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CAPTAINの航海日記

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CAPTAIN@ Re[1]:その湖は知らなかった(04/11) >RONさんへ なるほど~ 資料のご提供…
2021.04.11
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テーマ:日本の歴史(823)
前のエントリで遠江の国名の由来を浜名湖(異説もあり)と書いたのですが、異説とは、遠江の国府が置かれていた磐田市付近にかつて存在していた大之浦が由来だったのではないか…との説のことです。大之浦は磐田市の中心地である見付の南側に広がっていたそうですが、現在は水が引き、跡形も残っていません。だから私も、その湖の存在は知りませんでした。
遠江国が成立したのは1500年ぐらい前のこと。当時の文書は辛うじて残っているものの地図までは存在していいないため、大之浦がどれほどの大きさだったのか、またいつ頃なくなってしまっくなってしまったのか、判然としません。まさに歴史のロマンの範疇に属する事柄でしょう。
また、遠江=大之浦説を唱える方々は、磐田市に国府が置かれていたことを強調する傾向も見られますね。現在の遠江国の範疇だと最大都市は浜松市だし、私のように当地に全く縁のない者は「浜松市を中心とした遠江像」をついつい考えがち。だから国名の由来が浜名湖と言われると腑に落ちてしまう一面があるのですが、「そうではなくて、大昔は遠江の中心地は磐田市だったんだぞ!」との歴史に基づいた反論を補強する材料として、遠江=大之浦説も主張されているのかな…と思ったりもします。


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Last updated  2021.04.11 10:49:04
コメント(5) | コメントを書く
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Re:その湖は知らなかった(04/11)   RON さん
磐田市在住です。会津出身なので時々貴ブログ拝見してます。

昨日、ちょうどその大之浦の痕跡(縮小して行って現在残ってる水面)の「大池」に行ってきました。JR線の南側にあります。
どうも江戸時代に河川の改修で 湿地になった大之浦が埋め立てられて新田開発となり かなりの湖面面積がなくなったようです。今でもJR線の南側は地盤が悪く、かつ津波が来たらヤバそうな地形です。

現地の大池湖畔に当時の地図の解説看板もあったのでネットで調べてみればわかるかもしれません。

確かに遠州の国府も国分寺も浜松ではなく磐田にあったので 遠江は大之浦のことだったかもと私も思っています。 (2021.04.12 16:17:24)

Re:その湖は知らなかった(04/11)   RON さん
浜名湖と浜松の街も 遠江という名前が付けられた万葉律令、平安、室町時代と 家康以降の時代では西暦1500年辺りを境にかなり違っていたようです。
501年前の室町時代明応7年(1498年)8月に明応の大地震が起こり、浜名湖は湖底が地震により大きく沈下し その結果「今切口」で湖と遠州灘の外海の水面が直接つながり 海水が入るようになりました。
翌明応8年6月には5、6年に一度襲うという暴風雨に見舞われ外海からの高波、高潮が湖内に侵入、この高波で前年の地震で地盤沈下した湖岸は侵食されて湖面は拡大したそうです。
万葉、平安、室町時代は 今より小さな淡水湖だったのかも。湖畔に万葉の歌枕はありません。
また昔、天竜川は「暴れ天竜」と呼ばれる水量の多い河川で 現在の浜松市中心の低地の部分は天竜川の何度もの洪水と川の大幅な蛇行の変動で影響されたようです。
三方ヶ原台地の南の外れに家康が 曳馬城という今も残る浜松の城を築いて江戸時代にその周りに発達したのが浜松宿ということです。
現在もその天竜川の蛇行の旧跡が 馬込川という名前で残り浜松市の中心を流れており台風時 時々氾濫します。
磐田見附宿は磐田原台地の上にあり津波も 天竜川の影響も受けず 古代の古墳も多々あり、国府や国分寺、国分尼寺、様々な神社が置かれたようです。
ですので 今見ると当然、浜松という遠州中心都市とその近隣の大きな方の湖、浜名湖が「遠江」と見られますが 
500年前以前の遠州国府に来て 湖畔で歌を詠んだ万葉、平安、室町の人たちが大之浦を遠江と見ていても不思議はないように思えました。
(2021.04.12 18:54:17)

Re[1]:その湖は知らなかった(04/11)   CAPTAIN さん
>RONさんへ
コメント、ありがとうございます。
静岡県関連のエントリは、10年以上前に私が静岡県の方に囲まれて仕事をした経験があったことから書き始めました。ただし、仕事をした方は静岡市近辺(東端が富士市で西端が(旧)島田市)にお住いの方ばかりだったので、大井川以西の遠江は完全に門外漢です。トンチンカンなことを書いていたら、当方の無知故なのでご容赦願います。
で、磐田市中心部の地図を眺めながらこのコメントを書いているのですが、磐田駅付近に「中泉」「鳥之瀬」と水に縁がありげな地名がある一方で、遠江国分寺がある場所は「国府台」だし、その北の「見付(見附)」は「水に接する土地」という意味とされていますから、中泉や鳥之瀬付近にかつて大之浦が存在したのかな…なんてことを考えたりもします。
現存していたらどんな湖だったでしょうか。浜名湖のように鰻の養殖はできないかもしれませんが、野鳥が多く飛来し、豊かな生態系が展開していたかもしれないな…と、想像を巡らせたりもします。 (2021.04.12 21:40:52)

Re:その湖は知らなかった(04/11)   RON さん
いえいえ、遠江については原則は「浜名湖」、その他諸説ありですのでトンチンカンではありません。

こんな資料もありました。
https://www.lib-iwata-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2016/08/manyou.pdf
この地図のブルーの部分が潟湖だったそうで。東の端は掛川市の海岸の弁財天川の河口まで広がっていて今、想像するより以外に広かったようです。

この地域の北側は 戦国時代に武田、今川、徳川の戦跡があまた在りますがこの水面だったと思える地域には当然何にもありません。

東海道の様な日本でもきわめてポピュラーな街道筋でも色々あるもんで興味を惹かれました。 (2021.04.13 09:09:26)

Re[1]:その湖は知らなかった(04/11)   CAPTAIN さん
>RONさんへ
なるほど~ 資料のご提供、ありがとうございます。万葉集に大之浦は載っていたのですね。
ちなみに、Wikipediaに天保年代の磐田市付近の絵図が掲載されていたのですが、この時期には既に大之浦は姿かたちをなくしていました。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%90%8D%E9%83%A1 #/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yamana_District_cropped_Tempo_Kuniezu_Totomi_no_kuni_Frame_1.jpg

むしろ、当時の「磐田郡」がほぼ見附宿だけだったことに驚きました。1896年に「磐田郡・山名郡および豊田郡の大部分、長上郡の一部の区域をもって、新制の磐田郡が発足」したそうですね。意外な発見でした。 (2021.04.13 21:33:49)


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