あの頃、僕はアホだった。若き日のパリ日記(2)ダンボ-ルのテーブルでラーメンを食べる!
フランス赴任時、仕事に必要だと言われて、本社で成田空港に向かう直前に、あれもこれもとダンボ-ル数箱分の荷物を持ち込むように言われたので、素直に言われた通り持ち込もうとしたところ、パリCDG空港到着後の税関で見事に引っかかってました大量の荷物、それもダンボ-ル箱をキャディに積んでいましたから、目立つこと目立つこと。ダンボ-ル箱の中身は全て没収され、後日関税(かなりの額でした)を払う事で引き取れることにはなりました。しかし、スーツケ-スなどの荷物を全部家探しされたため、私の買ったばかりの全自動高級一眼レフカメラも没収の憂き目にあいました。このことを本社の上司に報告すると、カメラは私物なので自分で関税を支払え、と言われたので、「それでは、依頼されて運んだダンボ-ルの中身については引取りに行きませんので、そのお積もりで」と言い返してやりました。そもそもあんな目立つダンボ-ル箱を押し付けられなければ、カメラは没収されずに済んだろですから。結局、上司は折れてカメラについても経費で落としてよし、とのお墨付きをもらいました。このゴタゴタは1週間程度かかり、赴任当初のスケジュールが大幅に狂うことになったのです。さて、赴任直後にまずやるべきことは、アパ-ト探しです。フランス人スタッフと手分けして、新聞等で見つけた物件を手当たり次第に電話し、rendez-vous(アポ)をとり訪問、ということを何日間か繰り返しました。その甲斐あって、最終的に決めたのが 「50, Rue de la Tour, 75016」, つまりパリ16区トロカデロ近くのアパ-トでした。このアパ-トこそ、契約したにも拘らず1年以上、寝る以外に殆ど寄り付かなかった場所でありました。その一番の原因は、洗濯機に水を供給する栓がないのでビデを壊すしかない、と業者に言われたことでした。すわ、それではすぐ大家に連絡を、と考えて大家がアパ-トのどこに住んでいるのか知らないことに気付きました。じゃあ、しょうがないなあ、という事でほったらかしにしてしまったのです。こんなこと書くと何ていい加減な男なんだ、と言われそうですが、赴任以降、一年の6割から7割程度出張、特に1回の出張が約1か月半以上ですから、パリにいる間位は自由にゆったりと愉快に過ごしたい、という気持ちになり、面倒事は出来るだけ避ける、というかなり極端な考えに陥っていたのです。パリで仕事している時の典型的な一日はと言うと、-夜8‐9時までオフィスで仕事-退社後、直で日本食レストランで閉店まで食事と従業員とのおしゃべり-夕食後は、日本人経営のスナック1軒か2軒で飲みカラオケ-午前2時頃帰宅し布団(ベッドはありませんでした!)で寝る-午前7時前に起床という毎日を送っていました。当時のエンゲル係数は90%以上(現代日本のエンゲル係数の平均は25%程度でしょうか)、つまり給料の殆どは飲食費に使っていました。食べ物、飲み物以外で買ったのは、最低限の着る物くらいでしょうか。という事で、次の写真も自然と納得いただけると思います。 ダンボ-ル箱に座ってダンボ-ル箱のテーブルでインスタントラーメンを鍋で食べる、これが私のライフスタイルだったのです。これがおよそ1年続きました。因みに、上の写真は赴任後1年近く経った頃、将来の伴侶となる女性に「いい記念になるから」と言って撮影してもらったものです。まあ、本当にあの頃はアホだったと思います。2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですにほんブログ村にほんブログ村