カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
どこの会社でも指示命令系統がはっきりしています。
取締役会での会社の方針は、社長、部長、課長、係長、主任、社員へと伝達されます。 そして全体が一丸となって目標達成のため頑張ります。 ではここで質問です。社長は社員と比べて偉い人なんでしょうか。 一般社員は上司と比べて人間的に劣っているのでしょうか。 私はそうは思いません。 そう考える人は、仕事での役割分担と個人の人格を一緒にしているのだと思います。 管理職になるような人は目標設定能力のある人です。 またそれを実現するために創意工夫の出来る人です。さらにリーダーシップがとれる人です。 人を束ねて、一つの方向に向かって誘導していく力あります。 一方そんな能力が全くない人もいます。目標設定能力もない。対人折衝能力もない。 でもコツコツと努力して自分に与えられた仕事だけならきちんと成果を出すことができる人もいます。 会社ではそういう人も欠かすことはできません。 また人間関係が希薄な専門職や研究職としてだったら力が出し切れる人もいます。 これはどういうことでしょう。人それぞれに能力や力量が違うということを意味しています。 人それぞれ違いがある。個性を持っているということです。 でもそれぞれの人が持っている独自の存在価値に上下があるということではありません。 これはオーケストラの指揮者にも言えることです。 全体を束ねて指揮をしていくのが得意な人もいます。 そうではなくてバイオリンの演奏技術で勝負していく人もいます。 指揮は上手だが、演奏技術のそれほどでもないという人もいるのです。 プロ野球でも現役の時目立った成績は残していないのに監督として素晴らしい仕事をする人。 現役の時は選手として素晴らしい成績を残した人が、監督としては成果を上げることができない人。 これも人それぞれに異なった素晴らしい存在価値は持っているということです。 どちらが人格的に優れている、劣っている、あるいは良いとか悪いとかの評価とは関係がありません。 ここでよく間違えるのは、管理職、指揮者、監督が偉い。 人格的にすぐれているとみなすことです。 これは組織として目的を達成するための役割分担にすぎないのです。 会社の役職者が平社員と比べて人格的にすぐれているということではありません。 この点をしっかりと押さえてほしいものです。 この点をしっかりと理解していると、人間関係の持ち方が変わってきます。 相手を自分の思いのままに動かそうとしなくなります。 これを誤解すると上司が地位や権力を利用して部下に罵声を浴びせることがあります。 世にいうところのパワーハラスメントです。これは越権行為です。 直接的でなくても、心の中でいつも他人をコントロールしようと思っていると、何かの拍子に必ず言動に出てきます。 これらは上司が部下を見下して、自分の思い通りに動かそうとしているのです。 役割の分担を人間の価値の上下と取り間違えてはならないと思います。 人間が他の人間を支配したり、被支配に追い込まれると腹が立ったり、怒りが出てきたりします。 これをタテの人間関係といいます。 アドラーが言うように人間関係はヨコの関係を基本にしないといけません。 ヨコの人間関係は信頼、尊敬、評価、協力、共感、寛容、平等という言葉がよく似合います。 そこでは勝ったとか負けたとか、優れているとか、劣っているとか、良いとか悪いとかの人格評価とは無縁な世界だと思います。 人間の生きる苦しみの多くは、相手を自分の思い通りに動かしたいということからきているのではないでしょうか。 会社、家庭、学校等の人間関係でタテの人間関係を中心にしていると自分も他人も不幸になります。 タテの生き方をやめて、ヨコの生き方に意識的にくり組むと葛藤がなくなりますのでとても楽になると思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.11.25 07:05:59
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