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テーマ:高校野球(3601)
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今回のエントリはこちらとこちらの続編と考えてください。 先の両エントリにおいて、1984~1993年および2014~2013年における各地域の夏の高校野球における勝敗状況を紹介したのですが、東北地方に限定して、過去50年間の勝敗状況を算出してみたんですね。結果から紹介すると、下記のような状況になりました。 1974~1983年 青森0勝6敗 岩手1勝10敗 宮城7勝9敗 秋田5勝10敗 山形3勝9敗 福島8勝10敗 合計24勝54敗 勝率.308 1984~1993年 青森2勝10敗 岩手3勝10敗 宮城13勝10敗 秋田12勝10敗 山形5勝10敗 福島2勝10敗 合計37勝60敗 勝率.381 1994~2003年 青森13勝10敗 岩手3勝10敗 宮城12勝10敗 秋田4勝10敗 山形2勝10敗 福島1勝10敗 合計35勝60敗 勝率.368 2004~2013年 青森17勝10敗 岩手7勝10敗 宮城16勝10敗 秋田3勝10敗 山形9勝10敗 福島12勝10敗 合計64勝60敗 勝率.516 2014~2023年 青森11勝9敗 岩手14勝9敗 宮城23勝8敗 秋田8勝9敗 山形8勝9敗 福島12勝9敗 合計76勝53敗 勝率.589 「東北勢」というくくりで言うと、強くなったのはここ20年ほどということになりますね。 ただし、地域別に見ると、強くなった時期に差が見られます。各地域でエポックメイキングとなった時期は以下の通りでしょうか。 (青森) 1969年に三沢が準優勝して以降なんと1988年まで夏の甲子園で連敗が続いていた。1974~1977年は秋田県との2県1代表制だったがそのすべてで秋田県勢に甲子園出場を阻まれているし、50歳以上のファンだと1982年に木造が佐賀商の新谷博(後にライオンズなどで活躍)にあわや完全試合という敗戦を食らった記憶も残っているかと思う。安定的に勝てるようになったのは1999年以降のことで、この年青森山田がベスト8進出してから流れが急変した。翌2000年に光星学院(現・八戸学院光星)がベスト4に進出し、その後も同校は2001、2003の両年にベスト8進出、2011、2012年に連続準優勝(なお、2012年春も準優勝)するなど県の高校球界をリードする存在になる。なお、八戸学院光星は特に関西からの野球留学が多くその点で他地域の高校野球ファンから揶揄されることも少なくないが、その野球留学生の代表的存在であるジャイアンツの坂本勇人(兵庫出身)は在籍期間中青森山田に夏の甲子園出場を阻まれ続けており、青森県に野球留学したところで必ずしも甲子園で活躍できるとは保証できないことを付記しておく。 (岩手) 1973年に盛岡三が2勝して以降、なんと2008年まで夏の甲子園で2勝した高校が現れなかった。春だと1984年に大船渡がベスト4進出という記録があり同校は同年夏にも出場したものの敢え無く初戦敗退。流れが変わったのは2009年のことで、この年花巻東が春準優勝、夏ベスト4に進出したのを機に、夏の甲子園で2勝以上を挙げる高校が増えていった。なお、2009年の上位進出の立役者はブルージェイズの菊池雄星で、この菊池をはじめ、エンゼルスの大谷翔平、そして現役生徒の佐々木麟太郎と、花巻東は東北地方の高校にしては珍しく地元出身の選手を中心に据えて戦うスタンスが見られる。なお、直近10年間だと花巻東よりも盛岡大附の方が勝ち星を多く挙げており、こちらは特に関東からの野球留学生が多めだが、花巻東と盛岡大附の両校が切磋琢磨して県のレベルを上げている印象が強い。 (宮城) 東北地方の中では50年前からある程度夏の甲子園で勝てていた稀有な存在で、上記の10年単位でもすべての期間でベスト8への進出経験がある。