カテゴリ:感情の法則
生活の発見誌2015年11月号に高良武久先生の記事がある。
14、15ページより引用します。 昔、学校の先生が来まして、「私は生徒を平等に愛すべきだと思うけれども、どうしてもそれができないで悩んでいる。教師たる資格はないように思う。」 そういうことをしきりに訴えておりましたが、私は平等に愛すべきだという、そういう観念論が間違いのもとだと思うわけです。 まあここに50人の児童がおるとすれば、それはいろいろな子どもがいるんだな。 実にもう汚い子どももいるし、可愛らしいのもいるし、なんか憎らしいようなのもいるし、それは様々なんだ。人好きのするようなのもいるし、なんか意地の悪そうなのもいる。 それはできるもんじゃないんですね。 ですから、そういう気持ちは自然に受け入れて、憎らしいと思ったっていいんだ、ということです。 ただしかし、教師としてこれを預かって教育しなくちゃならん、とにかく嫌でもこれを世話していこうと、世話をしていく。 世話していくうちにだんだんに、その子どもに対する愛情を覚えるようになる。 これが自然の人情であります。 好き嫌いというものははじめからあるものです。 なんとなく好きな人だとか、気の合う人だとか、あるいは反対の人もあるわけですけども、仕方なしに付き合っておればですね、思ったほど嫌いな人でもなくいいところもあるということが、だんだんにわかってきます。 母親は馬鹿な子ほどかわいいというようなことがありますが、世話を焼いていきますからして、どんな子供でもたいてい愛情をもつことができ、またそれが自然であります。 ここで言われていることは、好きとか嫌いとかいう感じは自然現象でどうすることもできない。 その感情を拒否、無視、否定することはできない。またしてはならない。 それらはどんなに不快であろうとも受け入れることしかできない。 そういう不快な感情を持ったまま生活をしていくという態度が好ましいということです。 そういう感情を持ったままイヤイヤ仕方なく最低限の付き合いをしていく。 あるいは世話をしていく。すると不快な感情がしだいに融解して変化してくる。 時には嫌いなものが、世話をしているうちに好きになってくることもある。 嫌いな感情は今も将来も固定しているものではなく、時間とともによきにつけ悪しきにつけ変化してくるものです。 その変化する時の流れに身をゆだねて生活するということが、人生そのものであるといわれているように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.11.09 06:57:23
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