カテゴリ:生活の発見会・集談会
今月号の生活の発見誌には、自助グループ「生活の発見会」の学習の在り方についての意見が多かった。
「巻頭言」、「発見会の若者会員が集談会に期待するもの」「発見会を活かすひとこと」などがそうである。 それだけ混迷の時代のさなかにあるということだろう。 でもこうして、意見を寄せて次の時代に森田理論学習のたいまつを引き継ごうとしている人たちがいることは確かである。 その中で私が気の付いたことを記してみたい。 Mさんという方が、「発見会の存在意義としての森田理論の学習という点は重要です」といわれている。 最近は初心者への傾聴やおもてなしが中心になり、学習内容の取り組みが希薄になっているとも言われている。 私もこの意見に同感です。傾聴や初心者対応はどうでもよいということではありません。もちろん大切なことです。 でも根底には森田理論の学習グループであるという点を忘れてはならない。 学習内容をどのように集談会の中に取り入れてゆくのがよいのか。 この議論を今まさに全国展開すべき時期であると思っています。 森田理論学習の要点の話も出ていましたが、これはレジメのようなものです。 レジメをいくら学習しても森田理論の深耕はできません。 いまどきこの要点を使って森田理論学習が深められていくということは考えられません。 それは多くの集談会の学習がマンネリに陥っていることからも一目瞭然です。 これは森田理論に詳しいベテランが体験談を織り込んで解説するときは役に立ちます。 それ以外ではかえって学習のマンネリ化を招き、マイナスになることも考えておかないといけません。 私はいつも言っているのですが、森田理論の全体像を含めた森田理論学習の副読本が必要だと思っています。 2名、3名の参加者であってもそのテキストを読み合わせていくことで、立派に森田理論学習が深まっていくというような副読本です。 森田理論を深めた10名ぐらいの人が、それぞれ森田理論を展開して、それらを集約してゆけば役に立つものが出来上がるのではないでしょうか。 多くの集談会は、今まさにそれを待ち望んでいると思っているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.02 07:49:42
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