カテゴリ:森田番外編
幸田文さんの父は、文さんを育てるとき「おまえは赤貧洗うがごときうちへ嫁にやるつもりだ」と言っていたという。茶の湯や生け花などの稽古はさせずに、まき割り、米とぎ、箒の持ち方から、雑巾のしぼりかた、魚のおろし方まで自ら細かく教えたという。
ただし論語の素読だけは家庭教師を付けた。近所の老人だった。その爺さんが変わっていた。 文さんと弟を浅草に連れ出す。社会見学だ。 雷おこしの原料を知っているかとか、この凧の職人細工の見事さを見ろとか、寿司の食べ方はこうじゃないといけないとか、あの豆腐屋の姉さんの給料はいくらだと思うかとか聞くのだ。講釈も聞きに行く。また安来節のおどりなども見に連れていく。 露伴は老人が子供たちをそんなところに連れていくのを面白がっていたという。 文さんには、論語は忘れたが、浅草で教えられたことは心に深く残っているという。 雑多な経験がその後の人生に大きな影響を与えていたのである。 幸田露伴は見事な子育てをしている。参考になった。この親にしてこの子ありという気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.21 07:04:20
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