌川たちも、この本に当然目を通していたことだろう。07歌川版が、文系の「ジャーナリスト」たちによって各論が展開されたとしたら、03前川版は、理科系の技術者たちによって総論が語られていた、という感じで対比できる。

1、語尾の長音符号「-」について
  (1)その言葉が4音節以下の場合には、語尾に長音符号をつける。
     例えば、サーバー、ユーザーなど
  (2)その言葉が5音節以上の場合は、語尾の長音符号をつけない。
     例えば、プロバイダ、コンピュータ、など 
  (3)英語のつづりが”y”で終わる言葉には、語尾に長音符号をつける。
     例えば、リテラシー、プライバシー、など
2、二つ以上を組み合わせた言葉の区切りの中黒「・」について
  (1)英文で空白で区切られているものには入れる。
     例えば、デジタル・コンテンツ、デジタル・モデルなど
  (2)空白で区切る表記もされるが、一つの単語として表記されることもあるものや、
     ハイフンで区切られることがあるものについては入れない。
     例えば、ウェブサイト、ウェブページ、など 
巻頭より

 これが文系07歌川組からでた言葉ではなくて、理系03前川組からでてきたのは、面白い。まるで、プログラミングのアルゴリズムの定義を確定しているかのごとくだ。今後は、このブログでも、このアルゴリズムを採用していこうと思う。ということは、サイバージャーナリズム、とは、一つの単語として見られるか、その二つの単語の間に空白がないことが多いようだ。つまり、CyberJournalism.
 
 ちなみに、このブログ名「地球人スピリット・ジャーナル」の場合、「地球人」と「スピリット」の間に空間がないので、一つの単語としてとらえ、「ジャーナル」は単独の言葉となるか。仮に「スピリットジャーナル」という表記があり得るとすれば、それは「チャネリング」とか「霊界通信」と同義なんてことになっちゃうかな。でも、それもありか・・?

 ジャーナリズムの定義を無条件に拡大してしまうと、ジャーナリズムの本質が見えなくなってしまう。ここでは「時事問題の報道・解説・批評活動」であるとしておく。p2

 うん、これでいいだろう。このブログでも、当面はこれで行ってみよう。さて、あとは「地球人」とは、「スピリット」とは・・?ということになるが・・・。

 
事実と真実の違いについてはさまざまなとらえ方があるだろうが、次の二つの見方が的確ではないだろうか。
 まず、一つ目は、ニュースを報道するときによくいわれる5W1HのうちWhen、Where、Who、What、Howは誰がみてもほぼ変わらないものであるのに対して、Whyは変わりうるものであるという見方である。日本で活躍する米国人ジャーナリストの
ブライアン・コバートは同志社大学の講演の中で「事実と真実の違いについていうならば、いわゆる5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」ということについていうのは時事です。しかし表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということなのです。これはとても大きな違いです。真実を追究するというのは、あらゆる事件や問題の背後にあるなぜ物事がそうなのか、またどのようにそうなのかを見つけることなのです」と述べている。
p87

 
なるほど、先日
「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」を読んだとき、日本はなぜ「日本はなぜ」がすきなのだろう、と思ったけど、それは日本が真実を追究することが好きだ、ってことなのね。まずはそういうことにしておこう。

 
マクルーハンの「地球村」
 インターネットが世界中を覆うネットワークに発達するはるか以前、1962年にカナダのメディア研究者マクルーハンは、その著書「グーテンベルグの銀河系」の中で「電子技術による新しい相互依存は、世界を地球村のイメージで創りかえる」と述べた。マクルーハンの主張は「電磁気をめぐる諸発見が、すべての人間活動に同時的『場』を再創造し、そのために人間家族はいまやひとつの『地球村』とでもいうべき状態のもとに存在している」というものである。
p236

 ああ、いいなぁ、このオプティミズム。理科系の人間がジャーナリズムに意味を与え、文系の人間がIT技術に意味を与えている。素晴らしい。






Last updated  2009.02.16 21:10:46
コメント(2) | コメントを書く
カテゴリ:マルチチュード
<9>よりつづく


「サイバージャーナリズム論」<10>

 さて、この項、ちょっと長くなりすぎた。取り急ぎまとめに入ろう。

 第四章 グーグルにあらずんば情報にあらず ---WWWを駆け巡る検索エンジン--- 森健 p116

 このブログでも、このほか、
「Google誕生」「Googleのすべて」 「グーグルGoogle―既存のビジネスを破壊する」 やGoogle関連については読んできた。「サイバージャーナリズム論」のこの本のなかで、ダイジェスト的に繰り返して読む必要はあまり感じなかった。ある意味、適当にネットから情報を集めてきて、適当に切り貼りすれば、誰にでも作れそうなページのように感じた。情報も必ずしも新しくないし、インサイダー情報もない。ただ、いままで、自分が書きとめてきた部分と、これらの文章を比較して、なるほど、自分がどんなことに関心をもっているのかな、というところが逆にあぶりだされてきた感じだ。