この背景には1985年以前に東北、1986~95年に仙台育英を率いた竹田利明監督(現・國学院大総監督)の存在が大きい。竹田監督退任後も仙台育英は佐々木順一朗(現・学法石川監督)、そして現任の須江航と優秀な指導者の存在が、上位進出の礎となっている。特に須江監督が就任した2018年以降は、強さのギアが一段階上がったように感じる。野球留学に関しては竹田監督時代の東北や仙台育英でも元タイガースの葛西稔(青森出身)や元ホークスの大越基(青森出身)がいるなど少なくないが、他の東北各県出身の選手が比較的目立つ。一方、竹田監督退任後の東北では元スワローズの高井雄平(神奈川出身)やパドレスのダルビッシュ有(大阪出身)、現役生徒で今春の甲子園に出場したハッブス大起(栃木出身)など、東北外からの野球留学生も目立つ。 (秋田) そもそも私立高校が少ないため、野球留学自体も殆どない。それでも1990年代前半までは東北地方の高校球界をリードする存在で、1984年に金足農、1989年に秋田経法大附(現・明桜)がベスト4に進出する活躍を見せた。ところが他の各県の高校が上位進出し始めるのとは対照的に1998~2010年に13年連続夏の甲子園で初戦敗退するなど低迷期を迎える。2011年以降は多少持ち直し、2015年に秋田商がベスト8、そして2018年に金足農が準優勝を記録している。ただ、前述のように野球留学生に頼れない地域である他、秋田県自体の少子化ペースもかなりひどいため、今後に不安を残す。 (山形) 県勢の夏の甲子園初勝利がなんと1973年と全国でも屈指の遅さで、その後も甲子園では苦杯をなめ続けた。特に40代後半以降のファンには、1985年にKKコンビを擁して絶頂期だったPL学園に7ー29で大敗した試合が印象に残っていることと思うが、だからこそ県を挙げての高校野球強化策もあったりしてある程度功を奏したのか、2000年代に入ってからは日大山形が2006年に県勢初となるベスト8、更に2013年にベスト4進出と、徐々に全国でも勝てるようになってきている。その日大山形が昔も今も県高校野球界の盟主として君臨していて、時期にによって東海大山形、酒田南、羽黒、鶴岡東といった私立高校や体育科を有する公立校の山形中央が対抗するという構図で、羽黒以外は夏の甲子園で勝利経験がある(羽黒も2005年春に県勢初となるベスト4進出を果たしている)。野球留学は山形市外の高校で比較的目立つ。 (福島) 1970年代までは東北地方で最も人口が多い県だったこともあり、夏の甲子園でもある程度勝てていた。1974~1983年の勝利数は東北地方最多で、しかも勝利した高校が磐城、福島商、郡山北工、双葉(現在は休校中)、学法石川の5校ありバラエティーに富んでもいた。ところがそれ以降は出場校の寡占化が進み、ざっくり表現すると1980年代後半から1990年代は学法石川と日大東北の2強(ただし、両校とも全国ではあまり通用せず、県勢の勝率が低迷する結果をもたらした)、2000年代以降は聖光学院の1強となった。その聖光学院が夏の甲子園で初勝利を挙げた2004年以降福島県勢の成績は上向いたが、県勢の勝利はすべて聖光学院が挙げたものでありかつ同校以外の高校がなかなか夏の甲子園に出場しない(2004年以降は出場2回のみ)ため、県としてレベルが上がっているのかどうかを確かめる機会を持てないのがネックではある。なお、聖光学院の野球留学の状況は、近隣県から関西までの広範囲にまんべんなく…といった具合。同じ福島県内で自宅から通学不可能な地域からの進学も目立つ。 【中古】 シリーズにっぽんの高校野球(13) 東北編(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) B.B.MOOK/ベースボール・マガジン社(その他) 【中古】afb お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.08.26 17:36:02
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