カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
不快な感情はいろいろある。
イライラする、腹が立つ、絶望的な気持ちになる、悲しい、つらい、苦しい、怒り、恨み、憎しみ、不安、恐ろしいなどなど。 これらに対して、しみじみとその感情を味わっている事はあるだろうか。 神経症に陥っている人は、とらわれを取り去ろうと格闘したり、逃げたりすることが多いのではなかろうか。 水島広子氏によると、イヤな感情は十分に味わうことをしないと、いつまでもつきまとわれて、抜け出すことが困難になるという。 イヤな感情は、最初は否認しますが、どうにもならない感情は絶望に変わります。 ところがイヤな感情にきちんと向き合わないで、ごまかしたり逃げたりしていると、十分に絶望の時期を経過していない。 そして絶望を乗り越えることができなくなってしまう。これが大問題だと言われているのです。 私たちが不安にとらわれて神経症に陥ってしまうのは、イヤな感情に対する向き合い方に問題があるのかもしれません。 Aさんは結婚を約束していた人をバイク事故で亡くした。 彼の父親から連絡があったが、ショックのあまり自室にこもりきりになり、顔を見に行くこともできなかった。お通夜、葬儀に参列できなかった。 その後やっと1カ月過ぎて普段の生活に戻ったが、半年経っても気持ちが晴れることはなかった。 それどころか、食事がとれなくなり、明け方目覚めては彼のことばかり考える。 不眠に悩まされ、受診した病院でうつと診断された。 水島氏は、彼女が、彼の死に直面するための儀式をすべて避けてしまったことが問題だと言われています。 お通夜やお葬式というのは、形式的なようでいて、案外重要な儀式です。 そこに行けば、嫌でも相手が亡くなったという現実に直面するからです。 また、親しい人同士でともに悲しみ合う場としても重要です。 「お葬式に行ったところで彼が生き返るわけでもない」と、儀式を避けていると、悲哀のプロセスが「否認」のところで止まりかねません。 Aさんは、彼との思い出のものをすべて避けて暮らしていました。これも同じように問題です。 彼との思い出の場所を見ては、「ああ、彼はいなくなってしまったんだ」ということを改めて認識する。 彼にもらったものを見ては「ああ、彼がこういうものをくれることはもうないんだ」ということを改めて認識する。 そして、思い出の品を整理して処分したり、別の場所に位置づけたりする作業を通して、少しずつ現実に直面していくのです。。 これらは、心の中での小さなお葬式の積み重ねということができるでしょう。 悲哀のプロセスを「否認」から「絶望」へと進めていくためには、不可欠の儀式です。 この時期、悲しいのは当たり前だとして、むしろ積極的に悲しみに直面していくことが大切です。 そうすることで、悲しみという感情から抜け出すことが可能となるのです。 (自分でできる対人関係療法 水島広子 創元社 56ページより引用) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.02 23:14:08
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