 第五章 ウェブがもたらす「偏向」と「格差」  --「ハブ」と「べき法則」のリテラシー 森健 -- p149

 ここはおおいに関心のあるところだが、今回は流し読みにし、この部分の著者の他書を読みながら再読することにする。この辺はジャーナリスト魂というより、技術的なことが優先されており、結局はコンテンツよりコンテナーが優先して語られているにすぎない。
「『みんなの意見』は案外正しい」のジェームズ・スロウィッキーの言葉を引用して、最後のまとめとしている。

 意見の多様性(各人が持つ独自の私的情報)、独立性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として判断に集約するメカニズムの存在)だ。これらの四条件が揃わないと「群集の叡智」が正しい解に至らない。p180

 多様性、独立性はマルチチュードの必要不可欠な要素だ。分散性、集約性は、シンギュラリティの特性ということになろう。

 第六章 メディアとはコミュニティである --マイスペース、ユーチューブ、そしてセカンドライフ--- 湯川鶴章 p181

 SNSについてはこのブログでも、いろいろ読み込んできた。日本語に限らず、さまざまなところに体験的に出没してみている。ユーチューブについても、まぁ気づいていない側面も多々ありそうだが、利用者が急増しているという意味では、もう誰もが知っているサービスだ。セカンドライフについても、このブログでは一つのカテゴリとして、それぞれ読み込んでみているところだ。これらをソーシャルメディアと呼ぼうとテクノロジー・コミュニティと呼ぼうと、どうしてもコンテナー的側面に視点が傾いている感じがする。

 これらを利用してこそのコンテンツ、そしてこれらからだけしか生み出されないもの、そのような特性についての言及が弱い感じがする。というか、私はその辺を知りたい。

 最後に歌川令三と公文俊平の対談があり、それぞれに、アダルトにジェントルにまとめあげている。しかしながら、結局は、サイバージャーナリズムというものが、はっきりと明確に見えた、とは思えなかった。

 私はこのブログで、科学、芸術、意識の三つのジャンルの融合を試みているのであり、このブログにおいては、ジャーナリズムは「芸術」の一分野、というとらえ方をしている。歌を歌える人は歌を唄えばいい。絵を描ける人は絵を描けばいい。そういう表現形態のひとつとしての「ジャーナリズム」を想定している。ヘアーアーティストとか、マーシャルアーツ、というときの「アート」、その一存在様式として、「ジャーナル・アート」的ジャンルととらえている。

 であればこそ、「ジャーナル・アート」は科学への目もたなければならないし、意識への融合も試みなくてはならない。あるいは、「ジャーナル・アート」は科学や意識からの援助をおおいに受け入れて、独立性を保ちながらも、多様性を受け入れ、分散性の中にいながら、集約性を高める、一個の人間として存在できる可能性を探っていかなくてはならない。

(敬称略)

この項おわり






Last updated  2009.02.16 21:08:04
コメント(2) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全108件 (108件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 11 >

PR

Freepage List

Profile


Bhavesh

Archives

2019.07
2019.06
2019.05
2019.04
2019.03
2019.02
2019.01
2018.12
2018.11
2018.10

Category

Comments

Bhavesh@ Re:禅と戦争 禅仏教は戦争に協力したか(11/16) 現在、日曜早朝座禅会に参加している禅寺…
Bhavesh@ Re:セックスから超意識へ<1>(11/13) Oshoの記念碑的1968年のレクチャー。当時…
把不住y@ Re:編集雑記(07/25) 新ブログはここです。 <small> <a href="…
Bhavesh@ Re:グルジェフ・ワーク 生涯と思想(01/12) 武邑光裕、の名前を検索していて我が読書…
abhi@ Re:編集雑記(07/25) お疲れ様。 新ブログ立ち上げたら教えてく…
Bhavesh@ Re:極秘捜査 警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」(03/03) 私は、最近になって 、そう2015年頃になっ…
Bhavesh@ Re:オウムからの帰還(03/01) この記事は我ながら、切れ味が悪い。大嫌…
Bhavesh@ Re:尊師麻原は我が弟子にあらず(03/12) 吉本もすでに鬼籍に入って、今更石を投げ…
Bhavesh@ Re:中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて(05/12) 島田の心情にも、同情する余地はある。 中…

Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.